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FiLwT
Mission Impossible 1
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◇廊下:翡翠◇
スイが初めて付き合った人は、年上の女性だった。それが恋だったかどうか、よくわからない。正常な子供時代を過ごしていないスイには、当たり前の人間関係を築くのが難しかったから、彼女が言ってくれた好きに自分が返した好きが特別な想いだったかどうか、判断が付かなかった。ただ、彼女が好きだったことは本当だと思う。両親の愛を知らないスイは優しくしてくれる年上の女性を慕っていたし、彼女といるのは心地よかった。
それが、恋ではなかったかもしれないと、今思う。
雨音は静かに響いていた。川を挟んだ向こう側の未だ眠りについていない市街地の明かりが、暗い夜の中に星のように瞬いている。
静かだ。
鼓動の音が聞こえる気がする。
告げられたふたり分の想いでいっぱいになって、何も言えなくなってしまったスイは、俯いてその音を聞いていた。
想いを告げてから、ふたりは何も言わない。
スイの言葉を待っているのだと分かる。
けれど、何を言っていいかわからないどころか、何かを言おうと思うことすらできない。
考えてもみなかった。
スイの好意に、同じ熱量の好意が返ってくること。
しかも、アキとユキふたりから。
さっきまで、ここを出て、もう二度と会う気はなかった。会わなくなっても、忘れることはできないと分かってはいたけれど、仕方ないと諦めていた。
諦めるのには慣れている。本当に欲しいものが手に入ることなんて一度もなかったからだ。だから今度も、そうしていつかは二人を遠くから想うことにもなれるんだろうと思っていたのだ。
けれど、信じられないような幸福が目の前にある。
アキも、ユキも、誰から見ても最高級の男だ。容姿も、性格も、強さも。タイプは違うけれど、相手に困ることなんて一生無いだろう。それなのに、そんな二人がふたりとも、スイに真剣で真っすぐで特別な想いを告げてくれた。
今を逃したら、きっとこんな幸福は二度と訪れてはくれない。
この幸運に甘えたい。
二人が一緒にいてくれるというのなら、過去と対峙できるかもしれない。今まで、立ち向かうことすらできずに怯えて逃げてばかりいた過去を本当の意味での過去にできるかもしれない。
それが許されるなら、スイだってどんな努力も惜しまない。
けれど、もっと、大きな問題を抱えてしまうことになるなんて思いもよらなかった。
「……あ……の。俺は……」
まっすぐに向けられるアキの視線から、スイは目を逸らした。力を籠めるとユキもすんなりと腕を放してくれた。
どちらかを選ばなければならないなんて、そんなことが実際に起こるなんて思わなかった。叶うわけがないと、離れなければいけないと、思っていたから、『二人とも同じくらいに好き』と、自分の想いに素直でいられた。でも、どちらかを選んだとしたら、その先の未来にはもう一人はいなくなってしまうんだろうか。いなくならないんだとしても、今まで通り三人でいられるんだろうか。三人でいたいなんて我儘が許されるんだろうか。
想像してみる。けれど、もし自分なら、誰かと幸せになる好きな人のそばにいつもいるなんて無理だ。それならいっそ会えなくなった方がマシだ。遠くで思い出だけ抱えて生きていたい。
スイにとってどちらか一人しかいない未来は、二人ともいなくなってしまう未来よりずっと、想像しがたい未来だった。
「……どして……俺のこと、なんか」
俯いたままスイは呟いた。
初めて会った日。お互いを支え合い、信頼し合う二人が羨ましかった。危険な仕事なのに、悲壮感なんて欠片もなくて、絶対的に信じられる人がいる強さに憧れた。だから、その輪の内側に入れてもらえたと感じた時、すごく嬉しかったし、その信頼を絶対に裏切りたくないと思った。いつだって、二人に対して誠実であろうと努めた。
スイにとっては共にあるアキとユキが当たり前で、そうして生きてきたからこそ二人はアキとユキなのだと思う。それを引き離して考えることなんてできない。
「……選ぶ……とか。ありえないだろ」
呪われた自分が、それでも誰かと共に生きたいと思うことも。
どちらも好きなんて思うことも。
二人にはずっと一緒にいてほしいと思うことも。
それができないなら、どちらとも別れなければいけないと思うことも。
スイは自分のエゴだと分かっている。だから、口に出して言うことなんてできなかった。
