異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

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第一部: 終わりと始まりの日 - 第一章: 地方都市郊外の学園にて

第五話: クリスマスパーティーの教師

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 オーケストラ部の楽団が演奏するバッハの名曲が終了すると、ダンス参加者たちはピクチャーポーズを解き、各々挨拶を交わしながらフロア外周部へと移動し始める。
 その中の一人として、僕もパートナーを務めてくれていた阿知波あちわをエスコートしていく。
 正直、頑張りすぎた。もう息も絶え絶えで一刻も早くドリンクを取りに行きたい……が、まだ気を抜くわけにはいかない。優雅な足取りで席に帰るまでがダンスなのである。ひーひー。

白埜しらの先生にしては結構なステップでしたこと。そのままご精進しょうじんなさったら、ダンス部の顧問もきっと務まりましてよ」
「それ、は、光栄……だね。ん? 阿知波は、ダンス部だっ……たかな?」
「わたくし、中等部までは在籍していたんですのよ。小等部の一年生からたしなんで参りましたの」
「なるほど、それは上手なわけだ。……何故、高等部では、入部しなかったんだい?」
「かねてより、お祖母ばあさまやお父さま、お母さまがずっとこのように仰ってくださっていたためですわ。十六歳になればもう大人であるから、何をし、何を為さぬかは自分自身で決めて良い。自身に恥じぬことであれば心のおもむくまま挑戦してみなさい、と」
「良いご家族じゃないか」
「当然ですわ。かくて、わたくしには始めてみたいことが山ほどございましたの。イタリア語に、声楽に、コンピュータプログラムに、香道に、ガーデニングに、グライダーに、他にもたくさん。だと申しますのに、人ひとりの授かったお時間はどうしても限られておりますでしょう?」

 ようやくドリンクバーへと到着し、スポーツドリンクが注がれたグラスを二つ手に取り、その片方を阿知波へと差し出す。
 彼女の立ち居振る舞いからはそれほど疲れは感じられないが、ダンスとはエレガントな印象に反してかなりハードな運動である。こまめな水分補給は重要だ。
 グラスを手渡し「ありがとう存じますわ」と礼を受けつつ、先の会話を続ける。

「まぁ、高等部の間に、それだけのことを学ぶとなると、時間はいくらあっても足りなそうだね。この学園なら設備に関しては十分だとしても」
「ですから、高等部への進学を機に、思いきって残さず辞めさせていただきましたの。それまで続けていたクラブ活動やお稽古事をみーんな」

 思い返せば、彼女は昨年度もいろいろな方面で活躍を見せていた。
 内心、随分ずいぶんと多芸な子だなとは思っていたが、あれでも厳選した上でのことだったとは。
 それでいて、苦労ばかり多く見返りが少ない学級委員長も務め、率先してクラスメイトの力となり、不甲斐ない担任教師のフォローまでしていたのだから頭が下がる。

「ありがとうな、阿知波あちわ
「んまぁ、やぶから棒にどうなさいましたの? その、ダンスパートナーのお礼なら、こちらから差し上げるのもやぶさかではありませんことよ。昨年は舞踏会の終わり間際までお見えにならず、学級委員長のわたくしを放って他のかたとばかり踊られていたことを思えば、まるで見違えるかのようでしたわ」
「んぐっ、それは、すまなかったよ。もう許してくれ……って、そうではなく。いや、その件も無関係ではないか。君には忙しい合間を縫って随分ずいぶんと助けてもらっていたんだなと改めて感じた。だから、いろいろとありがとう」
「そういったお話でしたら、どういたしましてですわ」

 阿知波は既に附属大ふぞくだいへの進学がほぼ決まっているらしい。
 なので、これから先も顔を合わせる機会くらいはあるにしても、たった一年ばかり担任だった教師のことなど、卒業後そう長く覚えていられるものでもないだろう。
 こんな風にゆっくり話ができる機会も次があるかどうか。

 少しばかり寂しく思いながら、彼女を友人らが待つ席まで送り届ければ、僕はお役御免となる。

 続けて他の生徒たちからダンスのお誘いを受けるが、既に三時間も踊り続け体力が限界のため、それらすべてを丁重にお断りし、一旦休憩をすると言う辻ヶ谷つじがや先生と連れ立って舞踏会の会場を後にした。



 舞踏会の会場となっている高等部第二体育館から外に出れば、来たときにはまだ日が出ていて明るかった光景が、すっかり日の落ちイルミネーションに彩られた夜景へと様変わりしている。
 門限が厳しい中等部の生徒はそろそろ仕舞いとなるため、どことなく名残惜しそうにしながら校外へと向かう小集団がいくつか見受けられる。
 クリスマスパーティーも一区切りと言ったところだ。

 ひょっとすると雪でも降るのだろうか? 日中はさほどでもなかった寒さが急速に力を増し、冬の夜風となって汗に濡れた身体からだより熱を奪っていく。

「寒いな。風邪を引かないうちに着替えてしまいましょう」
「そうっすね。僕の方は一服したらまたダンスしに戻るつもりですけど、ちとばかり楽な恰好になりたいっス」

 教員用ロッカールームに着いた僕たちは、備え付けのシャワールームで汗を流し、普段通りのカジュアルな恰好へと着替えた。
 ほとんど仮装と変わらない気分でいた燕尾服&長手袋から解放され、ようやく気が休まる。
 ただし、僕はこの後、男性教師の持ち回りによる見回り業務があるため、しっかり防寒対策もしなければならず、身体的にはさほど楽にならないのだが。

「僕は職員室に戻りますが、辻ヶ谷つじがや先生はどうします?」
「あー、職員室にスマホ忘れてきたんで取り行こうと思ってたんすよ。ご一緒します」
「え? スマホ待たずに何時間も遊んでたって。それ、お子さんの相手とか大丈夫なんですか?」
「娘には昼間付き合ったんすけど、嫁はちょっと怒ってるかもなぁ」
「はは、しかし毎年イヴに深夜まで拘束ですから、ここの教職員も大概ブラック入ってますよね」
「それな」

 まぁ、何かと面倒が多い職場だが、実のところ僕は言うほど不満を持っているわけではない。
 間違いなく教え子には恵まれているし、気が置けない同性の同僚もいる。やり甲斐や報酬面に関しても十分すぎるほどだ。
 こうして雇ってもらえていることには感謝しかないのである。


 そんなことを考えつつ職員室へ戻ると、そこは何やら非常に慌ただしい雰囲気に包まれていた。
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