遠くて近い世界で

司書Y

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「OK」

 殆ど即答だった。アキに確認もせず、ユキが答える。まるで、そう言ってくれるのを待ってましたというような雰囲気だったように思う。

「ユキ」

 諌めるような口調でアキが言う。
 あまり、楽な仕事ではないだろう。おそらく、スイの部屋は四犀会にも、戦技研にも監視されている。朝のこともあったから、それなりの人員はさいてくるだろう。

「やるよな? 兄貴。相手は“戦技研”だぞ」

 それが、わからないわけでもないだろう。あれだけの技量の持ち主だ。しかし、ユキは譲らなかった。まっすぐにアキを見つめる。さっきまでの天真爛漫な表情はなりを潜めていた。
 わざと大きくため息をつくアキ。それで、諦めたようだった。
 きっと、この兄弟はいつもこうなんだろう。こんな時だというのに、少し微笑ましいと思う。

「どのくらい……時間を稼げばいい?」

 スイに向き直って、アキが言った。仕方なくだったはずなのに、楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「30分」

 それは作戦遂行と、相手戦力を考え合わせたギリギリのラインだ。いや、ギリギリよりは少し短い。気もする。けれど、スイも、少しだけ楽しくなってきていた。自分の限界に挑戦してみたい。頭をフル回転させて削れる時間を計算する。
 きっと大丈夫。そう思える。

「商談成立だ」

 そう言って差しだしたアキの手をスイは躊躇いなく握った。

「決行はいつにする?」

 その二人の手の上に自分の掌を重ねて、ユキが聞いてきた。

「できる限り早く。今すぐにでも。“暗号解読依頼”の期限が明日なんでね」

 答えると、ユキが楽しそうに笑う。まるで、テーマパークに行くのを心待ちにしている子供のようだ。
 
 なんだろう。こういうこと久しぶりだ。

 口には出さず、スイは思っていた。
 スイにも、かつて仲間と呼べる人たちがいたことがあった。あれは、一体何時のことだっただろう。仕事上、チームを組むことがなかったわけじゃない。彼らも、仕事上のチームだ。
 でも、その手に触れた懐かしい感触に、心の奥に沈澱していた古い記憶が水底の澱のように舞い立つのを感じる。それがスイの心を少しだけざわつかせている。
 
 冷静になれ。

 自分に言い聞かせる。今日はあの日じゃない。そして、自分もあの時の自分ではない。

「それじゃ……」

 そう言った秋の言葉に、思考に沈みかけた意識をスイは無理矢理引き戻した。今はそんなときじゃない。
 アキは立ち上がって、それから、しばし止まって何事か考えていたかと思うと踵を返す。

「あ……その前に、ちょっと待っててくれる?」

 ウインクして、アキは隣の部屋に消えていった。
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