遠くて近い世界で

司書Y

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人混みに探す誰か 4

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 ◇小鳥遊兄弟の部屋:秋生◇

 アキが帰ってきて一番初めに見たのは、ソファに座ったまま放心しているユキだった。上着は脱いでソファに放り出したまま、昼間出て行った時と同じ服装で着替えた様子はない。おそらくは帰って来て間もないのだと想像がつく。
 ユキは手に握ったスマートフォンの画面をじっと見つめたまま、俯いていた。まるで捨て犬のような悲し気な表情。それを見てアキが何も気付かないわけがなかった。

「ユキ」

「え? あ。……兄貴」

 アキは別に気配を殺して近づいたわけではない。それなのに、普段は野生動物並みの危機察知能力を持っているはずのユキは、後ろに立たれてはじめて兄の存在に気付いたようだった。焦ったように顔を上げた拍子に、手に持っていたスマートフォンがごとり。と、床に落ちる。

「どうした?」

 そう、問うてはみたが、なんとなく、アキには想像がついていた。ユキが兄である自分との関係以外でこんなふうになる何かがあったとしたら、相手は一人しかいない。

「……俺」

 落としたスマートフォンを拾うこともしないで、彼は泣きそうな顔を向けてくる。少年というのさえ憚られるような表情。親に置き去りにされた子供のようだ。成人してから、さほど経ってはいないとはいえ、大人の男の顔ではない。

「……また、スイさんのこと……悲しませた」

 ある意味予想通りの答えが返ってきてアキは内心ため息をついた。
 ユキは基本的に他人に可愛がられるタイプだ。容姿も性格も好かれることの方が多い。だから、大人として最低限のマナーをすっとばしても、大抵は笑って済まされる。
 けれど、ユキは成熟した人間関係を築くのが苦手だ。単純に経験不足で、感じたこと思ったことを、取捨選択せずに言葉にしてしまう。それすら裏表がないと長所として見てくれる人も多いから、スイのように真面目で、ユキの言葉を全部真に受けてしまう相手とは衝突することも多い。

「どうしよう……スイさん。今度こそ許してくれないかもしれない」

 蒼白な顔でそう言ったユキは頭を抱えた。

「何を言ったんだ?」

 恐らく、ユキの言葉に傷ついたり不快になったりしてもスイはユキのことを許すだろう。はっきりとユキが普通の19歳とは違う理由を話したわけではないけれど、スイがユキに単純な友情以上の想いを寄せているのは見ていてわかる。それが、”特別な友情”なのか、別の感情なのかはアキにも判断がつかない。もしかしたら、父性とか母性とかそんな感情の可能性すらあるんじゃないかと思うほど、スイはユキに甘い。

「昼に駅前で。スイさんが女の子と待ち合わせしてるの見たんだ。すごく仲良さそうで。気になって。『人混みの中で誰を待ってたのか』って。そしたら……」

 ああ。と、アキは心の中で嘆息した。
 ユキには他意などなかっただろう。単純に大好きな人が自分の知らない誰かといるのが嫌だっただけだ。ユキの感情を知っているアキにとっては、それは真剣で一途だけれど、拙くて不器用なただの恋心だ。
 けれど、それを聞いたスイはどう思っただろうか。

「帰って来たときからずっと、顔色悪かったし、ここんとこ……元気なかったから心配で。けど、俺酔ってたし、ああ。そんなの言い訳になんないけど……。その子にまた、連絡するって行っちゃいそうになったら、聞かないでいられなかった。でも。それくらいであんな顔するなんて」

 アキが似た質問をスイにしたことも、本当に偶然だ。
 でも、こちらは他意のないユキとは違う。スイの心の中にある傷を暴き立ててしまう質問だと分かっていて聞いてしまった。
 焦っていたのだと思う。スイがいつか話してくれると言ってたのに待てなかった。
 川和志狼。あの男にスイが笑いかけるのが堪らなく嫌だった。どうしてかなんてわかっている。あの男はその辺に転がっている三下とは違う。本物の、最高の部類の男だ。その上、一目でわかるほどにスイのことを想っている。それを隠すこともしないで、強く主張もしないで、自分たちと出会う前のスイを影から守ってきたのだろうと、分かるのが堪らなく不快だ。
 もちろん、二人の間に色気がありそうな何かがなかったことは明白だ。けれど、それを言うなら、アキも同じだった。
 スイは自分のことも友人以上には思ってくれてはいない。志狼と同レベルだ。だから、焦る。志狼が友人以上として扱われていないのは、単に彼がスイに思いを告げていないからかもしれない。彼が真剣に、真摯にその想いを告げる時が来たらスイはどうするのだろう。
 自分は触れることすら拒絶された。アキは思う。きっと、隠している自分の想いにスイはうすうす気付いているのだ。気付いたうえで、スイの過去に深い影を落とす人間と同じだと彼に判断されたのだろう。
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