遠くて近い世界で

司書Y

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Internally Flawless

02 瑣末 01

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 ◇翡翠◇

 3日目。

 PCの画面を見つめて、また、大きなため息をつく。さっきから、全く作業は進まない。と、言ってもこれは『捜査』ではなくて、スイが潜入捜査をするために与えられた、仮の仕事だった。それは、コンピュータ制御の照明のプログラミングで、彼に与えられた仕事と言うのは舞台装置の制御用のコンピュータの管理というものだった。
 件のファッションショーは約1カ月後だ。本格的な準備が始まるのはまだ先の話だか、今日は本番用の会場を借りて、舞台装置の演出の確認と、会場の広さや照明の明るさなどのチェックが行われていた。そのため、舞台関係のスタッフの全てが集められている。
 正直な話、仕事がヌルすぎて、本気を出せば1日分の仕事が、30分で全部終わってしまう。しかし、終わってしまっては捜査の方の仕事にならないので、適当に手を抜くと、今度は余計なことばかりを考えてしまって、悪循環に陥っていた。

「ご苦労さま」

 ふと、後ろから差し出された缶コーヒーにスイは振り返った。

「どうぞ。奢りだよ」

 そこにいたのは、確か舞台装飾(という名の雑用係)とかいう仕事をしている男だった。名前は何と言っただろう。確か。記憶を探る。

「あ。俺の名前覚えてないでしょ?」

 スイに缶コーヒーを無理やり手渡して、男はパイプ椅子を引っ張ってきて、スイの隣に座った。

「や。えっと。山岸さん?」

 スイは、記憶力は悪くない方だと思う。というか、どちらかというといい方だ。人間を観察するのも、癖と言うのか、職業病と言うのか、最早日常茶飯事になっている。
 男には特徴というような特徴はない。強いて言うなら、特徴のないのが特徴だ。スイより幾分背は高いが、それも平均を超えるほどではない。髪の色は茶色で、瞳の色も茶色。珍しくはない。イケメンと言えなくもないかもしれないけれど、正直イケメンの大安売りを毎日受けているスイの目にはさほどにも映らなかった。

「あ。ちゃんと覚えてた」

 ただ、妙に馴れ馴れしい。出会って、15分で、苗字(潜入捜査用に作った偽名)ではなく、『スイさん』と、名前で呼ばれていた。一方スイの方は、もともと、人付き合いが苦手というのもあって、今日1日であまり多くの人に出会ったので、捜査に必要な情報として、一通りの人物の顔を覚えなければならないことは殆ど苦にはならなかったのだが、特定の誰かと親しくなろうなんて思いもよらなかった。

「でもさ。ケンジって呼んでよ。スイさんの方が年上でしょ?」

 なんで、歳まで知ってるんだろう?
 スイは思ってから、いや。と思い直す。
 知っていなくても、年上か年下かくらいは分かるだろう。明らかに学生然とした彼が、自分より年上だとは思えない。と、それくらいのことはスイにもすぐにわかった。もしかしたら、本職ではなくて、バイトかもしれないと思う。
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