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BIG H 1
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◇輝夜町路地:翡翠◇
夜の街は酷く冷え込んでいた。いつの間にか増えた雲が空を覆っている。今にも雨が降りそうだ。
雨の前特有の湿気を含んだ冷たい風が、頬に吹き付ける。シロに借りた上着を成都に忘れてきたと、一瞬頭を過るけれど、それはすぐに別の思考に飲み込まれて消えた。
成都を出て、スイは人通りの少ない路地を選んで走っていた。平日の夜なのだが、まだ深夜というには早い時間のせいなのか、それとも県下最大の歓楽街を目指しているのだから当然なのか、次第に人は増えていく。
「くそ……っ」
人を避けて進むせいで、思うようにスピードがあがらず、スイは思わず舌打ちをした。
かかってきた電話はニコからだった。
彼女の元に行方不明だったという友人ミナのスマートフォンから連絡があったらしい。輝夜町のBIG Hというクラブにいる。拘束されていて逃げ出せない。首謀者が何とか大臣の息子で警察は動いてくれないから、連絡しても無駄。隙を見て電話した。店の東側にスタッフ用の通用口が三つあって、一番北側の一つがすぐに地下に通じている。そこにいるから、助けてほしい。という、内容だったようだ。
危険すぎる。
スイは思う。
BIG Hは一般人でも比較的安全に遊べるエリアにはある。けれど、それは『輝夜町にしては』という但し書きが付く。輝夜町自体、ニコのような遊び慣れていない少女が一人で行くような場所ではない。
その上、ニコは冷静さを欠いていた。情報屋なんて怪しげなことをしているとはいえ、彼女もまだ高校生の子供だ。おそらくは彼女にとってミナはそれだけ大切に思える友人なのだろう。
せめて自分が行くまで待つように伝えようとしたけれど、電話は切られてしまった。しかも、その後は何度かけても繋がらない。成都が輝夜町に近い場所だったことは不幸中の幸いだが、ニコはBIG Hの近くから電話をかけているらしく、突入に間に合いそうにはない。
走りながらスマートフォンを操作して、できうる限りの対策をする。ユキから逃げ出す前に下調べはすべて済んでいたし、ある程度の準備はしておいた。こんなことがなかったら、明日にでもBIG Hについては実際に行って調べようと思っていた。
けれど、プロとしてあるまじきことなのだが、スイはスマートフォンの表示を見るまで、彼女のことを忘れていた。プライベートで何があったにせよ、少なくとも彼女の件を放っておいて逃げ出すなんてありえない。それなのに、自分のことで頭がいっぱいになって、こんな状況になることを想定できなかった自分に腹が立った。
スマートフォンでネットニュースを確認してから、何か所かにメールを送信する。送信ボタンを押した直後、スイのスマートフォンが振動した。画面を確認すると、電話がかかってきている。ディスプレイには小鳥遊秋生の文字。思わず足が止まった。
もちろん、こんなことにならなければ、二人に相談して役割を決めて、いつも通りに仕事をするつもりだった。たまたまニコはスイの知り合いではあるけれど、仕事の流れに変わりはないし、アキもユキもいつも通り接してくれていることに変わりはない。問題なのはスイの心の中だけだ。勝手に意識して、勝手に熱を上げて、勝手に落ち込んで、勝手に過去に振り回されて、勝手に消えようとしている。そんな自分が酷く恥ずかしく思えて電話に出ることができなかった。
「ごめん。……好きになったりして。ごめん」
呟くと涙が溢れそうになる。
けれど、それを振り払うようにスイは再び走り出した。
夜の街は酷く冷え込んでいた。いつの間にか増えた雲が空を覆っている。今にも雨が降りそうだ。
雨の前特有の湿気を含んだ冷たい風が、頬に吹き付ける。シロに借りた上着を成都に忘れてきたと、一瞬頭を過るけれど、それはすぐに別の思考に飲み込まれて消えた。
成都を出て、スイは人通りの少ない路地を選んで走っていた。平日の夜なのだが、まだ深夜というには早い時間のせいなのか、それとも県下最大の歓楽街を目指しているのだから当然なのか、次第に人は増えていく。
「くそ……っ」
人を避けて進むせいで、思うようにスピードがあがらず、スイは思わず舌打ちをした。
かかってきた電話はニコからだった。
彼女の元に行方不明だったという友人ミナのスマートフォンから連絡があったらしい。輝夜町のBIG Hというクラブにいる。拘束されていて逃げ出せない。首謀者が何とか大臣の息子で警察は動いてくれないから、連絡しても無駄。隙を見て電話した。店の東側にスタッフ用の通用口が三つあって、一番北側の一つがすぐに地下に通じている。そこにいるから、助けてほしい。という、内容だったようだ。
危険すぎる。
スイは思う。
BIG Hは一般人でも比較的安全に遊べるエリアにはある。けれど、それは『輝夜町にしては』という但し書きが付く。輝夜町自体、ニコのような遊び慣れていない少女が一人で行くような場所ではない。
その上、ニコは冷静さを欠いていた。情報屋なんて怪しげなことをしているとはいえ、彼女もまだ高校生の子供だ。おそらくは彼女にとってミナはそれだけ大切に思える友人なのだろう。
せめて自分が行くまで待つように伝えようとしたけれど、電話は切られてしまった。しかも、その後は何度かけても繋がらない。成都が輝夜町に近い場所だったことは不幸中の幸いだが、ニコはBIG Hの近くから電話をかけているらしく、突入に間に合いそうにはない。
走りながらスマートフォンを操作して、できうる限りの対策をする。ユキから逃げ出す前に下調べはすべて済んでいたし、ある程度の準備はしておいた。こんなことがなかったら、明日にでもBIG Hについては実際に行って調べようと思っていた。
けれど、プロとしてあるまじきことなのだが、スイはスマートフォンの表示を見るまで、彼女のことを忘れていた。プライベートで何があったにせよ、少なくとも彼女の件を放っておいて逃げ出すなんてありえない。それなのに、自分のことで頭がいっぱいになって、こんな状況になることを想定できなかった自分に腹が立った。
スマートフォンでネットニュースを確認してから、何か所かにメールを送信する。送信ボタンを押した直後、スイのスマートフォンが振動した。画面を確認すると、電話がかかってきている。ディスプレイには小鳥遊秋生の文字。思わず足が止まった。
もちろん、こんなことにならなければ、二人に相談して役割を決めて、いつも通りに仕事をするつもりだった。たまたまニコはスイの知り合いではあるけれど、仕事の流れに変わりはないし、アキもユキもいつも通り接してくれていることに変わりはない。問題なのはスイの心の中だけだ。勝手に意識して、勝手に熱を上げて、勝手に落ち込んで、勝手に過去に振り回されて、勝手に消えようとしている。そんな自分が酷く恥ずかしく思えて電話に出ることができなかった。
「ごめん。……好きになったりして。ごめん」
呟くと涙が溢れそうになる。
けれど、それを振り払うようにスイは再び走り出した。
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