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Nc2t2C
2 見せつけられるだけの簡単なお仕事 5
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予定ではお忍びデートは昼食をとって12時には終了。そのあとは事後処理をして13時には解散予定だった。
しかし、時刻は既に14時を回ろうとしていた。
キャバ嬢はあれがほしい。これがほしい。と、いちいち我儘を言い出すし、代議士の方は外では『孫の買い物に付き合ってやっているおじいちゃん』の体でいてくれればいいのに、どこでも盛ってキャバ嬢の身体を触りまくる。そのたびに対処を求められるうえに、近くで殺人事件の被害者とおぼしき遺体が見つかったらしく、規制で道路は混むし、身分証の提示は求められるしで行程が遅れまくっているのだ。
本当なら今頃。
ユキは小さくため息をつく。
家でさっさと着替えだけ済ませて、スイと出かけるはずだった。
15時からの映画を見て、どこかでスイが大好きな甘いものを食べて、一緒に買い物をして、食事をして。ありきたりなデートコースだけれど、スイと二人でいられるなら十分だ。
それに今日はもう一つ。心に決めていたことがあるのだ。
スイと二人でどうしてもしたいこと。
それを言い出す覚悟を決めてきたというのに、この体たらくである。
その上。だ。
「ちーちゃん。姫。ちょっとお化粧直してくるね」
そういって、キャバ嬢は立ち上がった。随分とトイレの回数は多い。いや、多い理由は分かる。この惨状にストレスが溜まらないわけがない。いくら仕事だと割り切っていても、離れたいと思うのは当然だ。
フロアの警護担当者のリーダー役のハウンドがす。と、手を上げると、警護に参加している女性ハウンドが頷いてから、トイレに向かうキャバ嬢の後を追いかける。彼女がトイレの方へと姿を消すと、一人取り残された代議士が、ひら。と、手を振って指示を出していたリーダーのハウンドを呼んだ。
呼ばれたハウンドが近くまでくると、代議士はその男にしばらく何かを耳打ちしているようだった。
時間にしてほんの十秒ほど。しかし、その間に耳打ちされたハウンドの表情は複雑に変わる。まず、驚いたような表情で代議士の顔を見つめる。彼が鬱陶しそうな顔をすると、非礼を詫びるように頭を下げた。代議士がさらに何かを囁くと、次第に眉間にしわを深くして、怒ったような、困ったような顔をしてから、ため息をつく。それでも、決心したように代議士に向かって二言三言耳打ちをすると、今度は代議士の方が表情を変えた。完全に不機嫌な顔だ。
「金は払っているだろう?」
そんな言葉が聞こえてきた。さっきまでの甘えた声と同一人物とは思えない。恫喝するような声だ。
「……わかりました」
おそらくは恫喝に引いたわけではない。何度か会ったことがあるそのハウンドは腕も評判もいい。良識も持ち合わせているし、素人に胆で押し負けるような人物ではないとユキも知っていた。それでも引いたのはおそらく、面倒ごとはごめんだと思ったからだろう。もしかしたら、彼も早くこの仕事から解放されたかったのかもしれない。
「田中」
彼は振り返った。
その視線の先にはユキのよく知っている人がいる。
「……はい」
その人物はほかのハウンドと同じように黒いスーツを着ていた。身長は高くない。スーツの上からでもその身体が細いのは分かる。露出はほとんどないけれど、襟元や袖口からわずかに覗く肌は白く、今回の仕事は女性のハウンドも参加しているが、その誰よりも華奢かもしれない。
今日は長い髪を綺麗に頭の後ろでまとめていて、白いうなじや顎のラインがよく見える。はっとするほどに滑らかだけれど、女性とは違う。サングラスをしているから、目元は見えない。けれど、そのサングラスの下の瞳がきれいな翡翠の色だとユキは知っていた。
もちろん、その人の本当の名前がその瞳の色と同じだということもユキは誰よりもよく知っている。
「こっちへ」
命令とも要請ともとれる言葉でリーダーのハウンドはスイを呼んだ。
「それは、業務でしょうか?」
す。と、姿勢よく立ったまま、警戒を命じられている方向から目を逸らすことすらせずに、スイが問いかえす。表情は全く変化がない。
スイと代議士を見比べて、リーダーはため息をついた。
「業務。と、とってもらっても構わない」
その言葉に表情を変えたのは、スイではなく、アキだ。あからさまに嫌そうな顔をして、代議士を見つめてから、リーダーのハウンドの男を睨みつけた。
しかし、アキが口を開こうとしたのを制するように小さく片手をあげて、スイは一歩歩みだした。アキとユキにだけ分かるように少しだけ視線を寄越して、かすかに微笑む。
