遠くて近い世界で

司書Y

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 呟いてはっとした。
 それは、あの黒い服の女性を追っていた男の中の一人だった。「こっちだ」と、肩を掴んだ男を呼びつけたヤツだ。

「……くそ。なんで今まで忘れていたんだよ」

 自分自身に悪態をつく。記憶力はいい方だと思っていた。人間観察もこんな時のためにしているのではなかったのか。

「あの女を追っていた奴がなんで俺を?」

 例の組織に恨まれる覚えは……ないわけではなかった。しかし、あの女性を追っていた男と同一人物だったとすると、見える景色は少し変わって来る。

「あの女……記憶にはない」

 いつの間にか、考えを口に出していたことに、スイは気づいていなかった。
 記憶にはない。が、さっき自分の記憶力に疑問を持ったばかりだ。忘れているだけかもしれない。だが、今は自分の記憶を信じるほかない。

「あの女に面識はない……と過程すると……」

 襲撃犯たちは、自分をいきなり殺そうとはしていなかった。スタングレネードを使った事からも、制圧蹂躙する事が目的と思われる。

「……だとすると……」

 スイは短くなったタバコをテーブルの灰皿でもみ消した。そして、昨夜から着たままのパーカーを脱いで、灰皿を追いやってから、テーブルに置く。それから、注意深く表面を撫でた。首から肩へ、袖を探って、胸辺り、それから脇腹を触っていた時だった。指先に何かが当たる感触があった。

「これか……」

 昨夜は何も気づかなかった。何度もそこに手を入れたというのに。ポケットの中には、microSDカードが入っていた。
 中身はわからないが、おそらくこれが、奴らの狙いだろう。それなら、すぐに殺そうとしなかった説明もつくし、回収に失敗したから口封じという流れも見えてくる。
 
 しかし、そうなると、別の疑問がわく。

 それなら、その前に部屋に侵入したのは誰だ。

 部屋に侵入し、盗聴器を仕掛けたやつは誰なのか。昨日は疑問も持たず、奴らが自分を襲撃する機会をうかがうために仕掛けたものだと思っていた。しかし、女を追っていた奴らが、女を見つけ出して、自分のことを聞き出した後に盗聴器を仕掛けるのには時間的に無理がある。
 さらに言えば、あの襲撃の仕方なら、盗聴器など不要だ。ごり押しの力技。数の暴力に作戦も糞もない。

 では、誰が、自分の部屋の情報を探って得をする?

 それこそ、自分に恨みを持つ者?
 しっくりこない。絶対にないとは言いきれないが、偶然にしてはタイミングが良すぎる。
 もっと、ぴったりとはまるピースがある気がする。

 さらに。だ。
 あのメール。そこをでろ。と自分に忠告してきたメールの送り主は誰なのか。
 こちらも、明らかに襲撃犯の仕業ではないだろう。
 盗聴器の人物と同一人物なのだろうか。
 
 おそらくNO。だ。

 スイは思う。
 しかし、根拠はなかった。強いて言うなら、勘だ。
 もちろん、勘だけで判断する気などない。今はまだ、判断材料が足りなすぎる。

 掌の上のmicroSDカードを見つめる。

 この中に入っているものは何だ。

 現時点で、それを判断するのは難しい。しかし、スイの頭の中には一つだけ検証していない、仮説があった。
 ソファの上に投げ出したままのフラッシュメモリを手に取る。昨夜無様に寝こける前にふと頭に浮かんできた一つの仮説。敢えて見ないようにしていたそれがまた、頭を過る。そして、形になっていく。
 もしかしたら、これが元凶かもしれない。
 もう一度、開いて確認すれば全ては分かるはずだ。
 この部屋には、緊急時用にノートPCも置いてあった。普段スイが使っているものと、ほぼ同じものだ。もちろん、定期的に動作確認もしている。
 だが、それをここで開いてしまえば、ここから先の動きはかなり限定されてしまう。

 しばし、躊躇う。
 もしかしたら、これを開くことが全てを解決する方法なのかもしれない。5日間。全く糸口がつかめなかったこの“暗号”の答えも、microSDの中身も、自分を襲撃してきた連中の目的も。全てが分かるかもしれない。
 けれど、そのリスクは計り知れない。
 中身を確認している間。おそらく自分は完全に無防備になってしまう。外に意識を割いていたら、短時間で検証を終わらせることは不可能だ。もし、その間に襲われたら。

「やってみるしか……ないよな」

 ため息交じりに呟く。
 結局はそれしかない。時間をかければ、必ず最後には追い詰められる。たった独りの自分にできる反撃はこれくらいだ。
 髪を解いてもう一度、括りなおす。それから、タバコに火を付ける。大きくその煙を吸い込んで、部屋に置いてあったノートPCの電源ボタンを押した。
 ヘッドホンは付けられない。さすがに完全に外の音をシャットアウトすることはできなかった。かわりに10秒目を閉じて、精神を集中させる。

「10分……いや5分か」

 スマートフォンのタイマーをかける。ノートPCにフラッシュメモリを指す。カウントダウンが始まった。
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