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第一部: 終わりと始まりの日 - 第二章: 異世界の絶壁にて
第一話: 真っ白な世界で二人
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神ちゃんが運転するタクシーから投げ出された僕らは、走り去って……いや、飛び去っていくその車体を除き何一つ形ある物が存在しない、まるで遠くにある壁を真っ白なペンキでベタ塗りしたかのような空間で、重力?に従って自由落下を始める。
乗車中、身体はシートベルトによって座席に固定されていたのだが、後部座席のシート諸共に車外へと放り出された瞬間、触れてもいないのに勝手にベルトのロックが外れ、落ちていくのは僕と美須磨だけだ。
曲がりなりにも神の乗り物だろうに、無駄に凝った機械仕掛けだな、まったく。
地面も空も判別できない一面の白。目では上と下すら分からぬまま、身体を支える物も身体に触れる物もなく浮遊し、一方向へ高速落下していく感覚は『怖ろしい』なんて言葉じゃまったく言い表せない。
なにせ、今この瞬間にも真っ白な地面に激突するかも知れないのだ。
黒と白の違いはあるが、真夜中のスカイダイビングをすればこんな感じなのだろうか。いや、それでも何も目印がないということはないだろう。
ふと横に目を向ければ、共に落ちていく美須磨はあまり動じていない様子。
ショルダーバッグを飛んでいかないよう両腕で抱え、落下方向へ真っ直ぐ目を凝らしている。
フードとマフラーをはためかすその姿に、大空を舞う優雅な白鳥の翼を幻視し、僕は少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ぃすぁ……!」
美須磨に向かって声を掛けようとして声を張り上げるが、空気を斬り裂く轟音に遮られ、自分自身の声も聞き取りにくい。
ちょっと会話は無理そうだ。
一体どこまで落ちていくのだろう。
確かスカイダイビングだと、落下してから十秒ほどで落下速度が最高に達し、時速二〇〇キロ前後で自由落下していくらしい。
時速二〇〇キロメートル、すなわち秒速五十五・六メートルといったところなので、タクシーから放り出されて三十秒ほどか? 既にざっと一七〇〇メートル近く落下している計算になる。
……いや、分かってる。計算なんかする必要なく、フリーフォールで地面に墜落したらたった十数メートルの高さからでも人は死ぬ。
『おい、神ちゃん! どうなってんの? つまり墜死して生まれ変われってことなのか?』
そう心の中で叫んだ瞬間、ぽふわっ!っと身体が何か柔らかい物の中に突っ込み、通り抜ける。
感覚的にはふわふわとした綿の固まりでもぶつけられたような――いや、ほとんど抵抗がなく痛みもなかったので、海外映画に出てくる泡風呂にでも飛び込んだような、そんな感触も束の間、秒も刻まず通り抜けたその先は、またも一面の真っ白。
そこへ激突する。
――ずぼっ!
予想していた衝撃はなく、あたかも深く積もった雪にはしゃぎ、ただ身を投げ出したかのよう。
『ん? 雪? 冷たっ!? ……って言うか、本当に雪だ、これ』
「先生! 大丈夫ですか?」
反射的に受け身を取っていたのか、既に立ち上がった美須磨が、こちらに駆け寄ってくる。
その手を借りながら、身体全体が雪の中に埋まった状態から身を起こした。
すると、日本の雪降る夜を耐えきった防寒具であっても到底長くは保たないことを予感させる、強烈極まりない凍気が襲い掛かってきた。そして、同時に凄まじい息苦しさ。
「此処は……雪山のようですね」
「どう考えても危険な状況だな。とにかく体温を逃さないようにするんだ。フードを被って」
雪の八甲田山……と連想しそうになり、ゾッとしつつ頭の中から関連イメージを追い出す。
周囲に目を向ければ、煙霞に包まれた一面の銀世界、遥か彼方まで無数に連なる峻嶺。
遠く下方に見える峰のいくつかが雲から突き出しており、突如として襲い来たる極寒の冷気と息苦しさを鑑みれば、現在地が相当な標高を誇る雪山の上と容易に察することができた。
大した登山経験など無い僕には、実際の高度はまったく推測できないが、この場の空気が相当薄いこと、日本国内の冬とは比較にならないほど気温が低いことは間違いない。
大学時代、富士山に登った記憶を掘り出し、少なくともそれ以上ではないかと当たりを付ける。
本来、高山に登るためには、ある程度の標高に達するごとにゆっくり身体を環境に適応させ、段階を踏んでいかなければ、すぐに低酸素や気圧差から来る高山病で動けなくなってしまう。
そして、氷点を大きく下回る気温においては、日本の都市部で着るような防寒具など、大した助けにはならない。
