303 / 414
Internally Flawless
19 変転 4
しおりを挟む
◇翡翠◇
ショーが近づいたホールは騒然としていた。全体的に空気がピリピリと殺気立っていて、あちこちから言い争うような声も聞こえてくる。ステージの建て込みのための資材やら、照明音響の機材が雑然と置かれていて、会場内は混とんとした雰囲気だった。
連日の無理がたたって、寝坊してしまったスイが遅刻をして、機材に隠れるようにして職場入ると、隠れていたつもりだったのに、目ざとくスイを見つけたナオが待ち構えていたように、近づいてきた。
いつも朗らかなナオの表情が険しい。それだけで、何か良くないことがあったのだと分かる。
「おはよ。スイさん。ちょっといい?」
スイの遅刻を咎めることなく、くいっと腕を引かれる。掴まれた腕を見て、身体への接触が極端に苦手なスイが、ナオに触られてもあまり不快感はがないのはなぜだろう。と、ふと、不思議に思う。思う余裕がまだ、あった。けれど、腕を引かれるままに機材と機材の隙間に入ったスイにナオはさらに声のトーンを落とした。
「……おとり捜査のハウンドが一人……いなくなった」
伏し目がちな顔。強く噛んだ唇が白くなっている。
「え? メール届いてたよ? それでも……いなくなったってこと?」
思わず大きくなってしまった声に、スイは慌てて口を噤んだ。
警戒心の強いスイが思わず声を上げてしまったのは、ナオの言葉がかなり予想外だったからだ。
スイの立てた推論では、犯人グループに本格的な戦闘訓練を受けているものは殆どいない。恐らくは一人だけ。その人物が犯行グループにおける『材料調達』つまり、暴力的な拉致や誘拐を担当している。そして、他の者はそのサポートに徹している。
その『材料調達』係は昨夜このホールに足止めされて、外には出られなかったはずだ。
昨夜スイが頼んだ通り、ナオは捜査員に注意喚起のメールを送信してくれていた。それは、もちろんスイに対しても例外ではない。警察官や、ハウンドなら、不意打ちを受けるようなことがなければ、自分の身は守れると思っていた。
それなのに、実際に拉致は実行に移された。
「正直……実力不足のハウンドを使っていたんだと思う。俺たちは選考には口出しできなかったし……スイさんみたいにちゃんとしたキャリアがあったヤツじゃないみたいだ……人選した人物が……。ってこと」
実力不足。という言葉にため息が出る。
ナオの言っている『人選した人物』が、わざとそんな素人同然のハウンドを選ぶ。というのは、可能性としては低くはないと想定していた。しかし、仮にもハウンドを名乗るものが、特別な戦闘訓練を受けていないような、要するに素人に後れを取るようなことはないだろうと高を括っていたのだ。
「とにかく……これで、時間はさらになくなった」
それは、スイにも分かっていた。行方不明の人物が拉致されたのかどうかは軽率に判断できないが、その可能性はかなり高いし、そうでなくても、何らかのトラブルに巻き込まれていることは確実だ。そうなれば、これ以上時間をかけているわけにはいかない。のんびりしていたら、他に被害者がでるかもしれないし、拉致された(可能性は低くはない)のだとすればその人物が取り返しのつかないような被害をうけてしまうからだ。
「分かってる……でも、『工場』があと何か所か……っていうか。もしかしたら、勘違いをしているんじゃないかって……気になって」
スイは昨夜、結局寝てはいない。アキが帰った後、朝を待ってユキに会うために一度家へ帰るまでの間、どうしても分からない残りのピースを埋めるためにずっと情報収集をしていた。昨日、アキと仲直りできたことで平和ボケしていた時間を取り戻したかったからだ。
それでもなお、不明な点が何か所か残っていた。しかし、もう、これ以上情報を集める時間はなくなってしまった。
「実はさ……多分、他にも『発注』入ってるのに気付いて……」
そこまで呟いたところで、ナオがし。と、唇に人差し指を当てた。
「スイさん? あれ? こっちじゃなかったっけ??」
エントランスホールの方でケンジがきょろきょろとスイを探している。そうでなくても、焦ってこんなところで話して誰かに聞かれるわけにはいかない話だ。
「今はまずい。後で時間作ろう。LINEするから」
そう言って、ナオは人がいない方向を探して機材の間から出て行った。
ショーが近づいたホールは騒然としていた。全体的に空気がピリピリと殺気立っていて、あちこちから言い争うような声も聞こえてくる。ステージの建て込みのための資材やら、照明音響の機材が雑然と置かれていて、会場内は混とんとした雰囲気だった。
連日の無理がたたって、寝坊してしまったスイが遅刻をして、機材に隠れるようにして職場入ると、隠れていたつもりだったのに、目ざとくスイを見つけたナオが待ち構えていたように、近づいてきた。
