遠くて近い世界で

司書Y

文字の大きさ
上 下
125 / 414
FiLwT

別れが確定事項なら 4

しおりを挟む
「スイさん」

 おそらく、スイの声は聞こえていただろう。けれど、前を向いたままのアキに名前を呼ばれる。声はいつも通りの低くて優しい声だった。その声に安堵と同時に恐れ。知られたくないことが、聞かれたくないことが多すぎて、次の言葉が怖い。

「手当だけでもさせて」

 アキの言葉に今度はユキが安堵の表情を浮かべた。おそらくは、ユキが言おうとして言い出せずにいたのはそのことなのだろう。
 けれど、スイは首を横に振った。涙が零れてシートを汚す。

「どして? ユキはスイさんを傷つけたりしないよ?」

 幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと、穏やかな声でアキは言った。
 ユキはスイが嫌がることをするはずがない。それは分かっているけれど、怖い。ユキまでも汚してしまいそうな自分が怖い。

「……きた……ない……から。うち。かえってからで……いい」

 しゃくりあげているのに気付かれたくなくて、スイは切れ切れにようやくそれだけ答えた。答えたけれど、泣いているのに気付かれていないわけがないと思う。
 スイの答えにアキは大きくため息をついた。

「スイさん。どうして、独りであんなところに行ったの?」

 不意に、アキの声色が変わった。冷たいというわけではない。けれど、厳しい声。言葉。

「……そ……れは」

 スイは口籠った。
 ニコが暴走してしまったから、仕方なかったこととはいえ勝手な行動をとったのはスイだ。ユキが帰って来たときに仕事の話をしていれば、アキがスマートフォンに連絡をくれたときに手を貸してと言っていれば、こんなことにはならなかった。いや、それ以外でも二人に連絡を取る機会はいくらでもあった。
 それをしなかったのはスイ自身の判断だ。
 仕事に私情を持ち込んで、勝手に意識して、勝手に落ち込んで、勝手に逃げ出して、連絡もせずに独断で動いて、勝手に危険な目に逢って、二人の手を煩わせてしまった。

「……ごめ……」

「謝ってほしいわけじゃない。理由を話して」

 アキの言葉にスイはびくり。と、身体を竦めた。
 ユキが帰って来たときに離さなかったのは嫉妬を隠すため。アキのスマートフォンに出なかったのは、二人に恋をしている身の程知らずで恥ずかしい自分に気付いて細くなかったからだ。でも、そんなこと、言えるわけがない。
 身体を強張らせたままでいると、ヴヴ。と、スマートフォンが鳴った。

「……いいよ。出て」

 着信に救われたとは思えなかった。アキは許してくれたわけではない。作戦指揮を担うものとして当然の疑問だし、答えるのがスイの義務だろう。むしろ、散々迷惑をかけた上に何も話さずに納得しろという方が間違っている。
 そんなことを考えながらスマートフォンを確認すると、相手はシロだった。

「……もしもし」

 本当は、今、ここで電話に出るのは嫌だった。アキはシロと相性が悪い。これ以上アキの感情を逆なでしたくない。けれど、ニコの安否が気になった。放っておくことはできないと思う。だから、一呼吸おいてから、スイはスマートフォンをタップした。

「……シロ君。ニコに……あ。うん。……ありがと。助かった。……うん。俺は大丈夫。……また連絡するから。うん」

 ニコはシロと合流できていた。彼女を安全な場所に移してからスイを助けに再びBIG Hに戻ったらしい。ただ、店の前まで来ると警察車両が大量に止まっていて、シロの立場上、中へ押してはいることはできなかった。中に残っていたスイを酷く心配してくれたけれど、彼は何も深くは聞いてこなかった。ありがたいと思うと同時に、申し訳なく思う。
 けれど、そんな気持ちはすぐに霧散した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ここで会ったが、十年目。

N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化) 我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。 (追記5/14 : お互いぶん回してますね。) Special thanks illustration by おのつく 様 X(旧Twitter) @__oc_t ※ご都合主義です。あしからず。 ※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。 ※◎は視点が変わります。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

彩雲華胥

柚月なぎ
BL
 暉の国。  紅鏡。金虎の一族に、痴れ者の第四公子という、不名誉な名の轟かせ方をしている、奇妙な仮面で顔を覆った少年がいた。  名を無明。  高い霊力を封じるための仮面を付け、幼い頃から痴れ者を演じ、周囲を欺いていた無明だったが、ある出逢いをきっかけに、少年の運命が回り出す――――――。  暉の国をめぐる、中華BLファンタジー。 ※この作品は最新話は「カクヨム」さんで読めます。また、「小説家になろう」さん「Fujossy」さんでも連載中です。 ※表紙や挿絵はすべてAIによるイメージ画像です。 ※お気に入り登録、投票、コメント等、すべてが励みとなります!応援していただけたら、幸いです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

私の庇護欲を掻き立てるのです

まめ
BL
ぼんやりとした受けが、よく分からないうちに攻めに囲われていく話。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜

高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です

処理中です...