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告。新入生諸君
9 第4898回演習 1
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本来。『クモ』は危険度D程度の敵だ。電算部のメンバーであれば宙以外は一人でも苦戦することはない。わかりやすい弱点もあるし、取り付かれさえしなければ攻撃力も大したことがない。しかも、特別素早いというわけでもない。目視している状態で対処できない相手ではないのだ。
「腕。離して」
燈はできるだけ冷静に茉優に言った。
燈であれば、足手まといを背負ったところで戦闘することには問題ない。要救助者を救出するタイプのミッションも何度も経験している。茉優が『攻撃しろ』と許可をくれれば、すぐに終わる話だ。
いつもなら。
「燈先輩……たすけて」
涙目になって、茉優が見上げている。
腕を離す気はないらしい。
「そこ。握られてたら助けられない」
語気を強めて、燈は言った。
電算部において、仮想現実演習の中で、能力の補正は認められていないと、先述したが、すべての能力補正が認められていないわけではない。
「離せ」
怒鳴るように言って、燈は茉優を突き飛ばした。
同時に、何の予備動作もなく『クモ』の触手が伸びてくる。どさ。と、音を立てて茉優が床に倒れこむころには、燈が突き飛ばさなければ彼女がいただろう場所に伸縮し、形を変える触手が到達していた。
「いた……っ」
床に倒れた茉優が顔を上げる。その顔に何か液体が飛び散った。
現在、燈には一年前、電算部に入部した当時と同程度まで能力の下方修正がなされている。だから、スマートに茉優を守る余裕も、触手を完全に避けるほどの身体能力もない。
「あかりせ……んぱ」
彼女が呆然と呟く先、彼女を突き飛ばした腕にはすでに肘から先がなかった。燈の手には愛用の幅の広い短剣が握られている。本来は二本で一対のものだ。右手に握られたその刃先からは赤い液体が滴っている。
腕のなくなった部分は燈が自分自身で切り離したのだ。脳まで乗っ取られないために。
「何度やっても……慣れねえな」
スレイヤーを目指していて、怪我と無縁などということはあり得ない。燈も重傷を負ったことは何度もある。そんな燈でもこの痛みを現実と見分けることはできない。だから、痛みに燈は顔をしかめた。ポーカーフェイスを貫けるような余裕はもちろんない。ちら。と、見やると、『クモ』の触手が自分の腕だったもの本体の方に運んでいくのが見える。
「燈先輩っ」
不意に立ち上がった茉優が燈の方に走りだした。途中で躓きかけて、それでも彼女は駆け寄ってくる。
「治癒の伍。湧水。せせらぎ。天泣。どうか。癒して」
燈の傷に手をかざして茉優が震える声で言う。一瞬で傷口から溢れ出していた血液が止まる。わずかだが痛みも緩和されているようだと思う。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで……」
回復役としては悪くない能力値だ。と、どこか冷静に燈は考えていた。
魔法には決まりきった言葉はない。詠唱ではなく、今から自分がすることの宣言と、それぞれのエレメントの力を持つ言霊と、魔法の言葉がここまでで終わりましたという締めの言葉で構成される場合が多い。個人の好みで締めの言葉は省くことも可能だし、言霊は魔法の効力を上げるためのものなのでなくてもいい。反対に効力を高めたければ、増やすことも可能だが、一つの言霊を使うと同じ言霊を使うためにはリキャストにかなりの時間を要する。ちなみにそのリキャストタイムの長さは完全に個人差だし、使える言霊の数も個人によって異なる。さらには、同じ言霊でも完全に個人的な相性で強さが全く異なるのだ。
魔法による治癒は強すぎるとかえって身体の内部に歪を生んで下手をすれば死に至ることすらある。自分のせいで他人が傷ついたときには必要以上の魔法を使ってしまうことはままあることだ。けれど、彼女は、思ったよりも冷静に必要な効果の魔法の強さを計算できている。
「謝罪はいらない。次が来る」
燈の腕を弄んでいた、否、食っていた『クモ』がぽい。と、中身がなくなったそれを投げ出す。べしゃ。と、音がして、投げ出された腕は水の詰まったビニール袋が地面にたたきつけられるように落ちて破裂した。そうやって、『クモ』は内側から水分と表皮だけをそのままに獲物を食うのだ。
「どうする?」
『クモ』と、茉優の間に立って、燈は聞いた。
できることは限られている。この腕で全力で戦うのは無理かもしれない。痛みのあまり額を汗が流れ落ちる。
それでも、燈は逃げだす気はない。勝てる見込みが全くないわけではないからだ。
「……加護の八。日輪。灯。天の階。どうか。力を」
言葉と同時に、茉優の手が光に包まれた。加護。は、個人の持つ身体能力を一時的に高めたり、苦痛やデバフを無効にしたりする魔法だ。
「燈先輩……守って」