それから、まっすぐに歩いて行って、代議士の前に立ったのだった。
しかし、時刻は既に14時を回ろうとしていた。
キャバ嬢はあれがほしい。これがほしい。と、いちいち我儘を言い出すし、代議士の方は外では『孫の買い物に付き合ってやっているおじいちゃん』の体でいてくれればいいのに、どこでも盛ってキャバ嬢の身体を触りまくる。そのたびに対処を求められるうえに、近くで殺人事件の被害者とおぼしき遺体が見つかったらしく、規制で道路は混むし、身分証の提示は求められるしで行程が遅れまくっているのだ。
本当なら今頃。
ユキは小さくため息をつく。
家でさっさと着替えだけ済ませて、スイと出かけるはずだった。
15時からの映画を見て、どこかでスイが大好きな甘いものを食べて、一緒に買い物をして、食事をして。ありきたりなデートコースだけれど、スイと二人でいられるなら十分だ。
それに今日はもう一つ。心に決めていたことがあるのだ。
スイと二人でどうしてもしたいこと。
それを言い出す覚悟を決めてきたというのに、この体たらくである。
その上。だ。
「ちーちゃん。姫。ちょっとお化粧直してくるね」
そういって、キャバ嬢は立ち上がった。随分とトイレの回数は多い。いや、多い理由は分かる。この惨状にストレスが溜まらないわけがない。いくら仕事だと割り切っていても、離れたいと思うのは当然だ。
フロアの警護担当者のリーダー役のハウンドがす。と、手を上げると、警護に参加している女性ハウンドが頷いてから、トイレに向かうキャバ嬢の後を追いかける。彼女がトイレの方へと姿を消すと、一人取り残された代議士が、ひら。と、手を振って指示を出していたリーダーのハウンドを呼んだ。
呼ばれたハウンドが近くまでくると、代議士はその男にしばらく何かを耳打ちしているようだった。
時間にしてほんの十秒ほど。しかし、その間に耳打ちされたハウンドの表情は複雑に変わる。まず、驚いたような表情で代議士の顔を見つめる。彼が鬱陶しそうな顔をすると、非礼を詫びるように頭を下げた。代議士がさらに何かを囁くと、次第に眉間にしわを深くして、怒ったような、困ったような顔をしてから、ため息をつく。それでも、決心したように代議士に向かって二言三言耳打ちをすると、今度は代議士の方が表情を変えた。完全に不機嫌な顔だ。
「金は払っているだろう?」
そんな言葉が聞こえてきた。さっきまでの甘えた声と同一人物とは思えない。恫喝するような声だ。
「……わかりました」
おそらくは恫喝に引いたわけではない。何度か会ったことがあるそのハウンドは腕も評判もいい。良識も持ち合わせているし、素人に胆で押し負けるような人物ではないとユキも知っていた。それでも引いたのはおそらく、面倒ごとはごめんだと思ったからだろう。もしかしたら、彼も早くこの仕事から解放されたかったのかもしれない。
「田中」
彼は振り返った。
その視線の先にはユキのよく知っている人がいる。
「……はい」
その人物はほかのハウンドと同じように黒いスーツを着ていた。身長は高くない。スーツの上からでもその身体が細いのは分かる。露出はほとんどないけれど、襟元や袖口からわずかに覗く肌は白く、今回の仕事は女性のハウンドも参加しているが、その誰よりも華奢かもしれない。
今日は長い髪を綺麗に頭の後ろでまとめていて、白いうなじや顎のラインがよく見える。はっとするほどに滑らかだけれど、女性とは違う。サングラスをしているから、目元は見えない。けれど、そのサングラスの下の瞳がきれいな翡翠の色だとユキは知っていた。
もちろん、その人の本当の名前がその瞳の色と同じだということもユキは誰よりもよく知っている。
「こっちへ」
命令とも要請ともとれる言葉でリーダーのハウンドはスイを呼んだ。
「それは、業務でしょうか?」
す。と、姿勢よく立ったまま、警戒を命じられている方向から目を逸らすことすらせずに、スイが問いかえす。表情は全く変化がない。
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「業務。と、とってもらっても構わない」
その言葉に表情を変えたのは、スイではなく、アキだ。あからさまに嫌そうな顔をして、代議士を見つめてから、リーダーのハウンドの男を睨みつけた。
しかし、アキが口を開こうとしたのを制するように小さく片手をあげて、スイは一歩歩みだした。アキとユキにだけ分かるように少しだけ視線を寄越して、かすかに微笑む。
それから、まっすぐに歩いて行って、代議士の前に立ったのだった。
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