遠くて近い世界で

司書Y

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「あ。アキ君、大丈夫?」

 痛みをこらえてスイの肩に手を置く。

「だって、俺が“ユキのこと頼む”って言ったら、スイさん、やだって」

 確かにそう言っていた。いくら酔っていたとはいえ、こんな簡単な一言を、いや、こんな衝撃的な一言を聞き間違えるはずがない。きっと、分かったと言ってくれると思っていただけに、衝撃は大きかったから。

「え? あ?? いや。違うよ。そうじゃなくて……あれ? ……ああ!」

 そこまで言って、二人の思いの食い違いに思い至ったのか、スイが噴き出した。それから、その笑いで傷んだのか胸を押さえて蹲る。

「……いててて。……はは」

「スイさん!?」

 痛みに顔を歪めながらもまだ笑っているスイ。その体勢のままアキを見上げる。
 さっきの儚げな横顔とは違う、楽しげな笑いにアキは少しほっとした。彼が、そこに、確実に、存在していると実感できたからだ。

「……や。そうじゃなくて。俺が言ったのは“ユキを頼む”がいやなんじゃなくて、“俺に何かあったら”がいやだって言ったんだよ」

 ようやくおさまった笑いに、まだ顔を歪めながらスイが立ち上がった。
 ちん。
 と音がして、エレベータが11階で止まる。

「だって、さ。君に何かあったらいやだよ」

 アキの手を取って、もう一度肩に掴まらせて、エレベータに乗せる。
 照れているのだろうか。その首筋が、耳のあたりがほんのり赤くなっている。その背中が、少し小さく見える。いや、そうではなくて……。

「頼むんなら、二人纏めてにしてくれる?」

 何気なく言ったつもりなのだろうけど、声が上ずっていた。
 そう。とても、可愛く見えた。こんな人が、図体でかいだけで、殆ど役に立たなかった自分を助けに来てくれたヒーローなのだ。

「といっても……ユキ君には信頼されてないかな。俺……」

 足元に視線を落として、スイが言う。折角見られた笑顔が曇ってしまったのが、すごく残念で、もっと笑ってほしいとアキは思う。

「家族がいない俺にはわかんないって……」

 傷が痛んで、話すのはつらかった。でも、スイの辛そうな顔をみるのはもっと痛い。
 きっとユキはそんなつもりじゃない。アキにはそれが分かった。

「ああ……それは。……悪い。
 あいつさ。……年の割にはガキっぽいだろ? ……いろいろあって。これはまた、話すつもりだけど……6歳から、13歳くらいまで殆ど外の世界から切り離されて育ったんだ。友達とかもいなくて、もちろん俺もいなくて、7年間戦闘訓練だけさせられてた」

 アキの言葉に驚いた顔でスイが振り返る。誰にも話したことのない秘密だった。下手をすると、自分自身の首を絞めかねない話だと自覚していたから。
 でも、スイになら全部話してもいいと思う。

「だからさ。わかん……ないんだよ。他人との距離感っていうかそういうの。
 あいつ。スイさんのこと結構……。かなり……すげぇ好きで。スイさん、めちゃ優しいから、甘えてるんだと思う。ただ、距離感つかめないから、どうやって甘えていいのかわかんないんだよ」

 スイにひどいことをいったと自分に伝えてきたユキの声を思い出す。なんだか泣きそうな声だった。多分、スイに嫌われたくないのだと思う。でも、ユキはそれをどうやって伝えていいかもわからないのだ。

「俺。アキ君をどうしても助けたくて。冷たい言い方したから、嫌われたかと思った」

 ああ。似た者同士なんだ。

 アキは思う。

 二人とも、不器用で、優しい。
 だからか。
 ユキに似ているスイだから、信じようと思ったのかもしれない。

 ちん。と音がして、エレベータが1Fについた。

「……少なくとも、ユキはスイさんのこと嫌ったりはしてないよ……あいつが……自分から、自分の領域に他人を入れたのなんて初めてだ。……俺以外に我儘言ったのも、他人がいる部屋で転寝してるのを……見たのも初めて……だよ」

 アキの言葉に、スイはふい。と、そっぽを向いてしまった。さっきよりもっと、耳が赤い。
 でも、きっと、そっぽを向いたその顔は笑っていてくれると思う。

「……と……ころでさ。」

 自分の勘違いも、スイの誤解も、ユキの謝罪も、全部解決したら、安心して、がくと足から力が抜けた。もう、さすがに立っていられそうになない。
 
「サ……ビス。しすぎ……た」

 崩れ落ちる身体をスイの細い腕が支える。それでも支えきれなくて、エレベータのドアにはさまったまま、スイも一緒に倒れこむ。

「アキ君!?」

「……も。限界っぽい……寝ていい?」

 意識があったのは、そこまでだった。
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