21 / 414
SbM
5-1
しおりを挟む
肩越しに後ろから伸びてきた手。
その指先には、microSDが抓まれている。
「ああ。紹介が遅れたな。挨拶しろよ」
びくり、と身体を強張らせて、スイは後ずさった。そのままの勢いで視線を向ける。
「ども」
そこには見知った顔があった。あの黒い狼のような男。スイの肩越しにカードを差し出していたのは彼だ。
しかし。
「……いつ……の間に?」
溺れて喘ぐような情けない声が漏れる。
「いや……話しこんでたから、声かけちゃ悪いかと思って。俺、難しい話とか無理だし」
全く、気付かなかった。
足音も、呼吸音も、ドアを開ける音ですら。
それどころか、気配も、温度も、空気の流れも。
何一つ。変わっていたことに気付かなかったのだ。
「ユキです」
昨夜見たままの黒いスーツ。表情は昨夜とは少し違って、まるで少年のようだ。自己紹介する顔は天真爛漫という言葉がまさにぴったりとはまりそうな笑顔だった。
けれど、それがさらにスイの中の混乱を深くする。
確かにそこに彼はいる。だが、今の今まで全く彼がいる痕跡はなかったのだ。
最早、瞬間移動してきた。といわれても、信じてしまいそうになる。
「ああ。そいえば、一つ嘘ついた。“中身は推測になるけど”って、言ったけど、本当は知ってた。“空”だ」
アキの赤い瞳が自信たっぷりに見返してくる。
その表情に気付く。
これが違和感の正体だった。これが、彼の強さの正体だった。
「……すり替えたのか?」
ようやくのこと声を絞り出してそれだけ言う。
もう、自分の感覚を信じる事ができそうにない。これでも、危機を察知する能力は優れている方だと思っていた。その自信も完全に崩れてしまった。
「さすがにあなたの所からすり替えるのは無理。すり替えたのは黒い女の人が持ってた時だよ」
microSDをアキに渡して、ユキが言った。
確かに自分はこれを多分、身体から離していない。アキとも、ユキとも接触もしていない。もしかしたら、別の仲間の存在があったとしても、そもそも誰とも接触などしていないのだ。
そういえば、と、思い出す。ユキを初めて見たのは、あの女に会った時だった。
「昨夜の状態じゃ、あんた話聞いてくれそうになかったからな。とりあえず、危険だけ遠ざけて、あと、セカンドハウスの方はユキが守ってた」
だから、あのタイミングでの狙撃か。一体どこにいたのやら、スイは目が悪い方ではないが、その姿を視認することができなかった。
相当の腕を持っていると分かる。だからこその、信頼。
だから、アキは信じて笑っていられるのだと、思う。
「いや。ほんと。マジで眠かった。兄貴、絶対目離すな。守れよ。とかいうし」
おどけたようにアキに向かって、ユキが言う。
それから、彼は少年のような笑顔をスイに向けた。
一撃で確実に急所を打ち抜く冷静さと冷酷さ。どう見ても20代前半に見える年齢にそぐわない技術力。それなのに、その笑顔。
「メール気づいてくれてよかったよ。あそこが一番タイトだったんだ」
なぜ。そんな顔で笑えるんだろう。
スイは思う。
でも、その笑顔に、納得はいった。
部屋で受け取ったあのメール。想像通り、盗聴器の相手とは違っていた。どこでメールアドレスを知ったかは謎だが、確かにあのメールには盗聴器とは違って、害意のようなものは感じられなかった。いやな予感はしたけれど。
「あ。メアドはお向かいのタバコ屋のシゲさんに教えてもらった。すげぇいい人な」
考えていることを見透かしたようなユキの言葉に、スイは力が抜けた。
お向かいのタバコ屋の店番である、御歳82歳のシゲさんは将棋仲間である。ちなみにスイの愛飲しているタバコも置いているが、深夜には営業していないため、コンビニまでタバコを買いに行く羽目になったのだ。
「でもさ。兄貴“俺がやる”とかカッコつけといて、結局ごり押しで担ぎあげた時は笑ったわ」
心底おかしそうに笑っている黒髪の狼、ユキに少しばつが悪そうにアキは言う。
「しょうがないだろ? あいつら、意外と手際よかったんだよ」
兄貴という言葉にスイには少し思い当たることがあった。3か月ほど前から、スイの情報網にも引っ掛かっていた二人組の“ハウンド”がいた。たしか、素性はほとんど謎なのだが、兄弟だという話だったと思う。
