遠くて近い世界で

司書Y

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Internally Flawless

19 変転 5

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「スイさん! ここにいたんだ! 今日、遅刻したって聞いた。もしかして、具合悪いの?」

 ケンジが近づいてくる。ちら。と、ナオの出て行った方を見てから、スイはケンジの方に視線を戻した。そこでぎょっとする。

「……や。別に……ねぼうしただけ……」

 ケンジの瞳に以前に見た時よりはっきりと昏い穴が見えた。気のせいではない。まるで、スイを監禁していた時のタイトのような瞳だった。
 何とか返答したが声は震えていたかもしれない。自分の帰した答えに意味があったのかすら、後から思い出せないほど動揺していた。

「スイさんも寝坊とかするんだ」

 笑顔も、態度も昨日までと変わりない。けれど、瞳だけが違う。それだけで、全てが違って見える。
 あの監禁されていた日々が心に過って、背筋に冷たいものが流れる。指先が冷たい。

 目の前の男は誰だ?
 本当にケンジなのか。

 自問するが答えはなかった。

「あ。俺、遅刻したから、仕事……急がないと」

 思わずその瞳から視線を逸らしていた。逸らしてはいけないと分かってはいる。逸らしては危険だと分かってはいるのだ。
 けれど、逸らさずにはいられない。なんとか、ここから逃げ出したい。

「待ってよ」

 立ち去ろうとしたスイの手をケンジの手が掴む。スイの手も冷え切っていたはずなのに、その手はぞっとするほど冷たかった。

「や。はな……し……っ」

 それも、あの時のタイトを思わせて、脳裏によみがえった恐怖と嫌悪感にスイは覆わずその手を振り払っていた。振り払ってしまってから、まずい。と、思う。けれど、恐る恐るケンジの表情を窺うと、嘘のようにあの昏い穴は消えていた。

「そんな風に……振り払わないでよ。俺がスイさんのこと好きだって知ってるんだろ? 拒絶しないで?」

 懇願するように言うケンジはいつものケンジだった。否、さっきまでのケンジも、ケンジには違いない。昏い穴のように見える瞳以外はいつものケンジだった。けれど、今のケンジはいつも通りのどこにでもいる普通の大学生然とした青年そのものだった。
 そんな彼を見ていると、さっきまでの昏い瞳が気のせいだったかのように、思えてくる。昏い穴が見えているのは自分だけなのかもしれない。スイは思う。一方的に好意を向けられる不快な感覚が、あの男とダブってそんなふうに見えてしまっただけなのだろうか。

「……ごめん。別に拒絶してるわけじゃ……」

 掠れた声で呟くと、今度はゆっくりと手を握られた。さっきまでの冷たさが嘘のように普通の体温を感じる。自分の感覚が信じられなくなって、スイは混乱した。

「あ。俺こそ、ごめん。でもさ。もうすぐこの仕事終わったら、スイさんと毎日会ったりできなくなるだろ? だから、俺焦っちゃって。ね。今日、ランチじゃなくて、夜一緒に飯行こうよ? おとといはできなかった話もしたいな」

 それでも、する。と、手から腕に指先が移動するのが、堪らなく不快で、けれど、逆らえなくて、スイは身を固くした。

「……や。えと。考えとく」
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