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ヘッドホンからは、女性シンガーの歌声が流れていた。
その曲は出会ったその日からずっとただ一人の人を想っているひとの歌だった。
その曲を聴きながら、スイは階段を上っていた。
空は、珍しく晴れて、どこまでも青い。その空が、とても綺麗だと思う。
いつもと同じ空なのに。
たくさん、失くしてきた。それは、多分、誰でも同じだと思う。
誰でも、生きているとたくさんのものを失くす。それが、スイは少しほかの人より多かっただけだ。
けれど、失くしてきたものは全部、かけがえのないものばかりだったから、また立ち上がって前を向くために思ったよりも、ずっと時間がかかってしまったのだろう。
頬を撫でる風が心地よい。この街にもこんな日があるんだと、初めて知った。そう思うと、この街が好きになった。
嫌いではない。ではなく、好きになった。
ヘッドホンからは何度も信じていればきっとかなう。と、聞こえる。励ましてもらっていると感じられるのはきっと、スイ自身が変わったからだ。いや、変わりたいと願っているからだ。
階段を登り終えて、ドアの前に立つ。ヘッドホンを外す。
深呼吸をひとつ。
ドアについたチャイムを鳴らした。
「はい」
ドアの向こうから、返事がある。それは、よく通る低い声だった。それから、足音。それも、聞きなれた音。きっと、これはユキだ。
ドアチェーンを外す音がして、ドアが開く。
「あれ? スイさん。どうしたの?? 今日忙しいって言ってなかった?」
驚いた顔で黒曜石の瞳がスイを見つめる。
ユキの声に今度は奥から、静かな足音。これは、アキ。
「……スイさん? いらっしゃい。入ってよ」
今日、いや、多分、今、退院して病院から帰ってきたばかりのアキが顔を出す。もう、すっかりいつもどおりに戻っていて安心した。
アキの退院の付き添いでさっきまでユキがうちにいなかったのも、スイは知っていた。だから、今日を選んだのだ。
「……あのさ」
音楽をかけっぱなしのヘッドホンからは少しだけ音が漏れて来る。
まだ言えないことがたくさんあって。それはずっと隠したままにしておきたと思う。思うけれど、同じくらい強く、知ってほしいとも思う。知っても、二人ならいなくなったりしない。そう、信じたい。
きっと、これからも、すれ違いは沢山あると思う。傷つけあうこともあるかもしれない。
「隣に引っ越してきました。よろしくお願いします」
ぺこり。と、頭を下げて、スイは自分にできる限り最高の笑顔を作った。いや、作ったのではない。計画が成功して、ここにいられるのが嬉しくて、思わず笑顔になってしまった。
「「!!!!!!!!」」
言葉を失うアキとユキ。この顔が見たかった。
「え? え? え?」
ユキが若干パニックって、疑問詞だけを張りつけている。
「だって、お隣さんは???」
至極まともな疑問を投げかけて来るアキ。入院していたから、アキが知らないのも無理はない。
「昨日、引っ越したよ。誕生日の日に引っ越しますって、挨拶されたけど? 俺が引っ越してきたは今日。だから、忙しいって言ってただろ?」
ユキが知らなかったのは驚きだけど、お隣さんはスイがここに住んでいると思っていたので、それも仕方ないかもしれない。スイに話したらユキにも伝わると思っていたのだろう。
「やた! じゃあ、毎日一緒にいられるんだ」
嬉しそうに笑うユキ。もっと、驚いてくれると思っていたのに、意外にすぐに冷静になっている。いや、冷静なのかは分からないけれど、順応性が高い若者ってすごい。と、スイは思う。
「……毎朝。8時に起こされるわけ?」
アキが天を仰ぐ。そのわりには、口の端はにやけている。というか、8時は決して早起きではない。
「俺がそばにいるからにはだらけた生活させないからな」
腰に手を当てて、左手でアキを指差して、ドヤ顔でスイが宣言する。
まだ、少し怖い。けれど、二人と行こうと決めた。
女性シンガーがヘッドホンの中で歌う。
信じていれば、きっと伝わる。
だから、また、歩き出そう。
