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差出人S
常連客 2
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「あの。すみません」
けれど、その言葉を賑やかな声が遮った。
一組だけ残っていたテーブル席の客がレジ前に並んでいる。
「あ。はい。お会計しますね」
返事をして葉はレジ前に向かった。不自由な足を引きずる。痛みはない。ただ、いつもよりも少し、重い気がする。
もたつきながらレジに立って、わざとのようにゆっくりと一人一人バラバラで会計を済ませる。とはいっても、緑風堂の日替わりスイーツとお茶セットは一律600円(税込み)だから、会計にはあまり時間はかからない。
「ごちそうさま」
「美味しかったです」
「また来ます」
と、口々に言って女の子たちが去っていくまでにさほどの時間は必要なかった。
からん。と、ドアベルの音がして、喧騒が去っていく。テーブル客がいなくなると、本当に静かになった。それまではそんな音がしていたことに気付きもしなかったのに、外で時折鳴く、気の早い秋の虫の音が、遠く近く聞こえる。
「葉さん」
静かになった店内。晴興の声はよく響く。
「なんですか?」
年代物のレジの器機に目を落として、晴興の方を見ることはしないまま、葉は答えた。
「今夜は、川和さんはいらっしゃらないんですか?」
晴興と貴志狼は仲が悪い。
表面上、晴興の方はそれを態度の出すことはあまりないが、好きでないことくらいは言葉の端々から伝わってくる。職業柄ということもあるにはあるのだろう。けれど、理由の大部分は葉のことだ。
だから、晴興が貴志狼のことについて、話題を振ってくることはあまりない。
「あ。ええと。さっき、来るかもとLINEはあったけど……どうでしょう? 気まぐれだから」
晴興がどんな答えを期待しているのか、わからない。
ただ、半同棲状態なことを素直に話したら、あまりいい気分はしないと思う。
いや、もしかしたら、晴興の方はもう、完全に葉への思いなど断ち切っていて、他にいい人がいるのかもしれない。だから、これは純粋によく見かける貴志狼が今日はいないことをなんとなく口に出しただけなのかもしれない。それとも、いい年をしてそわそわ。と、恋人の来るのを待っている葉を揶揄っているのだろうか。
「……いつ来るかもわかんないですし」
そんなことを考えたから、本当は『仕事が済んだら、すぐそっちに行く』と、LINEがあったのだけれど、小さな嘘を吐いた。
「そうですか」
茶碗を口に運んで、晴興は言う。
「じゃあ、店がはけたら、お一人なんですね」
にこり。と、笑う。
「え? あ。まあ」
葉の嘘に気付いたという感じではないけれど、晴興の笑顔が少しだけ不自然に見えて、葉は言い淀んだ。
「あ。猫はいますけどね」
そして、そこに少しだけ不穏な色合いが見えた気がして、葉はわざとおどけた調子で付け加える。
「ああ。そうでしたね」
そう答えた顔は、笑ってはいなかった。
「葉さんに。お話したいことがあるんですが……」
ちら。と、晴興はもう一人カウンターに座っている客に目を向けた。
その人物は葉がカフェの真似事を始めた頃からの古い常連の一人で、わりと頻繁に店に来る。甘いものは好まないのか、カウンター席に座って、肩掛けのカバンを脇に置いて、その影に隠れるようにして文庫本のような小さな本を開いて読んでいる。大人しい人物だ。
「店がはけたら、少しお時間いただいていいですか?」
光興の言葉に、がたん。と、音をさせて、もう一人の常連は席を立った。
けれど、その言葉を賑やかな声が遮った。
一組だけ残っていたテーブル席の客がレジ前に並んでいる。
「あ。はい。お会計しますね」
返事をして葉はレジ前に向かった。不自由な足を引きずる。痛みはない。ただ、いつもよりも少し、重い気がする。
もたつきながらレジに立って、わざとのようにゆっくりと一人一人バラバラで会計を済ませる。とはいっても、緑風堂の日替わりスイーツとお茶セットは一律600円(税込み)だから、会計にはあまり時間はかからない。
「ごちそうさま」
「美味しかったです」
「また来ます」
と、口々に言って女の子たちが去っていくまでにさほどの時間は必要なかった。
からん。と、ドアベルの音がして、喧騒が去っていく。テーブル客がいなくなると、本当に静かになった。それまではそんな音がしていたことに気付きもしなかったのに、外で時折鳴く、気の早い秋の虫の音が、遠く近く聞こえる。
「葉さん」
静かになった店内。晴興の声はよく響く。
「なんですか?」
年代物のレジの器機に目を落として、晴興の方を見ることはしないまま、葉は答えた。
「今夜は、川和さんはいらっしゃらないんですか?」
晴興と貴志狼は仲が悪い。
表面上、晴興の方はそれを態度の出すことはあまりないが、好きでないことくらいは言葉の端々から伝わってくる。職業柄ということもあるにはあるのだろう。けれど、理由の大部分は葉のことだ。
だから、晴興が貴志狼のことについて、話題を振ってくることはあまりない。
「あ。ええと。さっき、来るかもとLINEはあったけど……どうでしょう? 気まぐれだから」
晴興がどんな答えを期待しているのか、わからない。
ただ、半同棲状態なことを素直に話したら、あまりいい気分はしないと思う。
いや、もしかしたら、晴興の方はもう、完全に葉への思いなど断ち切っていて、他にいい人がいるのかもしれない。だから、これは純粋によく見かける貴志狼が今日はいないことをなんとなく口に出しただけなのかもしれない。それとも、いい年をしてそわそわ。と、恋人の来るのを待っている葉を揶揄っているのだろうか。
「……いつ来るかもわかんないですし」
そんなことを考えたから、本当は『仕事が済んだら、すぐそっちに行く』と、LINEがあったのだけれど、小さな嘘を吐いた。
「そうですか」
茶碗を口に運んで、晴興は言う。
「じゃあ、店がはけたら、お一人なんですね」
にこり。と、笑う。
「え? あ。まあ」
葉の嘘に気付いたという感じではないけれど、晴興の笑顔が少しだけ不自然に見えて、葉は言い淀んだ。
「あ。猫はいますけどね」
そして、そこに少しだけ不穏な色合いが見えた気がして、葉はわざとおどけた調子で付け加える。
「ああ。そうでしたね」
そう答えた顔は、笑ってはいなかった。
「葉さんに。お話したいことがあるんですが……」
ちら。と、晴興はもう一人カウンターに座っている客に目を向けた。
その人物は葉がカフェの真似事を始めた頃からの古い常連の一人で、わりと頻繁に店に来る。甘いものは好まないのか、カウンター席に座って、肩掛けのカバンを脇に置いて、その影に隠れるようにして文庫本のような小さな本を開いて読んでいる。大人しい人物だ。
「店がはけたら、少しお時間いただいていいですか?」
光興の言葉に、がたん。と、音をさせて、もう一人の常連は席を立った。
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