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FiLwT
人混みに探す誰か 2
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スイの会話に耳を傾けて、相槌を打ちながら、シロはふと、思い出していた。
スイと出会ってもう、3・4年は経つだろうか。初めは祖父・壱狼の将棋仲間だと紹介された。もちろん、祖父の友人としては随分と若い彼を最初は不審に思っていた。
彼が祖父の棋譜を誰かに伝えているのを知ってからは、祖父が祖母を裏切っている手助けをしていると、敵意すら持ったこともある。けれど、真実を知った後は、祖父が最期の時間を幸福に過ごせたのは彼のお陰だと感謝した。その感謝が、特別な感情に変わるのにさほど時間は要らなかった。
彼は多くを語らないから、シロはスイのことをほぼ、何も知らない。情報屋をしていること、戸籍すら持たずに偽造IDで生活していること、何かから逃げるように転居を繰り返していること、その端正な横顔がいつもさみしそうなこと、5年ほど前にこの街にくる以前のことを知っているものは誰もいないこと、そして、それを詮索されるのを恐れていることくらいだ。
「……壱狼さんがさ……」
今日のスイは饒舌だ。
まるで、言葉を挟まれるのを恐れているように思える。
祖父の墓所にいるときからおかしかった。その時は暗くて分かりづらかったのだが、涙の跡が残っていた気がする。
何があったのか問いただしたい。
けれど、聞けない。
今日、何があったのか聞くことは、スイが知られたくないと敢えて口に出さない過去を聞くのと同義な気がしていた。そして、その場所に踏み込んでしまったら、スイが消えてしまうと、シロは半ば確信していた。
たとえ、友人としてでもいい。それでスイを少しでも癒せるなら、ぬるま湯のような関係でいい。たとえ、それが自分自身でも、スイを傷つけるのなら許せない。
だから、いつも、その一歩は踏み出せなかったし、これから先も踏み出すことはないと、シロは思う。
「……楽しかった。な」
ふと、夢中で祖父の思い出話を語っていたスイの言葉が途切れた。
「壱狼さんも楽しいと思ってくれてたかな」
また、あの、寂しそうな横顔。ここしばらくは見ていなかった顔だ。
病院を紹介してほしいと頼まれた日、久しぶりにスイの顔を見て、シロは愕然とした。元々、スイは一方的にシロに頼み事をするようなことはない。大抵の場合は双方に有益な等価交換ばかりだ。スイは借りてばかり、と言っているが、そのほとんどはシロが勝手にしていることで、スイが強請るようなことはない。
それだけでも驚いた。
けれど、シロが本当に驚いたのはそこではなかった。
「シロ君も、楽しんでる?」
柔らかく微笑むスイ。
けれど、この笑顔とは違う。
小鳥遊秋生。弟の冬生。二人のことを話すとき、フィルターを通して薄まったようだった表情に鮮やかな色がのる。
「ああ。スイさんといると、何してても楽しいよ」
本当は苦しかった。いつもそばにいることを望まれていないと分かってしまうことも。固く閉ざされた彼の心の扉を開く勇気も、権利も自分にはないことも。冗談のようにしか伝えられない想いも。いつか、スイがいなくなると漠然と感じる恐怖も。
それでも、誰一人として、そこに立ち入ることができるものがいなかったから、耐えられた。
「シロ君は優しいな」
今。扉は開きかけている。
でも、その先に行けるのは、自分ではない。
シロは思う。
踏み出さなかったのは自分の弱さだ。スイを傷つけたくないと言い訳して、本当は失うのが怖かっただけだ。だから、負け犬の自分はしっぽを巻いて退散するしかない。
扉を開けてその先に進むのはきっと、あの二人なのだろう。
わかってはいる。それでも、耐えられるかどうか、シロにはわからない。
スイが幸せそうにしていてくれるならともかく、こんな顔をさせる相手に渡したくない。
