遠くて近い世界で

司書Y

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心の裂け目 2

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「あんたがニコちゃん?」

 そのとき、右手の観音開きのドアが開いた。
 そこにいたのは、二十代半ばの男だった。背はそこそこ高く、痩せぎすで神経質そうな顔。ぎょろり。と、目力だけが強いのが印象に残る。アシンメトリーの髪型が妙に浮いていて、いかにも『都内のカリスマ美容師にお任せで切ってもらいました』という感じがして、全体的に野暮ったい。
 その顔にスイは見覚えがあった。
 別に知り合いというわけではない。事前準備の段階で今回の首謀者ではないかと、ピックアップした一人だったからだ。

「マジでかわいいじゃん。え? で、そっちの人は?」

 この男は現厚生労働大臣の三人目の妻との間の三男で井上巧。某三流私立医大の三年生。そして、メディスンの製造販売元のトップだ。と、スイが結論付けた男だ。Jという仮称を聞いて別の幹部かと思っていたが、杞憂だったらしい。
 井上のことは調べ始めてほんの数時間で分かったことだ。別にスイが優秀だという意味ではない。警察だって愚か者の集まりではない。その犯行は大胆というのは大雑把で、狡猾というには杜撰すぎる。捜査をまともにやることができれば、スイが出したのと同じ結論に達したはずだ。
 単純に警察は大臣からの圧力で手出しができなかっただけなのだ。愚かなバカ親の庇護が犯行自体をネットのアングラサイトで調べればお手本はいくらでもある程度のお粗末なものにしていたから、その気になれば調べることなど容易かった。

「そこの女子高生のツレみたいッス。今月『キャスト』足りてないんで、どうかな……と。天然ものらしいッス。テツが言ってました」

 プリン頭が答える。
 バカだと思っていたが、一応、変ではあるが敬語は使えるらしい。テツとはさっきの黒髪だろうか。
 他に首謀者がいないというわけではないかもしれないが、この男がそのうちの一人であることは、調べ通りでほぼ間違いない。少なくとも警察を黙らせるためには、この男の(父親の)力が必要だろうし、別に幹部がいるとしても、権力頼みの方法を見ていれば、大した頭脳もないだろう。所詮、お坊っちゃまのお遊びだ。『ニコ』さえ無事ならなんとでもできる。

「へえ。お前にしては気が利くじゃん」

 そう言って井上はスイの顎に手をかけ、上を向かせた。こんなふうに好奇の目に晒されるは今日何度目だろう。はっきり言って最悪の気分だ。それでも、かろうじて耐えたのは状況が変わったからだ。

 元々、部屋にはプリン頭とニコを見張っていたと思われる二人の男しかいなかった。けれど、井上について三人部屋に入ってきたから、簡単に動けなくなった。いきなり人数が倍になったのだ。その上、井上の後ろの三人は明らかな使いっパシリのプリン頭たちとは違って、おそらくは武装している。分かるのだ。慣れていないものが銃火器を身に着けたときの緊張感。
 この国では銃火器の所持は犯罪ではない。許可書を取れば成人であればだれでもが所持することが可能だ。けれど、簡単な試験と講習、犯罪歴の有無の調査、身分証や居住先の提示、保管場所の検査など、面倒な手続きを経てまで許可を取って所持している人の割合は成人人口の10%未満。もちろん、許可なしで所持しているものの数は許可を得ているものの数の何倍にも上るのだが、とにかく『一般人』の銃器の所持率は決して高いわけではない。
 だが、恐らく彼らは10%未満の中に入っている。正式に許可を取っているという意味ではない。合法的という仮面をかぶった非合法がここではまかり通るのだろう。

「いいね。掘り出しもんじゃね?」

 できるだけ無力を装って顔を背ける。
 一人ならいくら銃器を持った相手でもこれくらいの人数どうにでもなる。素人だというのも、スイのことを舐め切っているのも分かる。攻撃されていると相手が理解するより前に銃器を持ったヤツを片付ければ問題ない。
 けれど、それはあくまで一人であった場合だ。
 ニコを庇いながらだと話は違う。

「味見してみようかな」

 顎を触っていた手がつ。と、首を撫でる。
 熱を帯びた視線。この男は目の前のいかにも非力という青年が本当はその喉をいつでも掻き切ることができると気付いていない。だから、スイを支配して好きなようにできると疑いもしない。それが堪らなく不愉快で、不快だ。
 同時に、あの日の絶望が鎖のように身体を雁字搦めにして、その細い肩がふる。と、震えた。
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