相当腕は立つらしい。たった二人で1個小隊全滅させたとか、極秘で入国した某国の王族を誘拐して身代金払わせたとか、どこまで本当かわからない、とんでも話の宝庫になっている。
「そんで? これからどうする?」
ひとしきり兄をからかった後、弟が問う。
その問いは、兄にというより、スイに対しての問いだったらしい。
「保護……してもらったりする?」
何故なのかは知らないが、恐る恐るといった感じで聞いてくる。
「まさか」
少し食い気味にスイが答えると、弟の方、ユキは嬉しそうに笑った。
その指先には、microSDが抓まれている。
「ああ。紹介が遅れたな。挨拶しろよ」
びくり、と身体を強張らせて、スイは後ずさった。そのままの勢いで視線を向ける。
「ども」
そこには見知った顔があった。あの黒い狼のような男。スイの肩越しにカードを差し出していたのは彼だ。
しかし。
「……いつ……の間に?」
溺れて喘ぐような情けない声が漏れる。
「いや……話しこんでたから、声かけちゃ悪いかと思って。俺、難しい話とか無理だし」
全く、気付かなかった。
足音も、呼吸音も、ドアを開ける音ですら。
それどころか、気配も、温度も、空気の流れも。
何一つ。変わっていたことに気付かなかったのだ。
「ユキです」
昨夜見たままの黒いスーツ。表情は昨夜とは少し違って、まるで少年のようだ。自己紹介する顔は天真爛漫という言葉がまさにぴったりとはまりそうな笑顔だった。
けれど、それがさらにスイの中の混乱を深くする。
確かにそこに彼はいる。だが、今の今まで全く彼がいる痕跡はなかったのだ。
最早、瞬間移動してきた。といわれても、信じてしまいそうになる。
「ああ。そいえば、一つ嘘ついた。“中身は推測になるけど”って、言ったけど、本当は知ってた。“空”だ」
アキの赤い瞳が自信たっぷりに見返してくる。
その表情に気付く。
これが違和感の正体だった。これが、彼の強さの正体だった。
「……すり替えたのか?」
ようやくのこと声を絞り出してそれだけ言う。
もう、自分の感覚を信じる事ができそうにない。これでも、危機を察知する能力は優れている方だと思っていた。その自信も完全に崩れてしまった。
「さすがにあなたの所からすり替えるのは無理。すり替えたのは黒い女の人が持ってた時だよ」
microSDをアキに渡して、ユキが言った。
確かに自分はこれを多分、身体から離していない。アキとも、ユキとも接触もしていない。もしかしたら、別の仲間の存在があったとしても、そもそも誰とも接触などしていないのだ。
そういえば、と、思い出す。ユキを初めて見たのは、あの女に会った時だった。
「昨夜の状態じゃ、あんた話聞いてくれそうになかったからな。とりあえず、危険だけ遠ざけて、あと、セカンドハウスの方はユキが守ってた」
だから、あのタイミングでの狙撃か。一体どこにいたのやら、スイは目が悪い方ではないが、その姿を視認することができなかった。
相当の腕を持っていると分かる。だからこその、信頼。
だから、アキは信じて笑っていられるのだと、思う。
「いや。ほんと。マジで眠かった。兄貴、絶対目離すな。守れよ。とかいうし」
おどけたようにアキに向かって、ユキが言う。
それから、彼は少年のような笑顔をスイに向けた。
一撃で確実に急所を打ち抜く冷静さと冷酷さ。どう見ても20代前半に見える年齢にそぐわない技術力。それなのに、その笑顔。
「メール気づいてくれてよかったよ。あそこが一番タイトだったんだ」
なぜ。そんな顔で笑えるんだろう。
スイは思う。
でも、その笑顔に、納得はいった。
部屋で受け取ったあのメール。想像通り、盗聴器の相手とは違っていた。どこでメールアドレスを知ったかは謎だが、確かにあのメールには盗聴器とは違って、害意のようなものは感じられなかった。いやな予感はしたけれど。
「あ。メアドはお向かいのタバコ屋のシゲさんに教えてもらった。すげぇいい人な」
考えていることを見透かしたようなユキの言葉に、スイは力が抜けた。
お向かいのタバコ屋の店番である、御歳82歳のシゲさんは将棋仲間である。ちなみにスイの愛飲しているタバコも置いているが、深夜には営業していないため、コンビニまでタバコを買いに行く羽目になったのだ。
「でもさ。兄貴“俺がやる”とかカッコつけといて、結局ごり押しで担ぎあげた時は笑ったわ」