にも拘わらず、僕らの行動に余裕があるように見えるのは、先刻までいた真っ白な空間の名残なのか、ぼんやりと二人の全身を覆う象牙色の淡い光のお蔭だろう。
不思議なことだが、その内側には、タクシーの車内で感じていた心地よい暖気と清浄な空気が――いや、神ちゃんと話している間はとてもそんな雰囲気はなかったが、ともあれ、熱と空気が緩やかに保持されているようなのだ。
が、その光は目に見えて薄れてきており、いつまでも守ってくれるわけではなさそうである。
「生まれ変わるって話じゃなかったのか、神ちゃんさー!」
「現在は嘆いても仕方ありません。早くどうにかしなければ」
「どうにかって言ったって、こんなのどうしようも……」
「……猶予は僅か……持ち物は……避難できる場所……! そうだ、雪洞を掘りましょう!」
「せつどう? あ、かまくらか!?」
雪国の冬の遊びとして知られるかまくらだが、同様の雪室を掘って寒さを凌ぐことは、雪山で遭難した登山家の間でも普通に行われる立派な野営手段である。
確かに、ひとまず寒さを凌ぐ拠点さえ確保できれば、多少の余裕は生まれるだろう。
と言うか、ほどなく高山病の兆候が現れ、僕らはろくに動けなくなるはずだ。
こちらも何とかしなければならない問題ではあるが、頑張って環境に順応するか、何処かから酸素を調達するか、山を下りるくらいしか解決策は存在せず、どれもすぐ実行可能な案ではない。
おそらく身体を使って何かできるチャンスは今この時が最後。ならば、優先すべきは住居。
美須磨の言葉により、僕もどうにかその結論に達する。
「実戦的なものは、確か山の斜面に深く積もった雪を利用して作るんだ」
「はい、急いで適した場所を見つけましょう」
転生?したことの影響なのか、これも不思議なことに、疲労、飢渇、眠気などは感じていない。
だが、この身に襲い来る寒さと息苦しさは加速度的に強さを増してきており、果たして雪洞を完成させるまで体力が保ってくれるかどうか。
……いやいや、悩むのは後だ。
僕らは現在立っている比較的なだらかな尾根を見渡し、深く積もった雪、僅かに見える岩肌、樹氷に飾られ点々と立つ雑木……をざっと確認しつつ、それらの先へと目を向けていく。
遠くに見えるは吸い込まれそうな深さの渓谷、ノコギリの如き険しさで伸びる稜線、剣の如く雲を貫き天を衝くいくつもの尖峰、上空には黒々とした分厚い雲が渦巻きながら留まっている。
幸い、雪は降っていないが、風はなかなかに強く、上空の雲の様子と山の天気が変わりやすいことを考えれば、いつ吹雪になってもおかしくなさそうだった。
本当に時間は無さそうだな。
乗車中、身体はシートベルトによって座席に固定されていたのだが、後部座席のシート諸共に車外へと放り出された瞬間、触れてもいないのに勝手にベルトのロックが外れ、落ちていくのは僕と美須磨だけだ。
曲がりなりにも神の乗り物だろうに、無駄に凝った機械仕掛けだな、まったく。
地面も空も判別できない一面の白。目では上と下すら分からぬまま、身体を支える物も身体に触れる物もなく浮遊し、一方向へ高速落下していく感覚は『怖ろしい』なんて言葉じゃまったく言い表せない。
なにせ、今この瞬間にも真っ白な地面に激突するかも知れないのだ。
黒と白の違いはあるが、真夜中のスカイダイビングをすればこんな感じなのだろうか。いや、それでも何も目印がないということはないだろう。
ふと横に目を向ければ、共に落ちていく美須磨はあまり動じていない様子。
ショルダーバッグを飛んでいかないよう両腕で抱え、落下方向へ真っ直ぐ目を凝らしている。
フードとマフラーをはためかすその姿に、大空を舞う優雅な白鳥の翼を幻視し、僕は少しだけ落ち着きを取り戻す。
「ぃすぁ……!」
美須磨に向かって声を掛けようとして声を張り上げるが、空気を斬り裂く轟音に遮られ、自分自身の声も聞き取りにくい。
ちょっと会話は無理そうだ。
一体どこまで落ちていくのだろう。
確かスカイダイビングだと、落下してから十秒ほどで落下速度が最高に達し、時速二〇〇キロ前後で自由落下していくらしい。
時速二〇〇キロメートル、すなわち秒速五十五・六メートルといったところなので、タクシーから放り出されて三十秒ほどか? 既にざっと一七〇〇メートル近く落下している計算になる。
……いや、分かってる。計算なんかする必要なく、フリーフォールで地面に墜落したらたった十数メートルの高さからでも人は死ぬ。
『おい、神ちゃん! どうなってんの? つまり墜死して生まれ変われってことなのか?』
そう心の中で叫んだ瞬間、ぽふわっ!っと身体が何か柔らかい物の中に突っ込み、通り抜ける。
感覚的にはふわふわとした綿の固まりでもぶつけられたような――いや、ほとんど抵抗がなく痛みもなかったので、海外映画に出てくる泡風呂にでも飛び込んだような、そんな感触も束の間、秒も刻まず通り抜けたその先は、またも一面の真っ白。
そこへ激突する。
――ずぼっ!
