遠くて近い世界で

司書Y

文字の大きさ
上 下
228 / 414
Internally Flawless

06 恋情 01

しおりを挟む
 ◇秋生◇

 7日目。

 ふと、その人の声が聞こえた気がした。

「……っ」

 慌ててシャワーのお湯を止めて、バスルームを飛び出す。
 しかし、脱衣所から伺う外の空気には誰の気配も混じってはいなかった。自室ですでに就寝しているはずのユキの気配も。もちろん、ここにはいないはずのスイの気配もだ。

「……気のせい……」

 ため息交じりに呟いて、バスルームに戻る。思わず乱暴に扉を閉めそうになって、アキは手を止めた。明日早いだろうユキの眠りを妨げたくない。軽く舌打ちをして、アキは静かに扉を閉めた。

「……くそ」

 苛立ち紛れにコックをひねる。シャワーの温度をあげて、頭からかぶった。
 髪を、頬を、肩を、水滴が打つ。目を閉じてその感覚に身を任せていても、瞼の裏に浮かぶのはその人の顔ばかりだった。

「スイさん」

 名前を呼ぶ。返事がないのはわかっているけれど、スイが出ていってから、アキはその名前を何度も呼んだ。意識的にではない。ほぼ無意識に。だ。
 スイが自分のどんな言葉に傷つけられたのか、アキにもわかっていた。それでも、自分の言ったことが間違っているとは思っていない。ただ、余裕がなくて、言い方を選べなかった自分にも非があることは認める。

「無様だな」

 今まで、どんな状況でも自分を見失わないでいられると自負していた。実際、どんな危険な仕事でも冷静に対処できた。だから、こうして生き延びることができたのだ。
 けれど、スイと出会って、そんな矜持などすぐに消し飛んでしまった。スイのこととなると、ほんの些細なことで冷静でいられなくなってしまう。スイが自分やユキ以外の誰かといると思うと、それだけで気に入らない。まるで駄々をこねる子供のようだ。
 その上、スイがあまりにも無自覚だから性質が悪い。
 スイは気付いていない。ここ数か月で、彼自身がどれほど変わったかということ。

「いい加減。気付けよ」

 最初から、年上とは思えない少し幼い顔が、少年と少女の狭間のような危うい印象の美しさを持っていることには気付いていた。ただ、彼はいつも俯きがちで、まるで誰の目にもとまらぬように細心の注意を払っているかのように見えた。だからだろうか、彼の名前と同じ色の、ひどく人目を引く髪や瞳も、はじめからなかったように隠されていた。
 けれど、アキにはそれに気付いておいて、なかったことになどできなかった。
 どうしてかなんて、わからない。
 ただ、吸い寄せられるように、目が離せなかった。
 だから、全部見ていた。その人の表情が変わっていくさまを。まるで、花がほころぶように。ぎこちなかった笑顔が自然に、柔らかく、そして、綺麗になっていった。
 同時に、幼い子供のように無防備で、無自覚な一面にも気づかされた。彼は、自分の魅力に気づいてはいない。極力他人とのかかわりを避けてきたからなのか、他人の目に自分がどう映っているか全く知らないのだ。

「誰にも……見せたくねえんだよ」

 呟いた声は、流れる水の音にかき消える。
 おはよう。と、少し高い声。アキやユキを見つけたときの心から微笑んだ時の表情。二人を叱るときの保護者のような顔。アキにだけ教えてくれた過去に怯える泣き顔。好き。と、囁くときのはにかんだ顔。
 それが、どれくらい魅力的なのか、知っているのはユキと自分だけでいい。他の誰にも気づかれたくない。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

彩雲華胥

柚月なぎ
BL
 暉の国。  紅鏡。金虎の一族に、痴れ者の第四公子という、不名誉な名の轟かせ方をしている、奇妙な仮面で顔を覆った少年がいた。  名を無明。  高い霊力を封じるための仮面を付け、幼い頃から痴れ者を演じ、周囲を欺いていた無明だったが、ある出逢いをきっかけに、少年の運命が回り出す――――――。  暉の国をめぐる、中華BLファンタジー。 ※この作品は最新話は「カクヨム」さんで読めます。また、「小説家になろう」さん「Fujossy」さんでも連載中です。 ※表紙や挿絵はすべてAIによるイメージ画像です。 ※お気に入り登録、投票、コメント等、すべてが励みとなります!応援していただけたら、幸いです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

私の庇護欲を掻き立てるのです

まめ
BL
ぼんやりとした受けが、よく分からないうちに攻めに囲われていく話。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜

高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です

処理中です...