異世界で遥か高嶺へと手を伸ばす 「シールディザイアー」

プロエトス

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第一部: 終わりと始まりの日 - 第一章: 地方都市郊外の学園にて

第三話: 理事長室、目を付けられる教師

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 コンコン、コン、コンとノックを四つ。
「入りたまえ」との声を受け、ドアを開けて理事長室へ入れば、正面奥の豪華な執務机エグゼクティブデスクを挟んでこちらを向く、でっぷり太っ……恰幅かっぷくの良い年配男性に迎えられた。

 あちらにおわす御仁ごじんこそ本学園の理事長、その人である。

 どうやら、室内にいるのは彼だけのようだ。
 左手の方には別の扉があるので、そっちの部屋に誰か控えていたりするのかも知れないが。

 正直なところ、僕はこの人物のことがいささか苦手だったりする。

 これまでろくに話したこともなく、間近で顔を合わせるのすら今回が初めてと言って良い。
 単に立場だけで言うのなら、学園教職員の採用に関して決定権を有すお方であり、このような場違いにも程がある職場で雇っていただけたことには常日頃から感謝の念をいだいているのだ。

 なんせ僕が就職活動をしてたのは世界金融危機リーマン・ショックも冷めやらぬ頃だったからね。
 当時はもう就職なんて一生できないんじゃないかと、ストレスで体重もガタ落ちするくらいで、そんなところをすくい上げてもらった大恩は、文字通り返しきれないと常々思っている。

 ……思っているんだけどなぁ。

白埜しらのです。遅れてすみませんでした。それで、どのようなご用件でしょうか?」
「ん? おー、おー、その鼻には見覚えがあるな。キミが白埜クンだったか。そうかそうか」
「……?」
「いや、なぁに、大したことではない。少しばかり話したいことがあって来てもらった。時間はあるかね」
「はい、今日はもう授業がありませんので、担当クラスのホームルームまでは空いています」
「ぶひゃひゃ、そりゃあ結構。掛けたまえ」

 理事長室に入ったのは初めてだが、この名門学園を運営する理事会の長――会社でたとえると社長その人が詰める部屋に相応ふさわしく、僕のような庶民の目から見ても調度品ひとつひとつにまでとんでもない金が掛けられていることが分かる。

 いや、このソファーもすごいな。横にならなくてもこのまま快適に寝られそうだ。
 僕が愛用している安アパートの部屋には不釣り合いな高級ベッドでも比較にならない。
 業者を雇って毎日掃除させているのだろうか? それとも、今は外しているだけで奥の部屋に使用人でも常駐しているのかな? 目の前に置かれたガラス張りのローテーブルには曇りや埃の一つすら見出みいだせず、そうした意味でも金が掛かった部屋と言えそうだよ。

「そう長くはならないだろうが、喉が渇いた。ワシは一杯やらせてもらおう。キミも飲むかね?」
「いえ、お気持ちだけで。まだ生徒たちの前に立たなければなりませんので」

 部屋の隅のキャビネットから見たこともない銘柄の、お高そうな洋酒の瓶を取り出す理事長。
 仕事中に酒!?と驚くものの、彼我ひがの階級が違いすぎてアリかナシかすら判断しがたい。

 組織のトップなのだからそういう自由もアリなのか。待て、校内で飲酒は普通にまずいだろう。やっぱりナシか。でも生徒と接する立場じゃないんだよな。勤務時間中に酒を飲むな……なんてわざわざ決められてるわけじゃなし。うーん、分からん。

 ともあれ、僕の方にこの場でご相伴しょうばんあずかるという選択肢は、考えるまでもなく存在しない。
 ……正直に言えば、初めて見るその洋酒の味には多少なりと興味をかれたけれども。

 理事長は、僕の答えを『さもありなん』と言わんばかりに受け流すと、これもまた見るからに上流階級ハイソな風格をかもし出すカットグラスを一つ用意し、手慣れた様子で酒をロックにしてあおる。

「ぶふぅ~っ……。さて、白埜しらのクン」

 おっと、少しぼけっとしていたようだ。集中集中。

「先月入った転校生の美須磨月子みすま つきこ、キミの組になったらしいな」
「は、はい、確かに僕が学級担任をさせていただいています。それが何か?」
「うむ、アレはワシが昔から何くれとなく気に掛けてやっとる家の娘でなぁ。どうかよろしくと先方に頼まれて本学園で引き取ってやることにしたんだが」
「はぁ」
「先ほど書類を確認しておったら、何やら担任が聞き覚えのない男の名になっておったんでな。これはどんな奴かじかに確認しておかねばなるまいと、キミを呼び出させたというわけだ」