「優しくなんてねえよ」
このまま、返さずに。
と、暗い思いが湧き上がってきた、その時だった。
スイと出会ってもう、3・4年は経つだろうか。初めは祖父・壱狼の将棋仲間だと紹介された。もちろん、祖父の友人としては随分と若い彼を最初は不審に思っていた。
彼が祖父の棋譜を誰かに伝えているのを知ってからは、祖父が祖母を裏切っている手助けをしていると、敵意すら持ったこともある。けれど、真実を知った後は、祖父が最期の時間を幸福に過ごせたのは彼のお陰だと感謝した。その感謝が、特別な感情に変わるのにさほど時間は要らなかった。
彼は多くを語らないから、シロはスイのことをほぼ、何も知らない。情報屋をしていること、戸籍すら持たずに偽造IDで生活していること、何かから逃げるように転居を繰り返していること、その端正な横顔がいつもさみしそうなこと、5年ほど前にこの街にくる以前のことを知っているものは誰もいないこと、そして、それを詮索されるのを恐れていることくらいだ。
「……壱狼さんがさ……」
今日のスイは饒舌だ。
まるで、言葉を挟まれるのを恐れているように思える。
祖父の墓所にいるときからおかしかった。その時は暗くて分かりづらかったのだが、涙の跡が残っていた気がする。
何があったのか問いただしたい。
けれど、聞けない。
今日、何があったのか聞くことは、スイが知られたくないと敢えて口に出さない過去を聞くのと同義な気がしていた。そして、その場所に踏み込んでしまったら、スイが消えてしまうと、シロは半ば確信していた。
たとえ、友人としてでもいい。それでスイを少しでも癒せるなら、ぬるま湯のような関係でいい。たとえ、それが自分自身でも、スイを傷つけるのなら許せない。
だから、いつも、その一歩は踏み出せなかったし、これから先も踏み出すことはないと、シロは思う。
「……楽しかった。な」
ふと、夢中で祖父の思い出話を語っていたスイの言葉が途切れた。
「壱狼さんも楽しいと思ってくれてたかな」
また、あの、寂しそうな横顔。ここしばらくは見ていなかった顔だ。
病院を紹介してほしいと頼まれた日、久しぶりにスイの顔を見て、シロは愕然とした。元々、スイは一方的にシロに頼み事をするようなことはない。大抵の場合は双方に有益な等価交換ばかりだ。スイは借りてばかり、と言っているが、そのほとんどはシロが勝手にしていることで、スイが強請るようなことはない。
それだけでも驚いた。
けれど、シロが本当に驚いたのはそこではなかった。
「シロ君も、楽しんでる?」
柔らかく微笑むスイ。
けれど、この笑顔とは違う。
小鳥遊秋生。弟の冬生。二人のことを話すとき、フィルターを通して薄まったようだった表情に鮮やかな色がのる。
「ああ。スイさんといると、何してても楽しいよ」
本当は苦しかった。いつもそばにいることを望まれていないと分かってしまうことも。固く閉ざされた彼の心の扉を開く勇気も、権利も自分にはないことも。冗談のようにしか伝えられない想いも。いつか、スイがいなくなると漠然と感じる恐怖も。
それでも、誰一人として、そこに立ち入ることができるものがいなかったから、耐えられた。
「シロ君は優しいな」
今。扉は開きかけている。
でも、その先に行けるのは、自分ではない。
シロは思う。
踏み出さなかったのは自分の弱さだ。スイを傷つけたくないと言い訳して、本当は失うのが怖かっただけだ。だから、負け犬の自分はしっぽを巻いて退散するしかない。
扉を開けてその先に進むのはきっと、あの二人なのだろう。
わかってはいる。それでも、耐えられるかどうか、シロにはわからない。
スイが幸せそうにしていてくれるならともかく、こんな顔をさせる相手に渡したくない。
「優しくなんてねえよ」
このまま、返さずに。
と、暗い思いが湧き上がってきた、その時だった。
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