遠くて近い世界で

司書Y

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「ユキ君」

 インカムから聞こえてきた声にユキははっとした。思考が急に現実に引き戻される。

「聞こえてる?」

 小声で聞き取りづらい。おそらくもう、あのビルの中に侵入しているのだろう。ビルには金融系の事務所などは入っておらず、比較的簡単に(スイにとってはだが)セキュリティに侵入できると彼は言っていた。

「聞こえてる」

 今は、なにも考えない。
 考えるのは、目の前のミッションをこなすことだけ。
 そう、自分に言い聞かせる。その方法は散々覚えさせられた。

「廊下の監視カメラの映像だと、中にいるのはおそらくさっきの5人だけだ。そっちからは見えるか?」

 双眼鏡から見えるのは、アキとそのほかに3人。部屋は一繋がりのようなので、部屋の奥の方は角度的に見えないといった感じだった。

「こっちから見えるのは3人。映像送る。……あと、兄貴も見える」

 その言葉に、僅かに間をおいてから、スイが言う。

「……アキ君は……」

 ユキに心配させないためか、努めて冷静を装っているが、その声は微妙に震えている。

「大丈夫。ときどき動いているのが見える。ただし……出血が……」

 なんであんなことを言ってしまったのかと、後悔ばかりが浮かんでくる。
 自分があんなことを言ってしまったから、スイは自分が突入すると言い出したのではないだろうか。

「わかってる。準備は?」

 双眼鏡を外し、ライフルのスコープを覗く。

「……あと、5分……いや。3分くれ」

 規則的な呼吸を繰り返し誤差の微調整をする。
 いつもはスポッターについてくれる兄はいない。5・600m程度の距離ならともかく、殆ど未知の領域のこの距離を当てられるだろうか。
 いや。当てないわけにはいかない。自分のこの一発にアキとスイの命が掛かっている。

「ユキ君。準備しながらでいいし、返事もしなくていいから、聞いてくれ」

 覚悟を決めたのだろうか、落ち着いた声でスイが言う。

「これは確認だ。
 まず、相手このビルにいる事を俺たちが知っているということを知らない。だから、油断をしている。君から送られてきた映像では、アキ君の3m以内に三人いるけど、実際に銃を出してすぐに攻撃に移れるのは一人だけだ。
 ユキ君が狙うのはその一人。君が引き金を引いた2秒後、ハッキングしておいたオフィスシステムを使ってこの階の電気を消して、俺が突入する。鍵は守衛室からマスターキーを手に入れておいたから。
 外から熱感知カメラで確認した限りでは、あと二人のうち一人はドア付近にいる。こいつとアキ君のそばにいるあと二人は俺が片づける。部屋の構造は複雑ではないし、攻撃準備のできていない相手なら暗闇に乗じれば俺でも大丈夫。
 ……ただ。一つ不確定要素は、奥のパーテーションの中にいる一人。いるのはわかるけど、何をしているか、何を持っているか想像することしかできないし、想像は作戦の妨げになると思う。
 だから、君には一射目を撃ったらすぐに装填して二射目の準備をしていてほしい。部屋の電気は20秒でつく。もちろん、その前に俺が片づけられればやるけど……こんな、不確定な作戦で……ごめん」

 スイの声にユキは自分が少しずつ落ち着いていくのを感じていた。スイなりに、最も成功率の高い方法を考えてくれているのだろう。自分にはわからない葛藤や逡巡を繰り返して。
 自分たちは軍隊にいるわけじゃない。不確定な作戦なんて、いつものことだ。

「でも……大丈夫。君なら当てられる。信じてる」

 確信に満ちた声だった。さっきアキを心配していた震えるような声とは全く違う。だから、ユキも自分を信じることにした。

「わかった。当てる」

 そう答えてから大きく息を吸う。

「もう、大丈夫。いける」

 その声に、ふ。とスイも息をつく。

「わかった。俺は、もう、部屋まで30mの場所にいる。タイミングはユキ君が。カウント5から頼む」

 3秒。目を瞑ってから、もう一度スコープを覗く。

「……5、4、3、2、1、GO!」

 声に合わせて引き金を引いた。
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