心底おかしそうに笑っている黒髪の狼、ユキに少しばつが悪そうにアキは言う。
「しょうがないだろ? あいつら、意外と手際よかったんだよ」
兄貴という言葉にスイには少し思い当たることがあった。3か月ほど前から、スイの情報網にも引っ掛かっていた二人組の“ハウンド”がいた。たしか、素性はほとんど謎なのだが、兄弟だという話だったと思う。
相当腕は立つらしい。たった二人で1個小隊全滅させたとか、極秘で入国した某国の王族を誘拐して身代金払わせたとか、どこまで本当かわからない、とんでも話の宝庫になっている。
「そんで? これからどうする?」
ひとしきり兄をからかった後、弟が問う。
その問いは、兄にというより、スイに対しての問いだったらしい。
「保護……してもらったりする?」
何故なのかは知らないが、恐る恐るといった感じで聞いてくる。
「まさか」
少し食い気味にスイが答えると、弟の方、ユキは嬉しそうに笑った。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
【完結】ここで会ったが、十年目。
N2O
BL
帝国の第二皇子×不思議な力を持つ一族の長の息子(治癒術特化)
我が道を突き進む攻めに、ぶん回される受けのはなし。
(追記5/14 : お互いぶん回してますね。)
Special thanks
illustration by おのつく 様
X(旧Twitter) @__oc_t
※ご都合主義です。あしからず。
※素人作品です。ゆっくりと、温かな目でご覧ください。
※◎は視点が変わります。

朝起きたら幼なじみと番になってた。
オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。
隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた
思いつきの書き殴り
オメガバースの設定をお借りしてます

彩雲華胥
柚月なぎ
BL
暉の国。
紅鏡。金虎の一族に、痴れ者の第四公子という、不名誉な名の轟かせ方をしている、奇妙な仮面で顔を覆った少年がいた。
名を無明。
高い霊力を封じるための仮面を付け、幼い頃から痴れ者を演じ、周囲を欺いていた無明だったが、ある出逢いをきっかけに、少年の運命が回り出す――――――。
暉の国をめぐる、中華BLファンタジー。
※この作品は最新話は「カクヨム」さんで読めます。また、「小説家になろう」さん「Fujossy」さんでも連載中です。
※表紙や挿絵はすべてAIによるイメージ画像です。
※お気に入り登録、投票、コメント等、すべてが励みとなります!応援していただけたら、幸いです。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?


目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。
彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。
……あ。
音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。
しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。
やばい、どうしよう。
よく効くお薬〜偏頭痛持ちの俺がエリートリーマンに助けられた話〜
高菜あやめ
BL
【マイペース美形商社マン×頭痛持ち平凡清掃員】千野はフリーのプログラマーだが収入が少ないため、夜は商社ビルで清掃員のバイトをしてる。ある日体調不良で階段から落ちた時、偶然居合わせた商社の社員・津和に助けられ……偏頭痛持ちの主人公が、エリート商社マンに世話を焼かれつつ癒される甘めの話です◾️スピンオフ1【社交的爽やかイケメン営業マン×胃弱で攻めに塩対応なSE】千野のチームの先輩SE太田が主人公です◾️スピンオフ2【元モデルの実業家×低血圧の営業マン】千野と太田のプロジェクトチーム担当営業・片瀬とその幼馴染・白石の恋模様です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる