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第一部: 終わりと始まりの日 - 第二章: 異世界の絶壁にて
第五話: 岩屋で一息吐く二人
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精霊術により徹底的に水洗いされ、果てはスチーム洗浄まで施された一間の岩屋内。
僕は、美須磨が持っていた携帯栄養食を分けてもらい、精霊術により雪を解かしお湯を沸かし、ティーバッグの紅茶も淹れてもらって、随分久しぶりと感じられるティータイムを満喫していた。
ちなみに、当の美須磨自身は緑茶をお供に羊羹を食べている。優雅だな。
腰の下にはチェック柄でオレンジ色をしたレジャーシートが敷かれ、傍らには石壁を変形させ作られた灯り台にLED懐中電灯が固定されており、真っ暗な岩屋の内部を照らしている。
現在の恰好は、二人とも分厚いコートや手袋を脱ぎ、比較的ラフな恰好である。
ずっとフードとマスクに隠されていた美須磨の美貌や長く美しい黒髪はもちろん、優美な指先、年齢の割りにメリハリのあるボディラインをじろじろと見ないよう、必死に自分を抑えつける。
あれからいろいろと検証し、精霊術に関してはかなりのことが判明した。
最も驚かされたのは、やはり物理法則に縛られない――ように見える――効果の強力さだろう。
温度に関係なく水が状態を変える。可燃物が無くても火が燃える。気圧や重力もお構いなしに空気や地面が動いていく。
ただし、その効果については頼んだ精霊の裁量次第であり、通常の理から外れたことをやってもらおうとすればするほど、望んだ結果とは離れてゆき、ときには何も起こらなかったりする。
また、精霊という存在は総じて気分屋であまり頭も良くはなさそうだ。
頻繁に頼みごとをしたり、同じことを何度も頼んだり、複雑なことを頼んだりしても上手くはいかず、最悪の場合、しばらく何も言うことを聞いてくれなくなってしまう。
たとえば、この岩屋の大気圧――副次的に空気の濃度も――を適切に維持してもらうと三時間程度が限界、その間は他に頼みをしないくらいでないと続けて気圧維持を請け負ってもらえない。実質的に、風の精霊はほぼ専業状態となってしまっている。
対して、火の精霊にとって岩屋の気温維持というのは楽しい仕事のようで、最初に頼んでからもう十時間は経ち、日が暮れ、外の気温は大幅に下がっているにも拘わらず、未だ効果が切れる気配がない。それどころか合間に他のことを頼んでも快く応じてもらえる。
以上のことから分かる通り、効果時間も現象ごとにまちまちであるらしい。
この洞穴に入るときに築いた石段は、二時間ほどで気付いたときには影も形もなくなっていた。
ああ、ちなみに、時間については体内時計が目安である。何故かスマホの電源が入らないのだ。
これらに加え、頼む側との相性もありそうである。
どうやら僕は火と風が好相性であるらしく、複雑な頼みでも比較的聞き入れてもらいやすく、発揮される効果も高い。逆に、水と地に関してはかなり苦労させられている。
美須磨は僕の正反対で、火と風にはあまり頼みを聞いてもらえないが、水と地はツーカーかと言いたくなるレベルで自在に操ってみせる。
それ以外の精霊については……。
「そう言えば、結局、精霊は水、火、風、地の四種類しかいないのだろうか?」
「神さまはあらゆるものに対して命じられると仰っていましたけれど、今のところ、それ以外の精霊は呼びかけに応じてくださいませんね。もっと仲良くなる必要があるのかも知れません」
「仲良くか……」
確かにそういう印象だ。
まだ精霊たちとは付き合い始めたばかりではあるが、既に最初の頃と比べ、遙かに扱いやすく効果も安定してきている感がある。こちらの頼み方が要点を得てきたことも影響しているだろう。
更に回数をこなし、いろいろな頼みを聞いてもらうことで、やがて他の精霊たちも力を貸してくれるようになるのかも知れない。
「他にはどんな精霊がいるのだろうな。雪や雲が言うことを聞いてくれたら助かるんだが」
「くすっ、そうですね。山の精霊にお願いしたら麓まで下ろしていただけないでしょうか」
「筋肉通の精霊と肩こりの精霊には大人しくしていてほしい」
「あら、身体の中にまで精霊がいらっしゃるのですか? それでしたら疲労……病気……いえ、生命の精霊といったところでしょうか。お力を貸してくださったら頼もしそうですね」
こうして気楽に美須磨と話すのも久しぶりである。
既に夜だが、疲労と安堵感から昼間に眠ったせいもあり、一向に眠気が襲ってくる気配がない。
「さて、こう真っ暗ではできることもあまりないだろうが、眠くなるまで何かしていようか」
「そう言えば、実は一つ気になっていたことがあるんです。お手すきでしたら、少し調べるのにお付き合いいただけませんか?」
「ああ、いいとも。どんなことだい?」
「地の精霊に……その、呼ばれているような気がしていて」
そう言いながら立ち上がり、やや離れた奥の壁へ向かって歩いていく美須磨。
ぺたぺたと岩壁に触れながら「此処ですか? 何かあるのでしょうか」と呟いている。
一緒になって同じ辺りを調べてみるも、これといって変わった様子はないように思われる。
「ふむ、直接、精霊に聞けないのか?」
「そうですね、やってみます。地の精霊に我は請う――」
美須磨が請願を発した瞬間、目の前の岩壁にぽっかり穴が空く。
これだ。僕の場合はどんな精霊に対してもこうはいかないのだが、どうやら、水と地の精霊は彼女のことを助けたくて仕方ないらしく、何かにつけ忖度が見受けられる。
まぁ、その気持ちはよく分かる。
「こちらは別の洞窟のようです。たまたま近くを通っていたという感じですね」
「くり抜かれた岩盤は一メートルくらいか。先の壁はしっかりしている。ひとまず崩れたりする心配はなさそうだ」
「一本道に見えますけれど、どうしましょう。入ってみますか?」
「地の精霊はまだ呼んでいるのかい?」
「はい、より強く」
「……それじゃ、行ってみよう。荷物をまとめてくれ。僕は中の空気を入れ換えておく」
「分かりました」
風の精霊に頼んでみれば、そこまで深くはないのか、大気と気温はどうにかなりそうである。
危険なガスが溜まっていた場合に備え、洞窟内の空気は優先的に外へと排出させてゆく。
環境に関しては問題はないだろう。美須磨がいれば崩落などに見舞われる可能性も低い。一番怖いのは中で迷って戻ってこられなくなることだろうか。あー、異世界ということだし、危険な生き物が棲んでいることもありえるか? どこかの出口に繋がっているとしたら……だろうが。何があるにしても、最も親和性の高い地の精霊の導きならば、そう悪いことにはならないはずだ。
ちなみに、この異世界の物理法則や自然環境に関してだが、ここまで見てきた限り、おそらく地球とそう変わらないのではないかと思われる。もちろん精霊術や神ちゃん関連を別としてだが。
雪の高地という特殊環境なのでハッキリとは言いきれないものの、美須磨の学生用端末と僕のスマホだけ電源が入らないという不具合に見舞われていることを除けば、明らかに地球と異なる異常事態などは確認できていない。せいぜい巨大グマの死骸くらいである。
あらかじめ異世界と聞かされていなければ、ヒマラヤ山脈にでも飛ばされたかと思うところだ。
「先生、準備できました」
「ああ、それじゃ後ろから灯りで照らしていてくれるか。あと、精霊の声は聞き逃さないように」
「はい」
「よし、出発」
と、僕が足を踏み出そうとすると。
「あ、先生。暫しお待ちを」
どうしてか、美須磨が勢いを削いできた。
「ん? どうした。何か忘れ物か?」
「いえ、よろしければこちらをお持ちください」
そう言いながら彼女が差し出してきたのは、どこに隠されていたのか立派な作りのスコップと銀色に縁取りされた黒い革製の鞘に収められているサバイバルナイフ。
いや、本当にどこにあったんだ? ナイフは学園で手に入るようなものと思えない銃刀法違反レベルの見るからに危ない凶器だし、スコップに至っては彼女のショルダーバッグに入るような長さですらない。
「ナイフは、あの商店街で先生が倒された、反社会的な方が所持していた物を拾っておきました」
「ああ、あのヤンキー……Aかな? 太股打撃喰らわした……こんなの持ってたのか」
「えいさん? 桃缶? 通りの中央で転がっていた方です。すぐ近くに落ちていたものですから」
「この立派なスコップは? さっきまで持っていなかったよね?」
「それは組み立て式になっているんです。折りたためばバッグに入る大きさになります」
カシャン、カシャンと手際よくスコップを折りたたんでいく美須磨。
まるで斧か槍のような形状をした長さ八十センチ近いスコップが、瞬く間に大きめの文庫本か弁当箱かといったサイズに収納されてしまう。
「先端のスプーン部分だけをたたむと杖にもなります。足場が悪い場所でどうぞ」
何それ凄い。近頃のアウトドアグッズは進んでるんだな。
「なるほど、これは心強いな。有り難く借りておくよ」
「はい、何があるか予想できませんので。スコップさえあれば大抵のことはどうにかなります」
「よし、それじゃ改めて、洞窟探検に出発だ」
そうして、僕らは洞窟の中へと足を踏み入れていく。
僕は、美須磨が持っていた携帯栄養食を分けてもらい、精霊術により雪を解かしお湯を沸かし、ティーバッグの紅茶も淹れてもらって、随分久しぶりと感じられるティータイムを満喫していた。
ちなみに、当の美須磨自身は緑茶をお供に羊羹を食べている。優雅だな。
腰の下にはチェック柄でオレンジ色をしたレジャーシートが敷かれ、傍らには石壁を変形させ作られた灯り台にLED懐中電灯が固定されており、真っ暗な岩屋の内部を照らしている。
現在の恰好は、二人とも分厚いコートや手袋を脱ぎ、比較的ラフな恰好である。
ずっとフードとマスクに隠されていた美須磨の美貌や長く美しい黒髪はもちろん、優美な指先、年齢の割りにメリハリのあるボディラインをじろじろと見ないよう、必死に自分を抑えつける。
あれからいろいろと検証し、精霊術に関してはかなりのことが判明した。
最も驚かされたのは、やはり物理法則に縛られない――ように見える――効果の強力さだろう。
温度に関係なく水が状態を変える。可燃物が無くても火が燃える。気圧や重力もお構いなしに空気や地面が動いていく。
ただし、その効果については頼んだ精霊の裁量次第であり、通常の理から外れたことをやってもらおうとすればするほど、望んだ結果とは離れてゆき、ときには何も起こらなかったりする。
また、精霊という存在は総じて気分屋であまり頭も良くはなさそうだ。
頻繁に頼みごとをしたり、同じことを何度も頼んだり、複雑なことを頼んだりしても上手くはいかず、最悪の場合、しばらく何も言うことを聞いてくれなくなってしまう。
たとえば、この岩屋の大気圧――副次的に空気の濃度も――を適切に維持してもらうと三時間程度が限界、その間は他に頼みをしないくらいでないと続けて気圧維持を請け負ってもらえない。実質的に、風の精霊はほぼ専業状態となってしまっている。
対して、火の精霊にとって岩屋の気温維持というのは楽しい仕事のようで、最初に頼んでからもう十時間は経ち、日が暮れ、外の気温は大幅に下がっているにも拘わらず、未だ効果が切れる気配がない。それどころか合間に他のことを頼んでも快く応じてもらえる。
以上のことから分かる通り、効果時間も現象ごとにまちまちであるらしい。
この洞穴に入るときに築いた石段は、二時間ほどで気付いたときには影も形もなくなっていた。
ああ、ちなみに、時間については体内時計が目安である。何故かスマホの電源が入らないのだ。
これらに加え、頼む側との相性もありそうである。
どうやら僕は火と風が好相性であるらしく、複雑な頼みでも比較的聞き入れてもらいやすく、発揮される効果も高い。逆に、水と地に関してはかなり苦労させられている。
美須磨は僕の正反対で、火と風にはあまり頼みを聞いてもらえないが、水と地はツーカーかと言いたくなるレベルで自在に操ってみせる。
それ以外の精霊については……。
「そう言えば、結局、精霊は水、火、風、地の四種類しかいないのだろうか?」
「神さまはあらゆるものに対して命じられると仰っていましたけれど、今のところ、それ以外の精霊は呼びかけに応じてくださいませんね。もっと仲良くなる必要があるのかも知れません」
「仲良くか……」
確かにそういう印象だ。
まだ精霊たちとは付き合い始めたばかりではあるが、既に最初の頃と比べ、遙かに扱いやすく効果も安定してきている感がある。こちらの頼み方が要点を得てきたことも影響しているだろう。
更に回数をこなし、いろいろな頼みを聞いてもらうことで、やがて他の精霊たちも力を貸してくれるようになるのかも知れない。
「他にはどんな精霊がいるのだろうな。雪や雲が言うことを聞いてくれたら助かるんだが」
「くすっ、そうですね。山の精霊にお願いしたら麓まで下ろしていただけないでしょうか」
「筋肉通の精霊と肩こりの精霊には大人しくしていてほしい」
「あら、身体の中にまで精霊がいらっしゃるのですか? それでしたら疲労……病気……いえ、生命の精霊といったところでしょうか。お力を貸してくださったら頼もしそうですね」
こうして気楽に美須磨と話すのも久しぶりである。
既に夜だが、疲労と安堵感から昼間に眠ったせいもあり、一向に眠気が襲ってくる気配がない。
「さて、こう真っ暗ではできることもあまりないだろうが、眠くなるまで何かしていようか」
「そう言えば、実は一つ気になっていたことがあるんです。お手すきでしたら、少し調べるのにお付き合いいただけませんか?」
「ああ、いいとも。どんなことだい?」
「地の精霊に……その、呼ばれているような気がしていて」
そう言いながら立ち上がり、やや離れた奥の壁へ向かって歩いていく美須磨。
ぺたぺたと岩壁に触れながら「此処ですか? 何かあるのでしょうか」と呟いている。
一緒になって同じ辺りを調べてみるも、これといって変わった様子はないように思われる。
「ふむ、直接、精霊に聞けないのか?」
「そうですね、やってみます。地の精霊に我は請う――」
美須磨が請願を発した瞬間、目の前の岩壁にぽっかり穴が空く。
これだ。僕の場合はどんな精霊に対してもこうはいかないのだが、どうやら、水と地の精霊は彼女のことを助けたくて仕方ないらしく、何かにつけ忖度が見受けられる。
まぁ、その気持ちはよく分かる。
「こちらは別の洞窟のようです。たまたま近くを通っていたという感じですね」
「くり抜かれた岩盤は一メートルくらいか。先の壁はしっかりしている。ひとまず崩れたりする心配はなさそうだ」
「一本道に見えますけれど、どうしましょう。入ってみますか?」
「地の精霊はまだ呼んでいるのかい?」
「はい、より強く」
「……それじゃ、行ってみよう。荷物をまとめてくれ。僕は中の空気を入れ換えておく」
「分かりました」
風の精霊に頼んでみれば、そこまで深くはないのか、大気と気温はどうにかなりそうである。
危険なガスが溜まっていた場合に備え、洞窟内の空気は優先的に外へと排出させてゆく。
環境に関しては問題はないだろう。美須磨がいれば崩落などに見舞われる可能性も低い。一番怖いのは中で迷って戻ってこられなくなることだろうか。あー、異世界ということだし、危険な生き物が棲んでいることもありえるか? どこかの出口に繋がっているとしたら……だろうが。何があるにしても、最も親和性の高い地の精霊の導きならば、そう悪いことにはならないはずだ。
ちなみに、この異世界の物理法則や自然環境に関してだが、ここまで見てきた限り、おそらく地球とそう変わらないのではないかと思われる。もちろん精霊術や神ちゃん関連を別としてだが。
雪の高地という特殊環境なのでハッキリとは言いきれないものの、美須磨の学生用端末と僕のスマホだけ電源が入らないという不具合に見舞われていることを除けば、明らかに地球と異なる異常事態などは確認できていない。せいぜい巨大グマの死骸くらいである。
あらかじめ異世界と聞かされていなければ、ヒマラヤ山脈にでも飛ばされたかと思うところだ。
「先生、準備できました」
「ああ、それじゃ後ろから灯りで照らしていてくれるか。あと、精霊の声は聞き逃さないように」
「はい」
「よし、出発」
と、僕が足を踏み出そうとすると。
「あ、先生。暫しお待ちを」
どうしてか、美須磨が勢いを削いできた。
「ん? どうした。何か忘れ物か?」
「いえ、よろしければこちらをお持ちください」
そう言いながら彼女が差し出してきたのは、どこに隠されていたのか立派な作りのスコップと銀色に縁取りされた黒い革製の鞘に収められているサバイバルナイフ。
いや、本当にどこにあったんだ? ナイフは学園で手に入るようなものと思えない銃刀法違反レベルの見るからに危ない凶器だし、スコップに至っては彼女のショルダーバッグに入るような長さですらない。
「ナイフは、あの商店街で先生が倒された、反社会的な方が所持していた物を拾っておきました」
「ああ、あのヤンキー……Aかな? 太股打撃喰らわした……こんなの持ってたのか」
「えいさん? 桃缶? 通りの中央で転がっていた方です。すぐ近くに落ちていたものですから」
「この立派なスコップは? さっきまで持っていなかったよね?」
「それは組み立て式になっているんです。折りたためばバッグに入る大きさになります」
カシャン、カシャンと手際よくスコップを折りたたんでいく美須磨。
まるで斧か槍のような形状をした長さ八十センチ近いスコップが、瞬く間に大きめの文庫本か弁当箱かといったサイズに収納されてしまう。
「先端のスプーン部分だけをたたむと杖にもなります。足場が悪い場所でどうぞ」
何それ凄い。近頃のアウトドアグッズは進んでるんだな。
「なるほど、これは心強いな。有り難く借りておくよ」
「はい、何があるか予想できませんので。スコップさえあれば大抵のことはどうにかなります」
「よし、それじゃ改めて、洞窟探検に出発だ」
そうして、僕らは洞窟の中へと足を踏み入れていく。
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