遠くて近い世界で

司書Y

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#2

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「なんでもないから。ごめん」

 ドアの向こうからスイの声。明らかに元気がない。
 コートを着ていない以外は、出ていった時と変わらないのだが、何があったんだろうか。

「なんでもないって……そんなことないだろ?」

 優しい声で兄がドアに向かって話しかける。

「スイさん。顔見せてよ」

 二人に言えないような何かがあったのかと思うと、居ても立ってもいられなかった。もしかしたら、何か嫌な思いでもしたんだろうか。

「飯なんかいいから、顔だけ見せて」

 懇願するように言うと、かちゃ。と小さな音がして、ドアが開く。
 その隙間から見えた顔は、怒っているような、落ち込んでいるような、泣き出してしまいそうな、複雑な顔だった。

「何があったんだ?」

 アキの問いに、スイは躊躇ったように視線を外して、それから、ドアを大きく開けて部屋に招き入れてくれた。外出に持って出た大きめのかばんを床に放り出して、ベッドの上にはコートが大きく広げられていた。それは、春先、ユキがスイにプレゼントしたものだった。特に何かの記念日とかではなかったけれど、ただ、ショーウィンドウで見かけて、スイに似合うと思ったら、ほぼ無意識で買っていた。『無駄遣いしたらダメだろ』と、怒りながらも嬉しそうに着てくれるのが、堪らなく可愛くて、とても”無駄”なんて思えなかった。

「……んに……あった」

 少し俯き加減で、スイが呟くように言う。

「え?」

 聞き取れなくて、ユキは聞き返す。

「……電車で……痴漢にあった」

 ものすごく不快そうな顔をして、スイは小さく呟く。スイが成人男性で、さらには腕が経つと分かっていながら、兄が過保護すぎるくらいに心配する理由の一つがこれだ。
 スイはこの手の変質者の標的になりやすいタイプなのだ。いくら線が細いといっても、決して女性的ではないのだが“大きいお友達”にはそれすら萌えポイントらしい。

「ああ?」

 あからさまに不機嫌な顔になってアキが言う。もちろん、ユキも気分がいいわけがない。ついつい眉間にしわが寄ってしまう。

「……満員電車避けたつもりだったのに……なんか、近くでアイドルのイベントあったみたいで。すごい電車混んでて……最初はただ、かばんが当たってるのかなって思ったけど……」

 形のいい眉を寄せて、唇を噛んでいるのが痛々しい。

「なんか、すげえ混んでて身動きとれないし。男が痴漢にあってるなんて、恥ずかしくて声も出せないし。撫でまわされるし、はあはあ言ってるし、かたいのあたるし……ああっもう! きもっ!! 最低!」

 思い出してしまったのか、振り払うように大声を出してスイが言う。
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