どこまでも、どこまでも青いこの空の下で。
その曲は出会ったその日からずっとただ一人の人を想っているひとの歌だった。
その曲を聴きながら、スイは階段を上っていた。
空は、珍しく晴れて、どこまでも青い。その空が、とても綺麗だと思う。
いつもと同じ空なのに。
たくさん、失くしてきた。それは、多分、誰でも同じだと思う。
誰でも、生きているとたくさんのものを失くす。それが、スイは少しほかの人より多かっただけだ。
けれど、失くしてきたものは全部、かけがえのないものばかりだったから、また立ち上がって前を向くために思ったよりも、ずっと時間がかかってしまったのだろう。
頬を撫でる風が心地よい。この街にもこんな日があるんだと、初めて知った。そう思うと、この街が好きになった。
嫌いではない。ではなく、好きになった。
ヘッドホンからは何度も信じていればきっとかなう。と、聞こえる。励ましてもらっていると感じられるのはきっと、スイ自身が変わったからだ。いや、変わりたいと願っているからだ。
階段を登り終えて、ドアの前に立つ。ヘッドホンを外す。
深呼吸をひとつ。
ドアについたチャイムを鳴らした。
「はい」
ドアの向こうから、返事がある。それは、よく通る低い声だった。それから、足音。それも、聞きなれた音。きっと、これはユキだ。
ドアチェーンを外す音がして、ドアが開く。
「あれ? スイさん。どうしたの?? 今日忙しいって言ってなかった?」
驚いた顔で黒曜石の瞳がスイを見つめる。
ユキの声に今度は奥から、静かな足音。これは、アキ。
「……スイさん? いらっしゃい。入ってよ」
今日、いや、多分、今、退院して病院から帰ってきたばかりのアキが顔を出す。もう、すっかりいつもどおりに戻っていて安心した。
アキの退院の付き添いでさっきまでユキがうちにいなかったのも、スイは知っていた。だから、今日を選んだのだ。
「……あのさ」
音楽をかけっぱなしのヘッドホンからは少しだけ音が漏れて来る。
まだ言えないことがたくさんあって。それはずっと隠したままにしておきたと思う。思うけれど、同じくらい強く、知ってほしいとも思う。知っても、二人ならいなくなったりしない。そう、信じたい。
きっと、これからも、すれ違いは沢山あると思う。傷つけあうこともあるかもしれない。
「隣に引っ越してきました。よろしくお願いします」
ぺこり。と、頭を下げて、スイは自分にできる限り最高の笑顔を作った。いや、作ったのではない。計画が成功して、ここにいられるのが嬉しくて、思わず笑顔になってしまった。
「「!!!!!!!!」」
言葉を失うアキとユキ。この顔が見たかった。
「え? え? え?」
ユキが若干パニックって、疑問詞だけを張りつけている。
「だって、お隣さんは???」
至極まともな疑問を投げかけて来るアキ。入院していたから、アキが知らないのも無理はない。
「昨日、引っ越したよ。誕生日の日に引っ越しますって、挨拶されたけど? 俺が引っ越してきたは今日。だから、忙しいって言ってただろ?」
ユキが知らなかったのは驚きだけど、お隣さんはスイがここに住んでいると思っていたので、それも仕方ないかもしれない。スイに話したらユキにも伝わると思っていたのだろう。
「やた! じゃあ、毎日一緒にいられるんだ」
嬉しそうに笑うユキ。もっと、驚いてくれると思っていたのに、意外にすぐに冷静になっている。いや、冷静なのかは分からないけれど、順応性が高い若者ってすごい。と、スイは思う。
「……毎朝。8時に起こされるわけ?」
アキが天を仰ぐ。そのわりには、口の端はにやけている。というか、8時は決して早起きではない。
「俺がそばにいるからにはだらけた生活させないからな」
腰に手を当てて、左手でアキを指差して、ドヤ顔でスイが宣言する。
まだ、少し怖い。けれど、二人と行こうと決めた。
女性シンガーがヘッドホンの中で歌う。
信じていれば、きっと伝わる。
だから、また、歩き出そう。
どこまでも、どこまでも青いこの空の下で。
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