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第一部: 終わりと始まりの日 - 第三章: 二人で踏む雪原にて
第六話: 謎の怪物と戦う二人
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前方に横たわる氷雪地の裂け目――深いクレバスの奥底より、ぬらぬらとした不気味な光沢をまとう細長い何かが飛び出してくる。
それを察知すると同時、僕と美須磨は左右後方へと飛び退き、共に願う。
「水の精霊に我は請う――」
「火の精霊に我は請う、燃えろ!」
だが、いきなり宙に咲いた鋭利な花弁を持つ氷の花も、燃え盛りながら射出された火の玉も、謎の襲撃者を捕らえられない。
うねうねとのた打ちながら虚空を突き進んできたかと思えば、僕らの攻撃に反応し、凄まじい速度でクレバスの中へと引っ込んでいってしまう。
「――ヘビか!?」
「いえ、頭部は見当たりませんでした。それに動きも――」
「おかしかったな。ムチのような何か……」
――ティエリ、リ!
どこか土笛めいた、その音と共に再びムチが襲い掛かってくる。今度は二本!
僕はすかさず身を伏せてから斜め前方へ逃れるが、美須磨は半身を斜めに傾けて躱しながら、それがやって来た先――クレバスへ向かって敢然と走り込んでいく。
彼女の姿は、身にまとった毛皮の効果で徐々に回りの雪景色へ溶け込みつつあり、知っている僕の目であってもハッキリとは捉えがたい。気が付けば、砕氷杖は背に仕舞われ、一対の短刀が両手にそれぞれ握られていた。
「地の精霊に我は請う――」
風雪の中でさえ響く、透き通った声に合わせ、クレバスの中から【岩の杭】が突き上がる。
その先端には黒く大きな何かがまとわりついており、未だこちらへと伸ばされたままの二本のムチと根元で繋がっている。
ずるり……と、岩の杭の表面を滑り落ちてくる何か。
それは血を粘液質に固めたかのような赤っぽい――いや、虹色にぬらつく黒い粘液? 周囲の暗さもあってハッキリとはしないが、そのようなものに見えた。タコか!?
落ちてくるタコを目がけて美須磨が両手の短刀を振る……おうとするも、すぐに止め、真横へ飛びすさる。と、たった今まで彼女がいた場所からは轟音と共に柱のように氷雪が巻き上がった。
その煙霞を引き裂いてクレバスの中へと引き戻されていく三本目のムチ。
やや遅れて、先ほどから伸ばされたままだった二本のムチもゆっくり戻されていく。
そして、岩の杭によって上空へと突き上げられ、ずり落ちてきていた巨大ダコめいた何か――ざっと三メートル近くはあるソレもまた、ずるずるとクレバスの奥へと引き戻されていった。
――ぇっリ、リ! ティエリ、リ!
土笛に似た音は、どんどん近くより聞こえるようになってきていた。
幅が四十センチほど、横幅にして七メートル以上……そんなクレバスの全体から、じわじわと黒い何かが滲み出てくる。
貝? ナメクジ? いいや、それは、さながら“生きた粘液”。
「……おいおい、こんな大きさをした生き物の姿か? 微生物じゃないんだぞ」
グングンと体積を増し、観光用のマイクロバスに匹敵するサイズとなって雪原に降り立つ怪物。
呆然とする僕を他所にして……速攻で動いたのは、またも美須磨だった。
クレバスの中から全体を現した怪物が、弾むように大きく震えた瞬間に合わせ、ワイヤー付き短刀を投擲する。
だが、必殺の威力を誇るはずの一撃は、怪物を切り裂くことも、突き刺すことも、僅かばかり削り取ることさえもなく、とぷんっと粘液状の身に飲み込まれていってしまった。
「あ……」
彼女であっても予想外の結果だったのか、刹那、動きを止めてしまう。
間髪も容れず、即座に反撃として繰り出されてくる粘液のムチ。
「あぶない、月子くん!」
やや後方にいたお蔭でいち早く敵の攻撃を察知した僕は、タックルする勢いで美須磨へと飛びかかり、腰に抱きついたまま大きく前方に飛び上がる。
間一髪、背後で爆発でも起こったかのような轟音を伴って陥没する雪面。
――ドガァ! ザッシャアアアアア!
空中で上体を捻り、どうにか背中から着地、積もった雪を撒き散らした。
ゴフッ……よし! 大丈夫だ。美須磨には怪我はない。
血塗れの生肉といった印象の怪物は、更なる追撃をせずクレバスの側でゆっくりと蠢くのみ。
こちらの出方を窺っているのか?
なんにせよ、その攻撃の鋭さに反し、本体の動き自体はかなり鈍そうだ。
「つ、月子くん! 一旦距離を取って仕切り直そう」
「待ってください! もし、此処で逃がしてしまったら……」
「落ち着くんだ、君らしくもない」
「でも!」
見たところ、奴の身体に物質的な手段でダメージを与えることはできそうにない。
ならば距離を取って精霊術で攻めるのが得策かと思われるのだが……。
と言うか、そもそも相手をする必要があるのだろうか?
「むしろ逃がしてやれば……いや、あんな怪物、放っておいても構わないんじゃないか?」
「――なっ!? 何を仰っているのですか!」
それは、僕が初めて耳にする、美須磨の怒鳴り声《ごえ》であった。
それを察知すると同時、僕と美須磨は左右後方へと飛び退き、共に願う。
「水の精霊に我は請う――」
「火の精霊に我は請う、燃えろ!」
だが、いきなり宙に咲いた鋭利な花弁を持つ氷の花も、燃え盛りながら射出された火の玉も、謎の襲撃者を捕らえられない。
うねうねとのた打ちながら虚空を突き進んできたかと思えば、僕らの攻撃に反応し、凄まじい速度でクレバスの中へと引っ込んでいってしまう。
「――ヘビか!?」
「いえ、頭部は見当たりませんでした。それに動きも――」
「おかしかったな。ムチのような何か……」
――ティエリ、リ!
どこか土笛めいた、その音と共に再びムチが襲い掛かってくる。今度は二本!
僕はすかさず身を伏せてから斜め前方へ逃れるが、美須磨は半身を斜めに傾けて躱しながら、それがやって来た先――クレバスへ向かって敢然と走り込んでいく。
彼女の姿は、身にまとった毛皮の効果で徐々に回りの雪景色へ溶け込みつつあり、知っている僕の目であってもハッキリとは捉えがたい。気が付けば、砕氷杖は背に仕舞われ、一対の短刀が両手にそれぞれ握られていた。
「地の精霊に我は請う――」
風雪の中でさえ響く、透き通った声に合わせ、クレバスの中から【岩の杭】が突き上がる。
その先端には黒く大きな何かがまとわりついており、未だこちらへと伸ばされたままの二本のムチと根元で繋がっている。
ずるり……と、岩の杭の表面を滑り落ちてくる何か。
それは血を粘液質に固めたかのような赤っぽい――いや、虹色にぬらつく黒い粘液? 周囲の暗さもあってハッキリとはしないが、そのようなものに見えた。タコか!?
落ちてくるタコを目がけて美須磨が両手の短刀を振る……おうとするも、すぐに止め、真横へ飛びすさる。と、たった今まで彼女がいた場所からは轟音と共に柱のように氷雪が巻き上がった。
その煙霞を引き裂いてクレバスの中へと引き戻されていく三本目のムチ。
やや遅れて、先ほどから伸ばされたままだった二本のムチもゆっくり戻されていく。
そして、岩の杭によって上空へと突き上げられ、ずり落ちてきていた巨大ダコめいた何か――ざっと三メートル近くはあるソレもまた、ずるずるとクレバスの奥へと引き戻されていった。
――ぇっリ、リ! ティエリ、リ!
土笛に似た音は、どんどん近くより聞こえるようになってきていた。
幅が四十センチほど、横幅にして七メートル以上……そんなクレバスの全体から、じわじわと黒い何かが滲み出てくる。
貝? ナメクジ? いいや、それは、さながら“生きた粘液”。
「……おいおい、こんな大きさをした生き物の姿か? 微生物じゃないんだぞ」
グングンと体積を増し、観光用のマイクロバスに匹敵するサイズとなって雪原に降り立つ怪物。
呆然とする僕を他所にして……速攻で動いたのは、またも美須磨だった。
クレバスの中から全体を現した怪物が、弾むように大きく震えた瞬間に合わせ、ワイヤー付き短刀を投擲する。
だが、必殺の威力を誇るはずの一撃は、怪物を切り裂くことも、突き刺すことも、僅かばかり削り取ることさえもなく、とぷんっと粘液状の身に飲み込まれていってしまった。
「あ……」
彼女であっても予想外の結果だったのか、刹那、動きを止めてしまう。
間髪も容れず、即座に反撃として繰り出されてくる粘液のムチ。
「あぶない、月子くん!」
やや後方にいたお蔭でいち早く敵の攻撃を察知した僕は、タックルする勢いで美須磨へと飛びかかり、腰に抱きついたまま大きく前方に飛び上がる。
間一髪、背後で爆発でも起こったかのような轟音を伴って陥没する雪面。
――ドガァ! ザッシャアアアアア!
空中で上体を捻り、どうにか背中から着地、積もった雪を撒き散らした。
ゴフッ……よし! 大丈夫だ。美須磨には怪我はない。
血塗れの生肉といった印象の怪物は、更なる追撃をせずクレバスの側でゆっくりと蠢くのみ。
こちらの出方を窺っているのか?
なんにせよ、その攻撃の鋭さに反し、本体の動き自体はかなり鈍そうだ。
「つ、月子くん! 一旦距離を取って仕切り直そう」
「待ってください! もし、此処で逃がしてしまったら……」
「落ち着くんだ、君らしくもない」
「でも!」
見たところ、奴の身体に物質的な手段でダメージを与えることはできそうにない。
ならば距離を取って精霊術で攻めるのが得策かと思われるのだが……。
と言うか、そもそも相手をする必要があるのだろうか?
「むしろ逃がしてやれば……いや、あんな怪物、放っておいても構わないんじゃないか?」
「――なっ!? 何を仰っているのですか!」
それは、僕が初めて耳にする、美須磨の怒鳴り声《ごえ》であった。
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