遠くて近い世界で

司書Y

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3-1

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「……っっ!!」

 さっきまで転寝をしていたユキが、いきなりがばっと起き上がった。緊張した表情。さっきまでとは全く別人だ。アキもソファからいつでも立ち上がれるように組んでいた脚を解き、懐にさした銃に手をかけている。
 もちろん、スイも腰の後ろに差したナイフを確認する。今日は5本。やっぱり少なかったとため息が出そうになる。

「……兄貴」

 すっかり酔いの醒めた顔をして、ユキが囁く。声を殺しているという程ではない。けれど、トーンは低い。
 エントランスのドアの向こう。マンションの廊下に複数の人間の気配がある。おおよそ友好的という言葉とはかけ離れたざらざらした感覚が肌を撫ぜる。スイの感覚器官は外の人間を完全に“敵”と認識した。どうやらそれは、アキとユキも同じだったらしい。

「……多い」

 床に耳をつけ、足音を数えているのか、アキが言う。

「ここで片づけられなかったら……、“トラッシュ”で」

 アキの言葉にユキが頷く。おそらくは二人の間で取り決めている符丁だ。しかし、その符丁はスイにはわからないものだった。
 多分、スイにはわからないのだと、気づいてはっとして、アキが言い直そうとするのをスイは片手で制した。

「俺は大丈夫」

 無事でさえいられればなんとでもなる。人探しも得意分野だ。
 戦闘態勢に入ろうと、ナイフを抜き際、手の甲にふとあたったものに、動きが止まる。それはさっき、自分自身でジーンズのポケットに押し込んだものだった。
 意図がなかったかと言われれば、ないわけでもないが、深く考えていたわけではない。でも、ポケットから出したそれを、スイはアキのポケットに突っ込んだ。

「!? なに……スイさん」

 臨戦態勢になっているところに横からそんなことをされて、驚くアキに笑いかける。少しぎこちなかったかもしれない。それでも、スイはスイなりに、アキを安心させたかった。

「持ってて」

 そういうのと、ドアを蹴破る音は一緒だった。

 ドアが開いた途端に部屋の中は騒がしくなった。
 アキ、ユキ、スイは一斉にソファの陰に隠れて、様子を窺う。相手は5人。アキが多いと言っていたからには、外に数人待機しているのだろう。

「随分乱暴なご訪問だけど、何? 今日アポあったっけ?」

 ソファからは顔を出さず、アキが聞く。聞きながら、胸元から抜いた銃にサプレッサーを付けているのが見えた。
 もちろん、こちらが在宅なことくらいは承知の上だろう。でなければ、武装している意味がない。人数からいっても、強盗の線もない。個人宅を襲うにしては人数が多すぎる。
 一瞬でそこまで考察して、スイは相手をさらに観察する。

「返してもらおうか」

 この街はかなり特殊な街だ。街自体の大きさ、人口は政令指定都市ほどなのだが、行政の手が行き届いていない。それが、原因なのか、理由なのか、かわりに街の秩序は3つの広域指定暴力団が治めている。勢力が拮抗しているとは言い難いが、この3つの団体が睨みあうことで微妙な均衡を保っているのだ。
 先の“催眠療法事件”の勘解由小路組系四犀会。昔堅気のヤクザという風体の国内最大組織“白狼連合”系の川和組。
 そして、北の大国とのつながりを噂されている“菱川組”系、菱川興業だ。持っている武器を観察する限りではどうも、3つ目の菱川である可能性が大きい。
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