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FiLwT
触らないから 5
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シロのことを信じていないわけではない。彼は本当に気持ちのいい男だし、本当に見返りなしにスイによくしてくれる。それは分かっていても、スイは彼を自分の中に入れようとは思わなかった。
この街に来て五年。スイの隠していること、過去のこと、できればいつか話したいと思えたのは、二人だけだ。
「……何が知りたい?」
だから、スイはアキの顔を見上げて言った。
「全部、すぐには無理だけど。ちゃんと、話すよ」
自分のことを知りたいとアキが思ってくれているのがスイにとっては嬉しかった。自分も、わからないアキのことを知りたいと思っていたから。
「……じゃ。ひとつ。聞いていい?」
少し身を屈めて、アキの赤い瞳がスイの顔を覗き込んでくる。その顔があまりにも綺麗で、心臓が跳ねる。
「うん」
アキの顔が綺麗なことなんて、知っていた。毎日目の保養をさせてもらっている。アキの容姿の整い方は性別なんて関係ない。多分、100人見たら99人までが綺麗だと答えるだろう。造作だけでも十分すぎるほど美しい。
何だか、少し怖くなるくらい。
「スイさんが探してる人って誰?」
す。と、アキの指先が人混みを指差す。
アキはすごく思いつめたような表情だった。それが一度も見たことにないような顔だったから、スイは思わず答えることも忘れて、一瞬、その顔に見入ってしまった。
けれど、すぐに問われたことの意味が頭に浸透してくる。
「…………だれ……って」
頭を過ぎった場面。おそらくは、その答えになる人の顔。
急に息が苦しくなった。うまく、呼吸ができない。どういうふうに呼吸をしていたのかすら、わからなくなる。
「……なん……」
喉が張り付いたようで言葉にならない。
ダメだ。
思い出すな。
自分自身に言い聞かせるけれど、次々に色々な場面が心に浮かぶ。
その人が、自分に向けた顔の殆どは優しい笑顔だった。にもかかわらず、思い出せるのは穴の底のような昏い目だけだ。
「スイさん? どうした?」
スイの様子がおかしいことに気づいたのか、アキの表情が心配するようなそれに変わる。けれど、アキの言葉はスイの耳には届いていなかった。
ぐるぐると思い出したくない過去の映像ばかりが頭で再生され続けている。
「ごめん。言ってくれるまで待つって言ったのに……。スイさん大丈夫?」
アキの手がスイの肩に伸びる。それが、再生され続けている頭の中の映像にダブってスイは思わずその手を振り払っていた。
「あ……」
ぱん。と、弾かれた音に我に返る。
「…………ごめん」
消えてしまいそうな謝罪に、アキの顔を見上げると酷く驚いた顔をした後、一目で分かるくらいに表情が暗くなった。何かすごく大事なものが壊れてしまったみたいな悲し気な表情に胸が締め付けられる。
「無神経だった……。大丈夫?」
アキを拒絶したかったわけではない。
質問にだって、できる限り真摯に向き合おうと思っていた。今すべて話せなくても、ゆっくりでも、話せたらいいと思っていた。
しかし、アキの質問はスイの心の傷を一瞬で抉ってしまう最悪の質問だった。その質問がスイに致命傷を与えてしまうのだと、アキは知らない。どんな心境からそんな質問をしたのかわからない。
過去になにがあったのかとか。どうして一人でいるのかとか。仕事のこととか。自分のこととか。そんな質問ならきっと何とか答えられた。
でも、その質問だけは別だ。
スイに全てを与えた男。そして、全て奪った男。
その人を思い出すとき、過去になったと思った傷はまるで、今、ナイフで抉られたかのように血を流す。それを思い知らされた。
「も。聞かないし、触らないから……」
アキは何も悪くない。スイが何も話さなかったから、知らなくて当然なのだ。
しかも、アキは「スイの探している人」と、聞いた。その相手がスイにとってどんな人物なのかも知らない。ただ、その影に怯え続けて無意識に人ごみにその姿を探してしまうスイに気付いていただけだ。
「……逃げないで」
スイに向かって伸ばしかけた手を宙で彷徨わせてから、ぎゅ。と、拳を握って、アキが言った。
まるで、心臓を握りつぶされたようだった。
それでも、言葉は出てきてくれない。アキは何も悪くない。誤解だと言いたくても、どう説明していいかわからなくて、スイはただ、小さく頷いた。
「ありがと。……じゃ、行こう」
少しだけ、ほっとしたような顔をしてから、いつもの表情に戻ってアキが言う。その言葉にも頷くだけで答えると、二人は歩き出した。
