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第一部: 終わりと始まりの日 - 第四章: 果てなき雲上の尾根にて
第四話: 二人と希望の第一歩
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「火の精霊と風の精霊に我は請う、中の空調を頼む」
もうすっかり使い慣れた【環境維持(部屋用)】の請願を、少しばかりの緊張と共に発声する。
隣にいる月子の表情も、よく見なければ分からないほどではあるが、やや硬い。
「にゃあ」
「……わふぅ」
そんな僕たちの緊張などお構いなしに、外にいるベア吉とヒヨスが急かしてきた。
その声に背を押されたわけではないが、そろそろ始めるとしようか。
「よし! 月子」
「はい、参ります」
これが上手くいけば、僕たちが下山できる可能性は飛躍的に高まるだろう。
今後の道行が決まる分水嶺。
その重要な第一歩を、僕らは厳かに踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この計画が持ち上がったのは、確か、ちょうどチビどもが卵から孵る直前くらいだったはずだ。
――ちゅ。
その日、いつもの錯覚によって起こされた僕は、やはりいつものように目前にある月子の貌にたじろぎつつ、寝床から身を起こしていった。
「……おはよう、月子……くん――」
「……」
「ん、んっ……月子、おはよう」
「おはようございます、松悟さん」
起き抜けでうっかり名前を“くん”呼びしてしまい、じっと目を見つめられてしまう。
赤面しているであろう自分を意識し、僕は苦し紛れに以前から思っていたことを口に出す。
「あー、その、別に毎日起こしに来てくれなくても、ほぼ同じ時間には起きられるんだぞ?」
「いえ、先に目覚めた方が起こすようにする方が効率的です。私は時間の感覚には多少の自信がありますし、こうして参ることにもさしたる労はございません。共に生活している以上、時間はなるべく合わせておくべきでしょう。お気になさらないでください」
「しかしだな。申し訳ないが、君に起こしてもらうのは、なんだか落ち着かないんだ」
「……ひょっとして、お嫌でしたか?」
「嫌というわけではないが……」
「でしたら慣れていただくしかありません」
結局、心なしか早い口調の月子に押しきられてしまい、身の置き所に困る朝だった。
――あー、うん、よく考えたら朝の下りはいらなかったな。余計な恥をさらしてしまった。
本題は……そう、どんな会話の流れだったかは覚えていないのだが、二人で食事を摂りながら話をしていて、ようやく気持ちが落ち着いてきた僕が、ふと、こんなことを呟いたのだった。
「いっそのこと、エアコンを効かせたまま、山の麓まで地面を掘っていけたら楽だろうになぁ」
「くすっ、地下水や空洞を掘り当てたら大変なことになってしまいますよ」
「それはそうなんだが、今よりもっと活動範囲を広げるためには、たった数時間しか持続しない【環境維持(個人用)】じゃあ、もうどうしたって限界だ。【環境維持(部屋用)】が頼れたら話は早い……と、つい思ってしまってね」
「……確かにそのようなことが可能であれば……拠点の拡張? 環境が……いえ、問題は……」
冗談めかした僕の言葉を聞いた月子は、嫋やかな指を揃えて頬に当てると、沈思黙考し始めた。
彼女の思考を邪魔しないよう、暫し、黙ってもくもくと食事を進める。
やがて、やや手持ち無沙汰になり、なんともなしに肘掛けとして置かれている座席脇の黄色い宝玉をさわさわと撫でながら、その滑らかな手触りとほどよい温かさを楽しみ始めたところで、彼女は顔を上げ、少しだけこちらへ身を乗り出し、言ったのだ。
「……松悟さん」
「うん」
「車を造りましょう」
「うん?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから約一週間を経て、現在。
「地の精霊に我は請う――」
