遠くて近い世界で

司書Y

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SbM

2-1

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 雨避け代わりに着たパーカーのポケットに手を突っこんだまま、自室の真ん中に立ってスイは感情のこもらない視線で部屋を見回した。部屋の中の一つ一つに視線を走らせた後、背中を丸めて、眉根を寄せ心底嫌そうな顔を作る。先ほど買ったばかりのタバコはすでに三本目に火を付けていた。
 
「やだねぇ」

 ため息混じりのタバコの紫煙を吐きだして呟く。
 いつもと変わらない部屋。何一つ出て行った時と変わらない。
 と。他の者なら思ったかもしれない。
 しかし、スイにはわかった。
 もちろん、鍵はかかったままだったし、窓など他の場所が空いた形跡などない。
 PCデスクやその周辺に雑然と置かれている資料も、興味の向くまま集めた蔵書が作る山も、山盛りのタバコの吸い殻も、飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルも。そのままだった。おそらく、指紋を採取したところで、スイのものしか出ては来ないだろう。

 しかし。だ。

 スイには分かった。それは、些細な違いだったのだけれど、空気の違い。微かな残り香と、人のいた温もりのようなもの。ドアのノブのわずかな角度の違い。床の絨毯に残るへこみ。
 PCには触れた形跡がなかった(もし触れていたとしたら無事にこの部屋を出る事はおそらく不可能だろう)が、単に興味がないのか、危険とわかっていて手を出していないのかは判断材料が足りない。

 お行儀のわるいことで。人の家に勝手にはいっちゃだめだって、ママは教えてくれなかったのか?

 思っただけで口には出さなかった。代わりに除湿機をつないであるコンセントのプラグにあたりを付ける。その周辺には趣味で集めているレコードが置いてある以外、雪崩を起こしそうなものはなにもない。
 電源プラグ自体には何も変化はない。しかし、よくよく確認するとそのカバーの上に積もっているはずの埃が一部分掠れているのがわかった。

 盗聴器。か。
 古典的。

 落ちそうになったタバコの灰を残り少なくなった缶コーヒーの飲み口に落とし、そのままタバコを押し込んで消す。

 PCをいじらなかったのは及第点だけど……まあ、全体的には“自称”プロってとこだな。

 どうでもいい独り言以外、普段部屋でしゃべることもないので、盗聴器はそのままにすることにして、ポケットでかさばっているスマートフォンをソファに投げる。それから、シンクで山盛りの吸い殻にペットボトルに残ったミネラルウォーターをかけて一緒にごみ箱に放り込む。あとは、カートンで買ったタバコをいつもの手の届く場所に置いて、新しいミネラルウォーターを手に、スイはデスクに向かった。

 いつものお気に入りの椅子に座ったのと、その音が響いたのはほとんど同時だった。
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