「え? なんで?」
その声にスイは顔を上げた。
スイが初めて付き合った人は、年上の女性だった。それが恋だったかどうか、よくわからない。正常な子供時代を過ごしていないスイには、当たり前の人間関係を築くのが難しかったから、彼女が言ってくれた好きに自分が返した好きが特別な想いだったかどうか、判断が付かなかった。ただ、彼女が好きだったことは本当だと思う。両親の愛を知らないスイは優しくしてくれる年上の女性を慕っていたし、彼女といるのは心地よかった。
それが、恋ではなかったかもしれないと、今思う。
雨音は静かに響いていた。川を挟んだ向こう側の未だ眠りについていない市街地の明かりが、暗い夜の中に星のように瞬いている。
静かだ。
鼓動の音が聞こえる気がする。
告げられたふたり分の想いでいっぱいになって、何も言えなくなってしまったスイは、俯いてその音を聞いていた。
想いを告げてから、ふたりは何も言わない。
スイの言葉を待っているのだと分かる。
けれど、何を言っていいかわからないどころか、何かを言おうと思うことすらできない。
考えてもみなかった。
スイの好意に、同じ熱量の好意が返ってくること。
しかも、アキとユキふたりから。
さっきまで、ここを出て、もう二度と会う気はなかった。会わなくなっても、忘れることはできないと分かってはいたけれど、仕方ないと諦めていた。
諦めるのには慣れている。本当に欲しいものが手に入ることなんて一度もなかったからだ。だから今度も、そうしていつかは二人を遠くから想うことにもなれるんだろうと思っていたのだ。
けれど、信じられないような幸福が目の前にある。
アキも、ユキも、誰から見ても最高級の男だ。容姿も、性格も、強さも。タイプは違うけれど、相手に困ることなんて一生無いだろう。それなのに、そんな二人がふたりとも、スイに真剣で真っすぐで特別な想いを告げてくれた。
今を逃したら、きっとこんな幸福は二度と訪れてはくれない。
この幸運に甘えたい。
二人が一緒にいてくれるというのなら、過去と対峙できるかもしれない。今まで、立ち向かうことすらできずに怯えて逃げてばかりいた過去を本当の意味での過去にできるかもしれない。
それが許されるなら、スイだってどんな努力も惜しまない。
けれど、もっと、大きな問題を抱えてしまうことになるなんて思いもよらなかった。
「……あ……の。俺は……」
まっすぐに向けられるアキの視線から、スイは目を逸らした。力を籠めるとユキもすんなりと腕を放してくれた。
どちらかを選ばなければならないなんて、そんなことが実際に起こるなんて思わなかった。叶うわけがないと、離れなければいけないと、思っていたから、『二人とも同じくらいに好き』と、自分の想いに素直でいられた。でも、どちらかを選んだとしたら、その先の未来にはもう一人はいなくなってしまうんだろうか。いなくならないんだとしても、今まで通り三人でいられるんだろうか。三人でいたいなんて我儘が許されるんだろうか。
想像してみる。けれど、もし自分なら、誰かと幸せになる好きな人のそばにいつもいるなんて無理だ。それならいっそ会えなくなった方がマシだ。遠くで思い出だけ抱えて生きていたい。
スイにとってどちらか一人しかいない未来は、二人ともいなくなってしまう未来よりずっと、想像しがたい未来だった。
「……どして……俺のこと、なんか」
俯いたままスイは呟いた。
初めて会った日。お互いを支え合い、信頼し合う二人が羨ましかった。危険な仕事なのに、悲壮感なんて欠片もなくて、絶対的に信じられる人がいる強さに憧れた。だから、その輪の内側に入れてもらえたと感じた時、すごく嬉しかったし、その信頼を絶対に裏切りたくないと思った。いつだって、二人に対して誠実であろうと努めた。
スイにとっては共にあるアキとユキが当たり前で、そうして生きてきたからこそ二人はアキとユキなのだと思う。それを引き離して考えることなんてできない。
「……選ぶ……とか。ありえないだろ」
呪われた自分が、それでも誰かと共に生きたいと思うことも。
どちらも好きなんて思うことも。
二人にはずっと一緒にいてほしいと思うことも。
それができないなら、どちらとも別れなければいけないと思うことも。
スイは自分のエゴだと分かっている。だから、口に出して言うことなんてできなかった。
「え? なんで?」
その声にスイは顔を上げた。
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