街の喧騒がさっきまでより遠く感じる。隣を歩くアキも遠く感じる。
貸してもらった上着をぎゅ。と、引き寄せても寒くて凍えそうな、寒い夜の出来事だった。
この街に来て五年。スイの隠していること、過去のこと、できればいつか話したいと思えたのは、二人だけだ。
「……何が知りたい?」
だから、スイはアキの顔を見上げて言った。
「全部、すぐには無理だけど。ちゃんと、話すよ」
自分のことを知りたいとアキが思ってくれているのがスイにとっては嬉しかった。自分も、わからないアキのことを知りたいと思っていたから。
「……じゃ。ひとつ。聞いていい?」
少し身を屈めて、アキの赤い瞳がスイの顔を覗き込んでくる。その顔があまりにも綺麗で、心臓が跳ねる。
「うん」
アキの顔が綺麗なことなんて、知っていた。毎日目の保養をさせてもらっている。アキの容姿の整い方は性別なんて関係ない。多分、100人見たら99人までが綺麗だと答えるだろう。造作だけでも十分すぎるほど美しい。
何だか、少し怖くなるくらい。
「スイさんが探してる人って誰?」
す。と、アキの指先が人混みを指差す。
アキはすごく思いつめたような表情だった。それが一度も見たことにないような顔だったから、スイは思わず答えることも忘れて、一瞬、その顔に見入ってしまった。
けれど、すぐに問われたことの意味が頭に浸透してくる。
「…………だれ……って」
頭を過ぎった場面。おそらくは、その答えになる人の顔。
急に息が苦しくなった。うまく、呼吸ができない。どういうふうに呼吸をしていたのかすら、わからなくなる。
「……なん……」
喉が張り付いたようで言葉にならない。
ダメだ。
思い出すな。
自分自身に言い聞かせるけれど、次々に色々な場面が心に浮かぶ。
その人が、自分に向けた顔の殆どは優しい笑顔だった。にもかかわらず、思い出せるのは穴の底のような昏い目だけだ。
「スイさん? どうした?」
スイの様子がおかしいことに気づいたのか、アキの表情が心配するようなそれに変わる。けれど、アキの言葉はスイの耳には届いていなかった。
ぐるぐると思い出したくない過去の映像ばかりが頭で再生され続けている。
「ごめん。言ってくれるまで待つって言ったのに……。スイさん大丈夫?」
アキの手がスイの肩に伸びる。それが、再生され続けている頭の中の映像にダブってスイは思わずその手を振り払っていた。
「あ……」
ぱん。と、弾かれた音に我に返る。
「…………ごめん」
消えてしまいそうな謝罪に、アキの顔を見上げると酷く驚いた顔をした後、一目で分かるくらいに表情が暗くなった。何かすごく大事なものが壊れてしまったみたいな悲し気な表情に胸が締め付けられる。
「無神経だった……。大丈夫?」
アキを拒絶したかったわけではない。
質問にだって、できる限り真摯に向き合おうと思っていた。今すべて話せなくても、ゆっくりでも、話せたらいいと思っていた。
しかし、アキの質問はスイの心の傷を一瞬で抉ってしまう最悪の質問だった。その質問がスイに致命傷を与えてしまうのだと、アキは知らない。どんな心境からそんな質問をしたのかわからない。
過去になにがあったのかとか。どうして一人でいるのかとか。仕事のこととか。自分のこととか。そんな質問ならきっと何とか答えられた。
でも、その質問だけは別だ。
スイに全てを与えた男。そして、全て奪った男。
その人を思い出すとき、過去になったと思った傷はまるで、今、ナイフで抉られたかのように血を流す。それを思い知らされた。
「も。聞かないし、触らないから……」
アキは何も悪くない。スイが何も話さなかったから、知らなくて当然なのだ。
しかも、アキは「スイの探している人」と、聞いた。その相手がスイにとってどんな人物なのかも知らない。ただ、その影に怯え続けて無意識に人ごみにその姿を探してしまうスイに気付いていただけだ。
「……逃げないで」
スイに向かって伸ばしかけた手を宙で彷徨わせてから、ぎゅ。と、拳を握って、アキが言った。
まるで、心臓を握りつぶされたようだった。
それでも、言葉は出てきてくれない。アキは何も悪くない。誤解だと言いたくても、どう説明していいかわからなくて、スイはただ、小さく頷いた。
「ありがと。……じゃ、行こう」
少しだけ、ほっとしたような顔をしてから、いつもの表情に戻ってアキが言う。その言葉にも頷くだけで答えると、二人は歩き出した。
街の喧騒がさっきまでより遠く感じる。隣を歩くアキも遠く感じる。
貸してもらった上着をぎゅ。と、引き寄せても寒くて凍えそうな、寒い夜の出来事だった。
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