月子の請願により、僕たち二人の乗り込んだ“車”がゆっくり動き出す。
車とは言っても、どこにも車輪が付いていたりはしない。
カニ……いや、正面に向かって進んでいくのでカブトムシとでも喩えるべき、昆虫を思わせる三対六本の脚は、役割としてはスキーでいうストックに近く、底部に長いスキー板を履かされた車体を押し進め、ゆるやかな上り坂になっている洞窟の通路を登っていく。
車体部分は、長らく洞外活動で活躍してきた雪舟をベースとしている。
だが、僕らが二人並んで乗り込むための運転席と助手席に当たるスペースが増設されており、長時間、乗車したまま過ごすということも想定し、ゆったり身体を伸ばすことさえできるように余裕を持たせた、前後三メートルもの巨大サイズへと膨れあがっている。
最後部は積載スペースであり、ひとまず数日分の食料や補修用の物資を積み込んでおいた。
しかし、雪舟だったときとの最大の違いは、車体の側面から天井まですっぽりと覆い被さって車内を密閉状態に保つ、薄い金属板による外装であろう。
些か不格好ではあるが、四方に設えた石英ガラス製の窓、車体左右に並ぶサイドドアと背後のトランクリッドまで取り付けられたシルエットは、現代日本が世界に誇っていた自動車、中でもワンボックスカーに近い……ま、脚が生えているけれども。
この金属板は、僕らにはちょっと種類までは分からないのだが、鉄と同じかそれ以上に硬く、非常に軽いという希少金属――おそらくチタン辺りではないかと踏んでいる――で造られている。
拾い集めた鉱石中に含有していたもので付近にも鉱脈は見つけられず、手に入った量は僅か、加えて月子の精霊術を以てしても加工は困難を極めた。その甲斐あって、ちょっとやそっとでは傷つくこともない頼もしいボディとなってくれたのである。
具体的に言えば、巨大グマの爪やストーカーの牙でもまったく貫けない硬さだ。実に心強い。
これこそ僕らが救世主……となることを期待される、エアコン完全対応のキャンピングカーだ。
「岩屋に到着しました。それでは、入り口を開放します」
「よし! まずは試運転に出発だ」
「みゃあ!」
「わっふ!」
もうすっかり使い慣れた【環境維持(部屋用)】の請願を、少しばかりの緊張と共に発声する。
隣にいる月子の表情も、よく見なければ分からないほどではあるが、やや硬い。
「にゃあ」
「……わふぅ」
そんな僕たちの緊張などお構いなしに、外にいるベア吉とヒヨスが急かしてきた。
その声に背を押されたわけではないが、そろそろ始めるとしようか。
「よし! 月子」
「はい、参ります」
これが上手くいけば、僕たちが下山できる可能性は飛躍的に高まるだろう。
今後の道行が決まる分水嶺。
その重要な第一歩を、僕らは厳かに踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この計画が持ち上がったのは、確か、ちょうどチビどもが卵から孵る直前くらいだったはずだ。
――ちゅ。
その日、いつもの錯覚によって起こされた僕は、やはりいつものように目前にある月子の貌にたじろぎつつ、寝床から身を起こしていった。
「……おはよう、月子……くん――」
「……」
「ん、んっ……月子、おはよう」
「おはようございます、松悟さん」
起き抜けでうっかり名前を“くん”呼びしてしまい、じっと目を見つめられてしまう。
赤面しているであろう自分を意識し、僕は苦し紛れに以前から思っていたことを口に出す。
「あー、その、別に毎日起こしに来てくれなくても、ほぼ同じ時間には起きられるんだぞ?」
「いえ、先に目覚めた方が起こすようにする方が効率的です。私は時間の感覚には多少の自信がありますし、こうして参ることにもさしたる労はございません。共に生活している以上、時間はなるべく合わせておくべきでしょう。お気になさらないでください」
「しかしだな。申し訳ないが、君に起こしてもらうのは、なんだか落ち着かないんだ」
「……ひょっとして、お嫌でしたか?」