いつも朗らかなナオの表情が険しい。それだけで、何か良くないことがあったのだと分かる。
「おはよ。スイさん。ちょっといい?」
スイの遅刻を咎めることなく、くいっと腕を引かれる。掴まれた腕を見て、身体への接触が極端に苦手なスイが、ナオに触られてもあまり不快感はがないのはなぜだろう。と、ふと、不思議に思う。思う余裕がまだ、あった。けれど、腕を引かれるままに機材と機材の隙間に入ったスイにナオはさらに声のトーンを落とした。
「……おとり捜査のハウンドが一人……いなくなった」
伏し目がちな顔。強く噛んだ唇が白くなっている。
「え? メール届いてたよ? それでも……いなくなったってこと?」
思わず大きくなってしまった声に、スイは慌てて口を噤んだ。
警戒心の強いスイが思わず声を上げてしまったのは、ナオの言葉がかなり予想外だったからだ。
スイの立てた推論では、犯人グループに本格的な戦闘訓練を受けているものは殆どいない。恐らくは一人だけ。その人物が犯行グループにおける『材料調達』つまり、暴力的な拉致や誘拐を担当している。そして、他の者はそのサポートに徹している。
その『材料調達』係は昨夜このホールに足止めされて、外には出られなかったはずだ。
昨夜スイが頼んだ通り、ナオは捜査員に注意喚起のメールを送信してくれていた。それは、もちろんスイに対しても例外ではない。警察官や、ハウンドなら、不意打ちを受けるようなことがなければ、自分の身は守れると思っていた。
それなのに、実際に拉致は実行に移された。
「正直……実力不足のハウンドを使っていたんだと思う。俺たちは選考には口出しできなかったし……スイさんみたいにちゃんとしたキャリアがあったヤツじゃないみたいだ……人選した人物が……。ってこと」
実力不足。という言葉にため息が出る。
ナオの言っている『人選した人物』が、わざとそんな素人同然のハウンドを選ぶ。というのは、可能性としては低くはないと想定していた。しかし、仮にもハウンドを名乗るものが、特別な戦闘訓練を受けていないような、要するに素人に後れを取るようなことはないだろうと高を括っていたのだ。
「とにかく……これで、時間はさらになくなった」
それは、スイにも分かっていた。行方不明の人物が拉致されたのかどうかは軽率に判断できないが、その可能性はかなり高いし、そうでなくても、何らかのトラブルに巻き込まれていることは確実だ。そうなれば、これ以上時間をかけているわけにはいかない。のんびりしていたら、他に被害者がでるかもしれないし、拉致された(可能性は低くはない)のだとすればその人物が取り返しのつかないような被害をうけてしまうからだ。
「分かってる……でも、『工場』があと何か所か……っていうか。もしかしたら、勘違いをしているんじゃないかって……気になって」
スイは昨夜、結局寝てはいない。アキが帰った後、朝を待ってユキに会うために一度家へ帰るまでの間、どうしても分からない残りのピースを埋めるためにずっと情報収集をしていた。昨日、アキと仲直りできたことで平和ボケしていた時間を取り戻したかったからだ。
それでもなお、不明な点が何か所か残っていた。しかし、もう、これ以上情報を集める時間はなくなってしまった。
「実はさ……多分、他にも『発注』入ってるのに気付いて……」
そこまで呟いたところで、ナオがし。と、唇に人差し指を当てた。
「スイさん? あれ? こっちじゃなかったっけ??」
エントランスホールの方でケンジがきょろきょろとスイを探している。そうでなくても、焦ってこんなところで話して誰かに聞かれるわけにはいかない話だ。
「今はまずい。後で時間作ろう。LINEするから」
そう言って、ナオは人がいない方向を探して機材の間から出て行った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説

たしかなこと
大波小波
BL
白洲 沙穂(しらす さほ)は、カフェでアルバイトをする平凡なオメガだ。
ある日カフェに現れたアルファ男性・源 真輝(みなもと まさき)が体調不良を訴えた。
彼を介抱し見送った沙穂だったが、再び現れた真輝が大富豪だと知る。
そんな彼が言うことには。
「すでに私たちは、恋人同士なのだから」
僕なんかすぐに飽きるよね、と考えていた沙穂だったが、やがて二人は深い愛情で結ばれてゆく……。
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。


【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?


目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜
高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる