遠くて近い世界で

司書Y

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 コーヒーでも飲もう。

 もう、随分まともな食事をとった覚えもないが、食欲はあまりなかった。集中しているときは大抵そうだ。かわりにデスクに置いた灰皿には吸殻が山になっている。本当は今すぐにでも次の一本に火をつけたいところだったが、愛飲している銘柄の最後の一本を吸ってから何時間たつのか。それを買いに行く暇すら、答えを探し出すことに費やしている。

 過去のありとあらゆる暗号を調べ、法則性を探し、しまいには絵文字になってるんじゃないかなんてことも、考えてみた。
 しかし、糸口すらつかめない。というか、最後まで閲覧どころか、スクロールすることすら困難である。
また、意識は文字列の海に沈んでいく。

 ほぼ無意識でコーヒーメーカーにフィルターをセットしてコーヒー豆を入れる。そこで、また、手は止まってしまった。

 どうして
 どうして、自分だったのだろう。

 スイは思う。

 愚問か……。

 それから、自嘲気味に笑う。
 理由は分かっていた。
 隠されたものを暴くのは嫌いではない。数年前に某国のスパイ(今時笑ってしまう響きではあるが)の使っていた暗号をネットの某所で見つけて、面白半分で解読したことがある。その頃はその意味を深く考える事もなく、誰でも見られるネットの掲示板に解読結果を晒してしまったため、スイのHN、“450”は、少しでも情報工学をかじった者の中では、半ば都市伝説のように語られていた。
 ちなみに、ネットの某所とは覗くだけで軽く片手に余る容疑をかけられるような楽しげなサイトである。そのときの武勇伝にこんなところで首を絞められるとは。と。自嘲の笑みすら最早出てきはしない。
 もちろん。彼自身はそんなことを自慢したわけでもない。ただ、仕事を仲介するエージェントの間では有名な話らしい。そこまで知られているなら、命の危険があるように思われるが、報復などという瑣末なことより人材確保を優先した結果、当事者の某国からも仕事が入るようになったほどだ。

 ……いや。少し違うか。

 技術的なことを言えば、自分より上の者などいくらでもいる。
 そんなことよりも、何ものにも属さず、係わらず、よくいえば一匹狼。悪く言えばただのぼっちの偏屈。それが、自分が選ばれた理由だろう。と、スイは思う。
 情報漏洩の危険性は最小限に。そして、口封じの人数も最小限に。さらには、その口封じをいぶかしく思う人間も最小限に。
 効率的なことだ。

 そして……
 そこから考えるに。

 期限内に解読が終わらなければ。否、終わったとしても、自分の身は危うい。

 自分はどちらかといえば用心深い方だと自覚している。しかし、考えすぎとは思わなかった。この街では珍しいことではない。データの内容や価値云々というより、命の重さが軽いのだ。
 これが、今日一日スイのため息の数を爆発的に増やしている理由だった。確実に助かるには、解読が終わった情報を自分を守る盾にする。しかし、これが当初予想していたのより遥かに難しい。
 ただ、どんなにため息をついたところで、どんなに文字の羅列を見つめ続けたところで、問題を解決する事はできないということにも、気づいていた。
 なにかが、決定的に足りないのだ。

「タバコ買いにいこ」

 呟いて、下ろした翠の髪を一つに纏めて、傘代わりにパーカーを羽織る。それから、スマートフォンをパーカーのポケットに突っ込んだ。
 別に捨て鉢になったわけではない。画面を見つめているだけでは、発想の転換は生まれない。
 玄関のカギだけをかけて、スイは部屋を出た。
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