遠くて近い世界で

司書Y

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Internally Flawless

20 敵地 2

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「スイさん」

 声をかけられて、スイははっとして、顔を上げた。
 視線を移すと、舞台袖の少し暗くなっているあたりにリンがいた。

「リンさん? どした?」

 薄暗くてその表情はあまりよくわからない。

「……助けてください」

 リンの声は僅かに震えていた。
 助けてください。なんて、不穏当な言葉に身構える。

「どうした? 何? 俺に手伝えること?」

 PCをスリープモードにして、スイは立ち上がった。それから、リンに歩み寄ると、次第にしゃくりあげるような吐息が聞こえてきた。

「泣いて……るの? どうした? なんかあった?」

 近くまで歩み寄って、ハンカチを差し出すと、それを受け取って、彼女は俯いてしまった。

「あの。2・3日前に……レイさんの護衛の方に頼みごとをされて……弟さんに連絡してほしいって……でも、レイさんに見られていたみたいで、電話番号書いた紙を取られてしまって。
 今日、その方がこちらにいらしていたので、そのことを謝ろうと思ったんです。……でも、話しかけようとしたらそれをレイさんに見つかってしまって……。
 レイさんすごく怒って、2時間もかかる場所にあるコーヒーショップのコーヒーを買って来いって……でなければ、アイ先生に言ってクビにさせるっておっしゃって……わたし。もうどうしたらいいのか……」

 ぐすぐすと泣き出してしまったリンに、スイは大きくため息をついた。あの我儘姫は、人の嫌がることをするのが楽しくて仕方ないらしい。半ば以上そう思ってはいたのだが、スイの説教など、毛先ほども効いていない。
 自分より立場が弱いと分かっている相手にきつく当たることで気分がよくなる人間の気持ちなんて理解できないし、支度もないと思う。

「あー。そんなの雑巾のしぼり汁飲ませてやれば充分だよ」

 正直もう、あの女とは係わりあいたくない。そんな暇があったら、まだ足りていないピースをそろえるために足掻きたい。苛立ち紛れの言葉は泣いている女性にかけるには少し厳しかったかもしれない。

「……でも。わたし、アイ先生のところをクビになってしまったら……」

 うるうると潤んだ瞳で、リンが迫ってくる。
 そのリンの態度にもスイはため息を漏らした。

「……リンさん。正社員でしょ? お姫様の一言くらいでクビにはできないよ。労働基準局に訴えたら、絶対に勝てるから」

 某有名大学出の彼女なら少し考えれば分かることだと思う。世の中はあんな我儘姫の思い通りになるようにはできていない。冷静に考えれば道などいくらでもあるはずだ。それに、本当に必要とされている人員ならそんなことくらいでクビにされることなんてない。それでもクビにされるならそもそもその職場に彼女は必要とされていないのだろう。

「でも……わたし、怖くてもう、レイさんのところには……」

 結局、彼女のかわりに買ってこられない旨を伝えに行けばいいということなのだろう。言いにくいことをかわりに伝えに行けと言っているのだ。女性という生き物は回りくどくて、面倒くさい。これなら、最初から『行ってこい』と言われた方がましだ。大体こんなことも言えないでこの先甘くない業界でやっていけるんだろうかと、スイは半ば呆れて、半ば心配になった。

「わかったよ。買いに行けないって伝えてくればいいのか? でも、俺じゃ上のフロアには上がれないよ。通行証ないし」

 スイの言葉にリンの顔がぱっと明るくなった。
 結局、この少女のような女性も、あの高飛車なお姫様も、スイにとっては同じようなものだ。男は、男と言うだけで頑丈にできている盾だと思っているし、か弱いという言葉で下手に出ておいて、思い通りに動かすことのできる召使くらいにしか思っていないのだろう。リンとレイの違いなんて、面と向かって命令するか、男が察するまで回りくどく道を塞ぎ続けるかの違いだけだ。

「あの。わたし一緒に行きます! 通行証ありますし。ちょうど、買い出し行ってきたので、手伝ってもらったことにしますから!」

『一緒に行きます』。じゃないだろ! と、突っ込みは飲みこんだ。言っても無駄だからだ。スイが心置きなく自分の仕事をするためには、従うほかない。周りでずっと泣き続けられたら、たまったもんじゃない。
 ただ、自分が行ったらもっと面倒なことになってしまうのではないだろうか。と、スイは思う。昨日の今日だ。あれだけ恥をかかされて、今日には忘れましたというタイプでもないだろう。
 でも、それを説明するのも面倒だった。一刻も早く終わらせて、自分のすべきことをしたかった。

「行きましょう!」

 嬉しそうに笑うリンの顔に、気付かれないように小さくため息をつく。それから、彼女の後ろにある買い物袋4つ分の荷物を手分けして持って、スイは歩きだした。
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