遠くて近い世界で

司書Y

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2 見せつけられるだけの簡単なお仕事 6

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「何か?」

 その最低限の一言に背筋が凍るような嫌悪が込められているのだと、ユキにはわかる。スイは本当に嫌なことがあると全くの無表情になる。嫌なことを淡々となるべく早く通り過ぎてしまおうとしているのだ。

「名前は?」

 そんなスイの心情などお構いなしに代議士は問うた。

「田中と申します」

 スイは答えた。
 もちろん、『田中』は偽名だ。ハウンドをしているものは仕事中、偽名を使っているものも多いから、規約に違反しているようなことはないし、文句を言われる筋合いはない。だから、きっと、スイが呼ばれているのは偽名のことを指摘するためではないはずだ。

「歳は?」

 代議士の視線がスイの上から下までを値踏みするように移動する。ぎり。と、聞こえた音は、アキが奥歯を嚙み締めた音だったのだろうか。

「その質問にお答えするのは、業務上必要なことでしょうか?」

「私が聞いているんだ。君は質問に答えればいい」

 スイの答えに被せるようにして、代議士は言った。びりびり。と、窓ガラスが震えそうなほど、威厳のある声だ。さっきまで水商売の女に甘えていたジジイと同じ人物とは思えない。それは政界の中心部までのし上がった政治家に相応しい声だった。

「泥水に足を突っ込んだような連中が明るい街の中を歩けるのが誰のおかげだと思っているんだ? 特殊業務? 規制をかけるのはさぞかし簡単だろうな」

 く。と、代議士は喉の奥で笑う。
 確かにハウンドなど汚れ仕事だ。政治家がその気になれば、昼間の街を堂々と歩けなくなる立場だとはわかっている。

「28歳です」

 表情を変えないまま、スイは答えた。それでも、スイはそんな脅しに屈したわけではない。政治家に圧力をかけられるくらい、きっと、スイにとっては電車で隣に座った若者のイヤホンから多少音漏れしている程度にしか気になりはしないだろう。
 それでも彼が質問に偽りなく答えたのは、その代議士が電車で隣に座った若者と同じで、目的地に着いたらいなくなると分かっているからだ。

「28? 嘘をつくな。未成年か? サングラスを外して見せろ」

 しかし、スイがどれくらい自分のことを蔑んでいるかなど気付きもせず、彼が思い通り返事をしたことに満足したように代議士は笑う。嫌な笑い方だ。確かにスイは童顔だけれど、さすがにスーツを着ていて未成年に見えることはない。おそらく、これはただの嫌がらせだ。
 びり。と、空気に氷の粒が混ざったような感覚がした。

 殺気だ。

 と、思う。触れたらそれだけで真っ二つになりそうな抜身の刃のような気配。
 横に視線を移すと、アキがサングラスに手をかけている。アキは護衛や警備の仕事の時は必ずサングラスをかけている。視線を悟られないためだ。それを外そうとしている意味をユキは正確に理解していたし、知らず知らずのうちに掌に爪の跡がくっきり残るほど、自分が拳を握り締めていたのだと、その時に気付いた。

 しかし、す。と、スイの手が一瞬アキの方へ向いた。それは、彼がサングラスを外す所作の中に入り込んでいたのだけれど、アキへのメッセージだとアキもユキも気付いた。それから、やはりサングラスを外す動作の中に紛れ込むような形で彼は二人に視線を送る。そして、その口が小さく動いた。

 だいじょうぶ。

 サングラスを外すと、その翡翠の色の目が露になった。
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