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月夕に落ちる雨の名は
後日談 1 予兆 3
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鈴の呼び声はもちろん聞こえていた。それでも振り返らなかったのは、怒っているからではなくて、恥ずかしかったからだ。またしても油断して揶揄われた。きっと、鈴はいい気分はしないだろうし、すぐにその場を離れたかったのだ。
「まったく……のぶのやつ」
思わず独り言が零れる。
けれど、ほっとしていた。
黒羽の姿が見られたことも、その彼が今までと変わらなかったことも。
申し訳ないという気持ちは、多分失礼だと思う。それでも、菫が菫でいるために黒羽の思いを押し込めさせてしまったのは間違いない。だから、変わらずに冗談を言ってくれた黒羽に菫は感謝していた。
「ありがと」
立ち止まって、呟く。この場合感謝するのが正しいのか分からない。
誰も死ななかった。いなくなったりしなかった。もう一人の菫だって、心の中に残っている。黒羽は無事だったし、菫は鈴へ思いを裏切らずに済んだ。繋がりを持つ人間や、帰って来た眷属。黒羽の周りにも、賑やかな日常が戻るだろう。
いまは、それでもこれが、最良の方法だったのだと、思っていたかった。
「あれ?」
立ち止まって待っていても鈴が来る気配がないのに気付いて、菫は振り返った。社は少し離れているけれど、鈴と黒羽の姿が遠く見える。険悪な感じではないけれど、珍しく話をしているようだ。
「す……」
大きな声で鈴を呼ぼうと息を吸い込んだ時だった。
「菫」
木陰から声をかけられて、菫ははっとした、目を凝らすと、そこには新三がいた。
「あ。新三」
まるで、呼ぼうとしたのを止められたようだと思う。けれど、悪意があってそんなことをしているとは菫は少しも思わなかった。
「どうした?」
だから、鈴を呼ぶのはやめにして、新三に向きなおった。
「あ。いや。用って程でも……ないんだけど」
やはり、新三は二人の会話の邪魔をさせたくなかったのかもしれない。そう思うけれど、敢えて口にはしない。
「あんたさ。その……北島の……えと。鈴だっけ? あいつと付き合いって長いのか?」
意外な質問に菫は思わずきょとん。としてしまった。新三が鈴に。いや、人間に興味を持つとは思っていなかったからだ。
「え? いや。出会ってから……半年くらいかな」
指を折りながら答える。その様子を新三は真剣な顔をしてみていた。
「あ。出会ってからなら、15年以上。かな? ずっと会ってなかったけど」
すうちゃんに出会ったのは菫が10歳の時。今から16年前だ。ただ、その後黒羽と会ったために高熱を出して、出会ったこと自体を忘れていた。だから、出会ったのは半年前と言ってもいい。
「あいつ。子供の頃から、『ああ』だったのか?」
「『ああ』? って。どういう意味?」
言われている意味が理解できなくて、菫はまた、首を傾げる。新三は菫のことを説明したときも意味不明の言葉を使っていた。観念的で言っている意味がわからない。
「あんたもそうだけど。あいつも中に何かいる。いや。飼ってる?」
「俺の中のあの女の人みたいな?」
菫の中にいたのはもう一人の菫だ。ほかの人がどう思っているかは知らないけれど、あれは菫だ。普通は初期化して再出荷される魂の初期化が上手くいかずに残ったデータのようなものだ。
「や。違う。お前の中にいるのは。お前自身だ。けど、あれは違う」
ぶるり。と、新三は身を震わせた。
「何か別のものが混ざってる。何なのか分からない。でもヤバいヤツだ」
新三の顔は蒼白だった。やはり冗談を言っているようには見えない。
「や……ヤバいって……? どういう意味?」
「それは」