 理事長の話を聞くにつれ、僕の背中と掌は冷や汗でびっしょり濡れていく。
 つまり、美須磨は理事長の可愛い孫娘みたいな間柄になるわけか?
 僕はそんなお嬢さんにたかる悪い虫……いや、待て待て。想ってるだけ。想ってるだけだから。気持ちを伝えたいとか、ましてや手を出そうなんて大それたこと全然考えてないから。そもそもバレてるわけないから。……でも、これ、バレたら殺されかねないやつだよな。

「で、アレはどうかね?」
「は? ど、どうとは?」
「だから上手くやっとるのかね」
「そんな、滅相もありません。とてもよく出来たお嬢様でありまして、僕のような――」
「出来が良いのは知っとる。だが、あの年まで俗世にまみれてきた娘だろう。由緒正しき我が校に馴染なじめるかどうかをワシは懸念けねんしとる」

 俗世って……、美須磨みすまが以前にいた高校も、国内トップクラスの進学率を誇る名門私立高校のはずなんだが。幼稚舎ようちしゃから大学まで一貫した全寮制女学園のうちとは違い、自宅より通学可能な普通の共学校なので、そういう意味で仰ってるだろうことはお察しするとしても。

 それにしたって、まるっきり尼寺とか修道院みたいなノリだ……いや、今更か。

 うちは名門校として通ってはいるものの、大学進学率や著名人の輩出といった功績はさしたるものではなく、聞こえは悪いが、政略結婚により上流階級を繋げてきた貴婦人たちの母校というブランドが認められてのことだったりする。
 それゆえ、生徒に求められるのは、何よりもまず礼儀作法。
 高い身分に見合う格式と教養を備えながら浮世の慣習には汚されていない淑女たちを箱入りで純粋培養すべく、可能な限り外界がいかいから切り離された聖域サンクチュアリー。それこそが本学園ここなのだった。

「はぁ、な、なるほど、その点でも心配はご無用かと。早くもクラスでは中心的な存在となっておりますし、寮での生活態度も極めて模範的だと聞いています」
「ぶひゃひゃひゃ! そうかそうか、それは良い。それは先が楽しみだ」

 何がツボに入ったのか、理事長は両手で膝を叩いて大笑いする。

「ま、育ちの悪いじゃじゃ馬であったなら、それはそれでしつけるのが楽しみというものだがな、きひっ。良いならそれに越したことはなかろうて。結構結構」

 こちらに対しての言葉ではない、愉悦に身体からだを震わせながらの呟きを聞き流しながら、これでご用件は済んだのだろうか? もう帰って良いのかな?と呑気に思っていると。

「あとは、そうだな。ぐふふふ、これも聞いておくか。キミ、アレをどう思う? 女としてだ。たとえばの話、キミだったら欲しいか?」
「……は? それは、一体……どういう……」
「そう真面目に考えんでも良い。ここだけの話だ。キミはあれだろう、特別枠で採用してやった奴だ。真面目で小心で実に良い。万が一にも生徒を疵物きずものにするような真似ができるとは思わん。そこは信用しとる」

 唐突な、まるで予想もしていなかった話題を振られ、一気に頭の芯まで冷める。
 あふれそうな悪感情を必死に抑え、混乱する頭を働かせ、なんとか「ありがとうございます」と返すことはできた。

 僕自身のことならば、何を言われようとも、取り立てて気にはしない。
 所詮、こういう人物にペコペコしながら生きていく他ないレベルの人間なのだから。
 でも、あの美須磨に一面的な価値しか認められない者の存在が、そしてそれが彼女の行く末を左右する立場にいるという事実が、ひどく悲しく……。

 おぞましかった。

「それで、どうだ? アレはちゃんと役に立ちそうか? ワシはまだ直接は見ておらんのだが、大層顔が良いらしいな」

 あー、ホントこの人。

「……えーっと、そうですね。美須磨月子みすま つきこを望まない男性はそういないんじゃないでしょうか。もちろん、僕も含めて」

 雇い主に対する最低限の敬意を払うのも億劫おっくうになり、かろうじてそう言うと、理事長はもはやこらえきれないという様子でバシバシと自分の膝を叩きながら大爆笑し、僕に退席をうながすのだった。



 この日より、僕はときどき理事長に呼び出されるようになり、意味があるのかも分からない、似たような会話に付き合わされることが増えた。
 理由はよく分からないのだが、何やら目を付けられてしまったらしい。やれやれだ。
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