遠くて近い世界で

司書Y

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3 勝者は嗤う 1

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 その細い指がサングラスを掴んで、そっと綺麗な所作で顔から抜き取る。ほう。と、誰かがため息をついた。伏せている長いまつ毛まで綺麗な翠色だからだ。
 スイはサングラスをたたんで胸のポケットにしまうと、顔を上げた。まっすぐに代議士を見る。
 代議士もスイの顔を見ていた。おそらくは、見とれているのだ。どんなに贅沢に慣れてしまったものでも、その色に心を奪われないものなどいない。
 ユキは思う。
 いつもなら、見せびらかしたいと思うような綺麗な宝石。まさに翡翠。大丈夫。と、スイは言うけれど不快だ。こんなジジイにユキの宝物を見せたくはない。

「ほう。希少種か」

 その言葉は差別用語だ。戦争以前、頻繁に使われていた薬品の後遺症で身体に特殊な特徴が遺伝する人々のことを心無い輩はそう呼ぶ。本来なら政治家が使うべき言葉ではない。
 しばらく、不躾にスイの顔や身体を観察してから、代議士はスイに手を伸ばした。
 そのしわがれた手が、スイの手首を掴む。もちろん、スイはきっと、避けることもできたはずだ。それでも、スイはそれを避けず、されるままになっていた。

「いくらだ? 言い値で買ってやる」

 思うより先に身体が動いていた。我慢の限界だった。多分、アキも同じだったと思う。ほんの一瞬。ユキの方が早く動いたというだけだ。そして、そのユキの動きを止められるものなど存在しない。存在しないはずだった。
 それなのに、スイの手を握っている代議士の腕に触れようとしたとき、その手が握られた。乱暴にではない。優しく。

「大丈夫。って、言っただろ?」

 スイの手が、ユキの手を掴んで、代議士に触れるのを止めていた。
 きっと、ユキが我慢できなくなることなどスイにはお見通しだったのだろう。だからこそ、止められたのだとも言える。けれど、スイの表情は怒るどころか嬉しそうだった。
 言葉にはしない。けれども、唇が『ありがと』と、動く。

「言い値。ですか?」

 ユキの顔を見て微笑んでから、そのままの表情でアキの顔を振り返って、それから、代議士の顔に視線を移した時にはスイの表情は全く別物になっていた。

「俺は。安くないですよ?」

 毒のある花。
 白いリコリスが思い浮かぶ。
 そんな妖艶な笑顔だ。それは、今日彼がこの下衆な警護対象に初めて向けた感情のこもった顔だった。

「は。私を誰だと思ってる? 一般人が考え付く程度の金が払えんと思っているのか?」

 スイの笑顔に代議士は厭らしい笑みを返す。きっと、スイのことを金か暴力で動かせる類の人間だと誤解したのだろう。そんなはずがないのに。

「それなら……副首相の座。でお願いします」

 そう言ってから、スイは代議士の耳元に唇を寄せた。
 そうして、ユキには聞こえない声で何かを囁く。
 そうすると、見る見るうちに代議士の表情は変わっていった。

「き……貴様」

 ぶるぶる。と、震えながら、代議士がスイを見ている。怒りだろうか。否、それは、どちらかというと怯えているように見えた。
 目の前にいる華奢な青年は、豪傑の名をほしいままにした政界の暴れん坊をこれほどまでに怯えさせるような何を囁いたのだろう。

「離してもらえます?」

 スイを睨みつけている代議士の視線などそよ風に吹かれるように受け流して、スイが言う。けれど、代議士はその手を離そうとはしない。必死の抵抗のように思えるが、額には汗が滲んで、息が浅い。動揺は隠しきれていなかった。
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