その手が燈の残った右手に触れる。身体に力が流れ込んでくるような気がした。一瞬遅れて、傷の痛みが感じられなくなる。
「……わかった。下がってて」
茉優の言葉に、燈は頷いた。持っていた短剣を握り直す。
ゆらり。と、『クモ』の触手が揺れたのが見えた。
「腕。離して」
燈はできるだけ冷静に茉優に言った。
燈であれば、足手まといを背負ったところで戦闘することには問題ない。要救助者を救出するタイプのミッションも何度も経験している。茉優が『攻撃しろ』と許可をくれれば、すぐに終わる話だ。
いつもなら。
「燈先輩……たすけて」
涙目になって、茉優が見上げている。
腕を離す気はないらしい。
「そこ。握られてたら助けられない」
語気を強めて、燈は言った。
電算部において、仮想現実演習の中で、能力の補正は認められていないと、先述したが、すべての能力補正が認められていないわけではない。
「離せ」
怒鳴るように言って、燈は茉優を突き飛ばした。
同時に、何の予備動作もなく『クモ』の触手が伸びてくる。どさ。と、音を立てて茉優が床に倒れこむころには、燈が突き飛ばさなければ彼女がいただろう場所に伸縮し、形を変える触手が到達していた。
「いた……っ」
床に倒れた茉優が顔を上げる。その顔に何か液体が飛び散った。
現在、燈には一年前、電算部に入部した当時と同程度まで能力の下方修正がなされている。だから、スマートに茉優を守る余裕も、触手を完全に避けるほどの身体能力もない。
「あかりせ……んぱ」
彼女が呆然と呟く先、彼女を突き飛ばした腕にはすでに肘から先がなかった。燈の手には愛用の幅の広い短剣が握られている。本来は二本で一対のものだ。右手に握られたその刃先からは赤い液体が滴っている。
腕のなくなった部分は燈が自分自身で切り離したのだ。脳まで乗っ取られないために。
「何度やっても……慣れねえな」
スレイヤーを目指していて、怪我と無縁などということはあり得ない。燈も重傷を負ったことは何度もある。そんな燈でもこの痛みを現実と見分けることはできない。だから、痛みに燈は顔をしかめた。ポーカーフェイスを貫けるような余裕はもちろんない。ちら。と、見やると、『クモ』の触手が自分の腕だったもの本体の方に運んでいくのが見える。
「燈先輩っ」
不意に立ち上がった茉優が燈の方に走りだした。途中で躓きかけて、それでも彼女は駆け寄ってくる。
「治癒の伍。湧水。せせらぎ。天泣。どうか。癒して」
燈の傷に手をかざして茉優が震える声で言う。一瞬で傷口から溢れ出していた血液が止まる。わずかだが痛みも緩和されているようだと思う。
「ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで……」
回復役としては悪くない能力値だ。と、どこか冷静に燈は考えていた。
魔法には決まりきった言葉はない。詠唱ではなく、今から自分がすることの宣言と、それぞれのエレメントの力を持つ言霊と、魔法の言葉がここまでで終わりましたという締めの言葉で構成される場合が多い。個人の好みで締めの言葉は省くことも可能だし、言霊は魔法の効力を上げるためのものなのでなくてもいい。反対に効力を高めたければ、増やすことも可能だが、一つの言霊を使うと同じ言霊を使うためにはリキャストにかなりの時間を要する。ちなみにそのリキャストタイムの長さは完全に個人差だし、使える言霊の数も個人によって異なる。さらには、同じ言霊でも完全に個人的な相性で強さが全く異なるのだ。
魔法による治癒は強すぎるとかえって身体の内部に歪を生んで下手をすれば死に至ることすらある。自分のせいで他人が傷ついたときには必要以上の魔法を使ってしまうことはままあることだ。けれど、彼女は、思ったよりも冷静に必要な効果の魔法の強さを計算できている。
「謝罪はいらない。次が来る」
燈の腕を弄んでいた、否、食っていた『クモ』がぽい。と、中身がなくなったそれを投げ出す。べしゃ。と、音がして、投げ出された腕は水の詰まったビニール袋が地面にたたきつけられるように落ちて破裂した。そうやって、『クモ』は内側から水分と表皮だけをそのままに獲物を食うのだ。
「どうする?」
『クモ』と、茉優の間に立って、燈は聞いた。
できることは限られている。この腕で全力で戦うのは無理かもしれない。痛みのあまり額を汗が流れ落ちる。
それでも、燈は逃げだす気はない。勝てる見込みが全くないわけではないからだ。
「……加護の八。日輪。灯。天の階。どうか。力を」
言葉と同時に、茉優の手が光に包まれた。加護。は、個人の持つ身体能力を一時的に高めたり、苦痛やデバフを無効にしたりする魔法だ。
「燈先輩……守って」
その手が燈の残った右手に触れる。身体に力が流れ込んでくるような気がした。一瞬遅れて、傷の痛みが感じられなくなる。
「……わかった。下がってて」
茉優の言葉に、燈は頷いた。持っていた短剣を握り直す。
ゆらり。と、『クモ』の触手が揺れたのが見えた。
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