遠くて近い世界で

司書Y

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狂犬と引きこもり 3

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「へえ。声もかわいいじゃん」

 スイの言ったことが聞こえていないかのように、もう一人の男が言った。
 かわいい。と、言われて、背中がぞわっとする。確かに高めの声ではあるけれど、年上のお姉さま以外にそんなふうに言われたことも、今までにはなかった。

「てか、緑の髪いいね。似合ってる」

 遺伝子改変薬が使用されていた時代。元々は人類には存在しない色や部位を付与するような過激な遺伝子操作すら行われていた。成功率は高くはなく、失敗すると深刻な遺伝子異常を抱えることになるのだが、それでも、様々な理由からそれらの薬が研究され、使用された。
 もちろん、スイ自身は遺伝子改変薬を使用したわけではない。ただ、遺伝子に残された傷は当たり前のことなのだが子孫に遺伝し、スイのような本来人体にはあり得ない特徴を持つ子供は数を減らしたとはいえ、未だに生まれ続けている。

「よく見たら、目の色も?」

 染髪やカラコンの技術が上がって、様々な髪色を持つ人も増えてはいる。だから、緑の髪がそこまで珍しいわけではない。けれど、スイ自身も認識していない特徴が、その髪には、瞳にはある。

「うわ。やば。めちゃきれーじゃん。なに? 本物?」

 何世代もかけて遺伝子に馴染んだ自然な色合い。根元から毛先まで均一で滑らかな光沢。ふわり。と、柔らかそうな質感。
 普段は目立たないようにキャップやフードで隠しているそれを、今日は晒しているのは単純に夜の待ち合わせで、髪色なんて目立たないと思っていたことと、人ごみに埋もれてしまう小柄な自分を待ち合わせの相手がすぐに見つける目印になればと思ったからだ。
 その髪に、男の手が伸びてくる。熱気を帯びて見える視線。一瞬、思い出したくない過去がフラッシュバックして、スイはその手を払いのけた。

「いて」

 一瞬だけスイの抵抗に怯んで、けれど、思い直したようにそれすらも楽しいでいるように、男は笑った。いや、笑いというにはあまりに下品で、粗暴で、攻撃的な表情だ。

 落ち着け。

 と、心の中で呟く。

「イエ。にせものデス」

 不愉快。
 という表情を作って、スイは答えた。
 男からナンパされたって、断って諦めてくれるなら構わない。その人の性的嗜好を否定しようなんて全く思わない。
 否定したいのは、断ってもぐいぐいくる理解力のなさだ。付け加えるなら、無遠慮にじろじろ見られるのも、パーソナルスペースに入ってこられるのも、可愛いとか歯の浮くような嘘も。全部、気持ち悪い。

「待ち合わせしてマスので、お引き取りクダサイ」

 これ以上付きまとわれるのも嫌だし、かといって、待ち合わせ中なので場所を変えるわけにもいかないから、スイはできうる限りの嫌そうな顔を作った。つもりだった。

「またまた。もう20分もそこにいるじゃん。すっぽかされたんでしょ?」

 その言葉に、不快さはさらに増した。20分も前からこいつらに見られていたなんて、ぞっとする。

「寒いしさ。輝夜町の「BIG H」とかどう? 奢るよ?」

 最近、十代から二十代の若者に人気のクラブの名前をあげて、男が言う。いかにもテンプレなチョイスだと思う。この界隈の若者ならとりあえず合格点というところだろう。
 けれど、スイには興味なんて一ミリもない。あんな狭い場所に人がひしめき合っているのなんて、冗談じゃない。一度だけ仕事の情報収集のために入ったことがあるのだが、うるさいし気持ちが悪いし、仕事にならないのですぐに出てしまった。
 大体、スイがそっち系に興味のなさそうなことは、服装や態度で分かりそうなものなのに全く気付いていないのに、段々と腹が立ってくる。

「もしかしたら、未成年? 大丈夫。そんなの今時気にする奴いないよ」

 年齢のことを言われたのは決定打だった。小柄なこともそうなのだが、童顔なのは、スイにとってはコンプレックスだった。スイのような仕事をしていると、舐められるのは好ましくない。それを逆手に取ることもできるのだが不利なことが多いのも現実だ。
 大体、普通に考えたら、こんな誘い方でナンパが成功するわけがない。どちらかというと、嫌がらせされているような気になってくる。
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