遠くて近い世界で

司書Y

文字の大きさ
上 下
373 / 414
Nc2t2C

2 見せつけられるだけの簡単なお仕事 5

しおりを挟む
 予定ではお忍びデートは昼食をとって12時には終了。そのあとは事後処理をして13時には解散予定だった。
 しかし、時刻は既に14時を回ろうとしていた。
 キャバ嬢はあれがほしい。これがほしい。と、いちいち我儘を言い出すし、代議士の方は外では『孫の買い物に付き合ってやっているおじいちゃん』の体でいてくれればいいのに、どこでも盛ってキャバ嬢の身体を触りまくる。そのたびに対処を求められるうえに、近くで殺人事件の被害者とおぼしき遺体が見つかったらしく、規制で道路は混むし、身分証の提示は求められるしで行程が遅れまくっているのだ。

 本当なら今頃。
 ユキは小さくため息をつく。
 家でさっさと着替えだけ済ませて、スイと出かけるはずだった。
 15時からの映画を見て、どこかでスイが大好きな甘いものを食べて、一緒に買い物をして、食事をして。ありきたりなデートコースだけれど、スイと二人でいられるなら十分だ。
 それに今日はもう一つ。心に決めていたことがあるのだ。
 スイと二人でどうしてもしたいこと。
 それを言い出す覚悟を決めてきたというのに、この体たらくである。

 その上。だ。

「ちーちゃん。姫。ちょっとお化粧直してくるね」

 そういって、キャバ嬢は立ち上がった。随分とトイレの回数は多い。いや、多い理由は分かる。この惨状にストレスが溜まらないわけがない。いくら仕事だと割り切っていても、離れたいと思うのは当然だ。
 フロアの警護担当者のリーダー役のハウンドがす。と、手を上げると、警護に参加している女性ハウンドが頷いてから、トイレに向かうキャバ嬢の後を追いかける。彼女がトイレの方へと姿を消すと、一人取り残された代議士が、ひら。と、手を振って指示を出していたリーダーのハウンドを呼んだ。

 呼ばれたハウンドが近くまでくると、代議士はその男にしばらく何かを耳打ちしているようだった。
 時間にしてほんの十秒ほど。しかし、その間に耳打ちされたハウンドの表情は複雑に変わる。まず、驚いたような表情で代議士の顔を見つめる。彼が鬱陶しそうな顔をすると、非礼を詫びるように頭を下げた。代議士がさらに何かを囁くと、次第に眉間にしわを深くして、怒ったような、困ったような顔をしてから、ため息をつく。それでも、決心したように代議士に向かって二言三言耳打ちをすると、今度は代議士の方が表情を変えた。完全に不機嫌な顔だ。

「金は払っているだろう?」

 そんな言葉が聞こえてきた。さっきまでの甘えた声と同一人物とは思えない。恫喝するような声だ。

「……わかりました」

 おそらくは恫喝に引いたわけではない。何度か会ったことがあるそのハウンドは腕も評判もいい。良識も持ち合わせているし、素人に胆で押し負けるような人物ではないとユキも知っていた。それでも引いたのはおそらく、面倒ごとはごめんだと思ったからだろう。もしかしたら、彼も早くこの仕事から解放されたかったのかもしれない。

「田中」

 彼は振り返った。
 その視線の先にはユキのよく知っている人がいる。

「……はい」

 その人物はほかのハウンドと同じように黒いスーツを着ていた。身長は高くない。スーツの上からでもその身体が細いのは分かる。露出はほとんどないけれど、襟元や袖口からわずかに覗く肌は白く、今回の仕事は女性のハウンドも参加しているが、その誰よりも華奢かもしれない。
 今日は長い髪を綺麗に頭の後ろでまとめていて、白いうなじや顎のラインがよく見える。はっとするほどに滑らかだけれど、女性とは違う。サングラスをしているから、目元は見えない。けれど、そのサングラスの下の瞳がきれいな翡翠の色だとユキは知っていた。
 もちろん、その人の本当の名前がその瞳の色と同じだということもユキは誰よりもよく知っている。

「こっちへ」

 命令とも要請ともとれる言葉でリーダーのハウンドはスイを呼んだ。

「それは、業務でしょうか?」

 す。と、姿勢よく立ったまま、警戒を命じられている方向から目を逸らすことすらせずに、スイが問いかえす。表情は全く変化がない。
 スイと代議士を見比べて、リーダーはため息をついた。

「業務。と、とってもらっても構わない」

 その言葉に表情を変えたのは、スイではなく、アキだ。あからさまに嫌そうな顔をして、代議士を見つめてから、リーダーのハウンドの男を睨みつけた。
 しかし、アキが口を開こうとしたのを制するように小さく片手をあげて、スイは一歩歩みだした。アキとユキにだけ分かるように少しだけ視線を寄越して、かすかに微笑む。
 それから、まっすぐに歩いて行って、代議士の前に立ったのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

たしかなこと

大波小波
BL
 白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。  ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。  彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。  そんな彼が言うことには。 「すでに私たちは、恋人同士なのだから」  僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

神子は再召喚される

田舎
BL
??×神子(召喚者)。 平凡な学生だった有田満は突然異世界に召喚されてしまう。そこでは軟禁に近い地獄のような生活を送り苦痛を強いられる日々だった。 そして平和になり元の世界に戻ったというのに―――― …。 受けはかなり可哀そうです。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

彩雲華胥

柚月なぎ
BL
 暉の国。  紅鏡。金虎の一族に、痴れ者の第四公子という、不名誉な名の轟かせ方をしている、奇妙な仮面で顔を覆った少年がいた。  名を無明。  高い霊力を封じるための仮面を付け、幼い頃から痴れ者を演じ、周囲を欺いていた無明だったが、ある出逢いをきっかけに、少年の運命が回り出す――――――。  暉の国をめぐる、中華BLファンタジー。 ※この作品は最新話は「カクヨム」さんで読めます。また、「小説家になろう」さん「Fujossy」さんでも連載中です。 ※表紙や挿絵はすべてAIによるイメージ画像です。 ※お気に入り登録、投票、コメント等、すべてが励みとなります!応援していただけたら、幸いです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

私の庇護欲を掻き立てるのです

まめ
BL
ぼんやりとした受けが、よく分からないうちに攻めに囲われていく話。

処理中です...