「嫌というわけではないが……」
「でしたら慣れていただくしかありません」
結局、心なしか早い口調の月子に押しきられてしまい、身の置き所に困る朝だった。
――あー、うん、よく考えたら朝の下りはいらなかったな。余計な恥をさらしてしまった。
本題は……そう、どんな会話の流れだったかは覚えていないのだが、二人で食事を摂りながら話をしていて、ようやく気持ちが落ち着いてきた僕が、ふと、こんなことを呟いたのだった。
「いっそのこと、エアコンを効かせたまま、山の麓まで地面を掘っていけたら楽だろうになぁ」
「くすっ、地下水や空洞を掘り当てたら大変なことになってしまいますよ」
「それはそうなんだが、今よりもっと活動範囲を広げるためには、たった数時間しか持続しない【環境維持(個人用)】じゃあ、もうどうしたって限界だ。【環境維持(部屋用)】が頼れたら話は早い……と、つい思ってしまってね」
「……確かにそのようなことが可能であれば……拠点の拡張? 環境が……いえ、問題は……」
冗談めかした僕の言葉を聞いた月子は、嫋やかな指を揃えて頬に当てると、沈思黙考し始めた。
彼女の思考を邪魔しないよう、暫し、黙ってもくもくと食事を進める。
やがて、やや手持ち無沙汰になり、なんともなしに肘掛けとして置かれている座席脇の黄色い宝玉をさわさわと撫でながら、その滑らかな手触りとほどよい温かさを楽しみ始めたところで、彼女は顔を上げ、少しだけこちらへ身を乗り出し、言ったのだ。
「……松悟さん」
「うん」
「車を造りましょう」
「うん?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから約一週間を経て、現在。
「地の精霊に我は請う――」
月子の請願により、僕たち二人の乗り込んだ“車”がゆっくり動き出す。
車とは言っても、どこにも車輪が付いていたりはしない。
カニ……いや、正面に向かって進んでいくのでカブトムシとでも喩えるべき、昆虫を思わせる三対六本の脚は、役割としてはスキーでいうストックに近く、底部に長いスキー板を履かされた車体を押し進め、ゆるやかな上り坂になっている洞窟の通路を登っていく。
車体部分は、長らく洞外活動で活躍してきた雪舟をベースとしている。
だが、僕らが二人並んで乗り込むための運転席と助手席に当たるスペースが増設されており、長時間、乗車したまま過ごすということも想定し、ゆったり身体を伸ばすことさえできるように余裕を持たせた、前後三メートルもの巨大サイズへと膨れあがっている。
最後部は積載スペースであり、ひとまず数日分の食料や補修用の物資を積み込んでおいた。
しかし、雪舟だったときとの最大の違いは、車体の側面から天井まですっぽりと覆い被さって車内を密閉状態に保つ、薄い金属板による外装であろう。
些か不格好ではあるが、四方に設えた石英ガラス製の窓、車体左右に並ぶサイドドアと背後のトランクリッドまで取り付けられたシルエットは、現代日本が世界に誇っていた自動車、中でもワンボックスカーに近い……ま、脚が生えているけれども。
この金属板は、僕らにはちょっと種類までは分からないのだが、鉄と同じかそれ以上に硬く、非常に軽いという希少金属――おそらくチタン辺りではないかと踏んでいる――で造られている。
拾い集めた鉱石中に含有していたもので付近にも鉱脈は見つけられず、手に入った量は僅か、加えて月子の精霊術を以てしても加工は困難を極めた。その甲斐あって、ちょっとやそっとでは傷つくこともない頼もしいボディとなってくれたのである。
具体的に言えば、巨大グマの爪やストーカーの牙でもまったく貫けない硬さだ。実に心強い。
これこそ僕らが救世主……となることを期待される、エアコン完全対応のキャンピングカーだ。
「岩屋に到着しました。それでは、入り口を開放します」
「よし! まずは試運転に出発だ」
「みゃあ!」
「わっふ!」
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