遠くて近い世界で

司書Y

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激情 5

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 ◇BIG H店内:冬生◇

 意外にも隠し扉のようになっている入り口に鍵は掛かっていなかった。もちろん、鍵自体はついているのだが、特殊なものでもない上閉まってすらいない。この鍵ならたとえ閉まっていたとしても特殊訓練を受けているユキなら開けるのは容易い。
 兄が言うことには、スイの知り合いのシムという男はそこを『会員制の売春宿』と言っていたらしい。その割には随分不用心だと思う。
 罠か。
 と、一瞬頭を過るけれど、それならそれでいいとユキは思う。もしそうだったとしても、自分と兄なら何とかなると自信があったし、もしも、スイがここにいるとしたら一瞬でも長くそんな危険な場所に居させたくない。

 しかし、見張りが少ないことには違和感を覚えた。たった一人だったからだ。どんなに少なくても、基本は二人だと思っていたのだが、こういうことに対して余程の素人なのかもしれない。しかも、そいつはいきなり開いた扉にあたふたとしている間に2秒でユキに意識を刈り取られた。ぬるすぎる。
 シムの話では絶対に『襲撃はないと思い込んでいるぬるま湯集団だから侵入は容易い』ということだったが、情報に誤りはないようだ。どいう意味なのかは完全に理解しているわけではないけれど、兄が信じると決めたことに異論を唱える気はなかった。それだけ、ユキはアキを信頼していた。

「階段」

 短く言って、ユキは指さす。非常口の表示はないが、平面図はシムが送ってきたものを確認している。エレベータの奥、通路の端にそれはあった。
 周りを警戒しながら階段に通じる扉を開ける。中は廊下とは違ってかなり簡素で事務的な作りだった。壁はコンクリート打ちっぱなしで、階段自体も外階段のような金属製に音消しだろうか樹脂製の滑り止めが付いている。階段は上へは繋がっておらず、下にだけ伸びていた。
 中にも誰もいないことを確認して下に下る。長くはない、1階分の天井はかなり高いと想像されるけれど、たった一階だけで、それ以上、下にもつながってはいなかった。
 階段を降り切ると、突き当りには扉があった。金属製の防火扉だ。その向こうからは僅かに怒声が聞こえる。扉の前に立ってユキが中を窺っていた時だった。

 ぱん。

 と、聞きなれた破裂音。
 銃声だ。と、思うよりも先に身体は動いた。はずだったのに、それよりも早くアキが動いていた。

「兄貴!?」

 兄は基本作戦行動中に冷静さを失うことはない。それが、自分だけでなく、ユキの命も危険に晒すことになるのだと理解しているからだ。
 その兄が、ユキより先に行動を起こした。おそらく、戦術的にとか、決断が早いとか、そういう問題ではない。
 冷静を保つのは限界だったのだろうと思う。
 兄は本当は直情型の人間だ。ユキのために理性で抑え込んでいるだけで、その仮面の下には怖いくらいの激情を隠している。けれど、多分初めて本気で想った人の前ではそんな仮面など役には立たなかったのだろう。

 しかし、アキは部屋に入った途端に立ち尽くした。その表情は酷く驚いているようだったが、その中に混ざる驚き以外の感情にユキは気付いた。
 部屋の中はユキの場所からは見えない。だから、中の人間からもユキは見えない。本来なら、アキを引き戻して体制を立て直すところだ。でも、兄にそんな顔をさせている何かを見たい。と、思う。それが、自分の身を相手に晒すことになるのだとわかってはいるけれど、ユキはその欲求を抑えはしなった。
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