両手を前に突き出して、空間に何かの形をなぞるように両手を動かして、新三は言葉を探していた。そして、その形をそこに作り出してしまったような、それが実態を持ってしまうのを恐れるような表情になる。
ぞ。っとした。
その姿が、一瞬。ほんの一瞬だけ、菫にも見えた気がしたからだ。
「まったく……のぶのやつ」
思わず独り言が零れる。
けれど、ほっとしていた。
黒羽の姿が見られたことも、その彼が今までと変わらなかったことも。
申し訳ないという気持ちは、多分失礼だと思う。それでも、菫が菫でいるために黒羽の思いを押し込めさせてしまったのは間違いない。だから、変わらずに冗談を言ってくれた黒羽に菫は感謝していた。
「ありがと」
立ち止まって、呟く。この場合感謝するのが正しいのか分からない。
誰も死ななかった。いなくなったりしなかった。もう一人の菫だって、心の中に残っている。黒羽は無事だったし、菫は鈴へ思いを裏切らずに済んだ。繋がりを持つ人間や、帰って来た眷属。黒羽の周りにも、賑やかな日常が戻るだろう。
いまは、それでもこれが、最良の方法だったのだと、思っていたかった。
「あれ?」
立ち止まって待っていても鈴が来る気配がないのに気付いて、菫は振り返った。社は少し離れているけれど、鈴と黒羽の姿が遠く見える。険悪な感じではないけれど、珍しく話をしているようだ。
「す……」
大きな声で鈴を呼ぼうと息を吸い込んだ時だった。
「菫」
木陰から声をかけられて、菫ははっとした、目を凝らすと、そこには新三がいた。
「あ。新三」
まるで、呼ぼうとしたのを止められたようだと思う。けれど、悪意があってそんなことをしているとは菫は少しも思わなかった。
「どうした?」
だから、鈴を呼ぶのはやめにして、新三に向きなおった。
「あ。いや。用って程でも……ないんだけど」
やはり、新三は二人の会話の邪魔をさせたくなかったのかもしれない。そう思うけれど、敢えて口にはしない。
「あんたさ。その……北島の……えと。鈴だっけ? あいつと付き合いって長いのか?」
意外な質問に菫は思わずきょとん。としてしまった。新三が鈴に。いや、人間に興味を持つとは思っていなかったからだ。
「え? いや。出会ってから……半年くらいかな」
指を折りながら答える。その様子を新三は真剣な顔をしてみていた。
「あ。出会ってからなら、15年以上。かな? ずっと会ってなかったけど」
すうちゃんに出会ったのは菫が10歳の時。今から16年前だ。ただ、その後黒羽と会ったために高熱を出して、出会ったこと自体を忘れていた。だから、出会ったのは半年前と言ってもいい。
「あいつ。子供の頃から、『ああ』だったのか?」
「『ああ』? って。どういう意味?」
言われている意味が理解できなくて、菫はまた、首を傾げる。新三は菫のことを説明したときも意味不明の言葉を使っていた。観念的で言っている意味がわからない。
「あんたもそうだけど。あいつも中に何かいる。いや。飼ってる?」
「俺の中のあの女の人みたいな?」
菫の中にいたのはもう一人の菫だ。ほかの人がどう思っているかは知らないけれど、あれは菫だ。普通は初期化して再出荷される魂の初期化が上手くいかずに残ったデータのようなものだ。
「や。違う。お前の中にいるのは。お前自身だ。けど、あれは違う」
ぶるり。と、新三は身を震わせた。
「何か別のものが混ざってる。何なのか分からない。でもヤバいヤツだ」
新三の顔は蒼白だった。やはり冗談を言っているようには見えない。
「や……ヤバいって……? どういう意味?」
「それは」
両手を前に突き出して、空間に何かの形をなぞるように両手を動かして、新三は言葉を探していた。そして、その形をそこに作り出してしまったような、それが実態を持ってしまうのを恐れるような表情になる。
ぞ。っとした。
その姿が、一瞬。ほんの一瞬だけ、菫にも見えた気がしたからだ。
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