予想していた衝撃はなく、あたかも深く積もった雪にはしゃぎ、ただ身を投げ出したかのよう。
『ん? 雪? 冷たっ!? ……って言うか、本当に雪だ、これ』
「先生! 大丈夫ですか?」
反射的に受け身を取っていたのか、既に立ち上がった美須磨が、こちらに駆け寄ってくる。
その手を借りながら、身体全体が雪の中に埋まった状態から身を起こした。
すると、日本の雪降る夜を耐えきった防寒具であっても到底長くは保たないことを予感させる、強烈極まりない凍気が襲い掛かってきた。そして、同時に凄まじい息苦しさ。
「此処は……雪山のようですね」
「どう考えても危険な状況だな。とにかく体温を逃さないようにするんだ。フードを被って」
雪の八甲田山……と連想しそうになり、ゾッとしつつ頭の中から関連イメージを追い出す。
周囲に目を向ければ、煙霞に包まれた一面の銀世界、遥か彼方まで無数に連なる峻嶺。
遠く下方に見える峰のいくつかが雲から突き出しており、突如として襲い来たる極寒の冷気と息苦しさを鑑みれば、現在地が相当な標高を誇る雪山の上と容易に察することができた。
大した登山経験など無い僕には、実際の高度はまったく推測できないが、この場の空気が相当薄いこと、日本国内の冬とは比較にならないほど気温が低いことは間違いない。
大学時代、富士山に登った記憶を掘り出し、少なくともそれ以上ではないかと当たりを付ける。
本来、高山に登るためには、ある程度の標高に達するごとにゆっくり身体を環境に適応させ、段階を踏んでいかなければ、すぐに低酸素や気圧差から来る高山病で動けなくなってしまう。
そして、氷点を大きく下回る気温においては、日本の都市部で着るような防寒具など、大した助けにはならない。
にも拘わらず、僕らの行動に余裕があるように見えるのは、先刻までいた真っ白な空間の名残なのか、ぼんやりと二人の全身を覆う象牙色の淡い光のお蔭だろう。
不思議なことだが、その内側には、タクシーの車内で感じていた心地よい暖気と清浄な空気が――いや、神ちゃんと話している間はとてもそんな雰囲気はなかったが、ともあれ、熱と空気が緩やかに保持されているようなのだ。
が、その光は目に見えて薄れてきており、いつまでも守ってくれるわけではなさそうである。
「生まれ変わるって話じゃなかったのか、神ちゃんさー!」
「現在は嘆いても仕方ありません。早くどうにかしなければ」
「どうにかって言ったって、こんなのどうしようも……」
「……猶予は僅か……持ち物は……避難できる場所……! そうだ、雪洞を掘りましょう!」
「せつどう? あ、かまくらか!?」
雪国の冬の遊びとして知られるかまくらだが、同様の雪室を掘って寒さを凌ぐことは、雪山で遭難した登山家の間でも普通に行われる立派な野営手段である。
確かに、ひとまず寒さを凌ぐ拠点さえ確保できれば、多少の余裕は生まれるだろう。
と言うか、ほどなく高山病の兆候が現れ、僕らはろくに動けなくなるはずだ。
こちらも何とかしなければならない問題ではあるが、頑張って環境に順応するか、何処かから酸素を調達するか、山を下りるくらいしか解決策は存在せず、どれもすぐ実行可能な案ではない。
おそらく身体を使って何かできるチャンスは今この時が最後。ならば、優先すべきは住居。
美須磨の言葉により、僕もどうにかその結論に達する。
「実戦的なものは、確か山の斜面に深く積もった雪を利用して作るんだ」
「はい、急いで適した場所を見つけましょう」
転生?したことの影響なのか、これも不思議なことに、疲労、飢渇、眠気などは感じていない。
だが、この身に襲い来る寒さと息苦しさは加速度的に強さを増してきており、果たして雪洞を完成させるまで体力が保ってくれるかどうか。
……いやいや、悩むのは後だ。
僕らは現在立っている比較的なだらかな尾根を見渡し、深く積もった雪、僅かに見える岩肌、樹氷に飾られ点々と立つ雑木……をざっと確認しつつ、それらの先へと目を向けていく。
遠くに見えるは吸い込まれそうな深さの渓谷、ノコギリの如き険しさで伸びる稜線、剣の如く雲を貫き天を衝くいくつもの尖峰、上空には黒々とした分厚い雲が渦巻きながら留まっている。
幸い、雪は降っていないが、風はなかなかに強く、上空の雲の様子と山の天気が変わりやすいことを考えれば、いつ吹雪になってもおかしくなさそうだった。
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