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月夕に落ちる雨の名は
後日談 1 予兆 2
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「おい。北島の……鈴」
初めて、名前を呼ばれた。
正直、気分は良くない。けれど、北島のガキと呼ばれるよりはマシだと思う。
「お前。わかっておろうか?」
菫が歩いて行った方角に視線をす。と、向けて黒羽が言う。暗い闇の中を何かが動くのを感じる。危険なものではないと直感。恐らくは狐の眷属の誰かだ。菫について行けと促しているのだろう。守らせるために。だ。
「何が。だ」
だから、鈴は答えた。わざわざ菫を眷属に守らせて、鈴が立ち去らないように呼び方まで変えて、菫と鈴を離して、言いたいことが何なのか、興味があった。
「その。鈴だ」
黒羽の長い爪の先が、鈴のジーンズのポケットのあたりを指さす。そこには、菫からもらった鈴が入っていた。
「それを、菫が持っていた意味がわかっておろうか」
さっきまでのおちゃらけた表情は消え失せていた。それだけで射殺されるのではないかと思うほど鋭い視線だ。ただ、その向かう先が自分ではないのだと鈴にはわかっていた。
「これ自体が悪いものなわけじゃない」
ポケットに手を突っ込んでそれを取り出して、鈴は掌を広げた。
ちりん。
と、鈴が音を立てる。
綺麗な音色だった。
「ものすごく強力だけど。ただの魔除けだ」
その青い石が淡く光る。月光を映しているわけではない。それは、その石の中から溢れて来る光だ。清浄な色。恐らく誰が見ても綺麗だと見惚れるだろう。
「そうであろうな。ただ……」
ぼう。と、黒羽の背後に炎が沸き立つ。
彼の感情を表しているのか、その色は赤より暗い。
「それは、俺から、あれを隠すためだけに持たされたものだ」
不愉快。という感情を隠しもせずに黒羽は続けた。
「……たぶん。そうだ」
誰がそれを菫に持たせたのか、どうやってこんなものを作ったのか、これが何を意味するのか、分からない。けれど、分かる。確かに、これは菫を黒羽から隠すために持たされたものだ。そして、黒羽から隠す目的だったとしても結果的にこれはあらゆるあちら側のものから菫を隠していた。鈴と出会ったあの日。この鈴を手放したから、菫は黒羽に見つかった。そして、それ以来菫は怪異を見るようになった。
「それは、北島の作法ではない」
黒羽の目が赤く光る。鈴の手の中の鈴を見ているのだが、まるで、別のものを見ているようだ。
「いや。そんなもの。俺は見たことがない」
おそらく1000年近い齢を経た古狐。その黒羽が見たこともないというそれを菫が持っていたのは何故だ。と、その目が語る。
「あの足を引きずっていたのは荒木田か?」
一連の騒動の間も、どうやら、黒羽はこの近くにいたようだ。菫を心配してここに来た葉を見ていたらしい。
「いや。そうだけど。もう、違う」
葉のことを知られたのはあまりよくはないとは思う。けれど、恐らく、この狐は鈴が菫を大切にしている間は敵ではない。それが分かるし、恐らく嘘の類は通用しないと思ったから、正直に答えた。
「それは、荒木田の作法でもない」
鈴に手を伸ばそうとして、黒羽は途中で手を止めた。
鈴が抵抗しようとしたからではない。この鈴のことは鈴もどうしていいのか決めかねている。だから、ほんの少し持っていない方がいいと理由ができれば、手放しても構わない。
それは菫との大切な思い出の品だったし、何度も菫の危険を鈴に知らせてくれた。だから、持っていたいと思う。けれど、裏腹に、怖い。どんなアルゴリズムを使っているかもわからないのに、守りの力を持っていること。そんなに小さいのに、黒羽ほどの神使の目すら欺くほどの能力があること。それを、何も分からない小さな菫が持っていた。否、持たされていたこと。
聞いた限りでは、これを菫に持たせたのは父でも母でも祖母でも兄でもない。いつの間にか持っていたらしい。
そんなものがいつまでも菫の近くにあっていいのか判断がつかない。
「ざわついて。いるな」
鈴から視線を移して、何かに耳を澄ますように一瞬目を閉じて、黒羽が言う。
「お前が、どうなったところで、一向に構わんが……お前がいなくなったら、あれは遠慮なく俺が貰う」
既に諦めたかのように見えた。けれど、揶揄うような皮肉っぽい笑顔を浮かべて、ひょい。と、黒羽は鈴の手からその鈴を抓み上げた。そのまま目の前にかざしてそれを観察している。
「あ」
貰う。と、言った言葉と同時だったから、まるで、菫を取り上げられたような気分になって、思わず奪い返そうと鈴は手を伸ばした。
「阿呆が。奪われたくなければ、しっかりと、掴んでおけ」
奪い返そうと伸ばされた手に、あっさりと黒羽は鈴を返す。元々、奪い取る気などなかったのだろう。
「よいな? 絶対に離すな」
鈴に返した鈴の代わりに、握った拳が、とん。と、軽く鈴の胸を叩く。
「……誰が。離すか」
そう、答えながらも、叩かれた場所に広がる不安を、鈴は打ち消すことができなかった。
初めて、名前を呼ばれた。
正直、気分は良くない。けれど、北島のガキと呼ばれるよりはマシだと思う。
「お前。わかっておろうか?」
菫が歩いて行った方角に視線をす。と、向けて黒羽が言う。暗い闇の中を何かが動くのを感じる。危険なものではないと直感。恐らくは狐の眷属の誰かだ。菫について行けと促しているのだろう。守らせるために。だ。
「何が。だ」
だから、鈴は答えた。わざわざ菫を眷属に守らせて、鈴が立ち去らないように呼び方まで変えて、菫と鈴を離して、言いたいことが何なのか、興味があった。
「その。鈴だ」
黒羽の長い爪の先が、鈴のジーンズのポケットのあたりを指さす。そこには、菫からもらった鈴が入っていた。
「それを、菫が持っていた意味がわかっておろうか」
さっきまでのおちゃらけた表情は消え失せていた。それだけで射殺されるのではないかと思うほど鋭い視線だ。ただ、その向かう先が自分ではないのだと鈴にはわかっていた。
「これ自体が悪いものなわけじゃない」
ポケットに手を突っ込んでそれを取り出して、鈴は掌を広げた。
ちりん。
と、鈴が音を立てる。
綺麗な音色だった。
「ものすごく強力だけど。ただの魔除けだ」
その青い石が淡く光る。月光を映しているわけではない。それは、その石の中から溢れて来る光だ。清浄な色。恐らく誰が見ても綺麗だと見惚れるだろう。
「そうであろうな。ただ……」
ぼう。と、黒羽の背後に炎が沸き立つ。
彼の感情を表しているのか、その色は赤より暗い。
「それは、俺から、あれを隠すためだけに持たされたものだ」
不愉快。という感情を隠しもせずに黒羽は続けた。
「……たぶん。そうだ」
誰がそれを菫に持たせたのか、どうやってこんなものを作ったのか、これが何を意味するのか、分からない。けれど、分かる。確かに、これは菫を黒羽から隠すために持たされたものだ。そして、黒羽から隠す目的だったとしても結果的にこれはあらゆるあちら側のものから菫を隠していた。鈴と出会ったあの日。この鈴を手放したから、菫は黒羽に見つかった。そして、それ以来菫は怪異を見るようになった。
「それは、北島の作法ではない」
黒羽の目が赤く光る。鈴の手の中の鈴を見ているのだが、まるで、別のものを見ているようだ。
「いや。そんなもの。俺は見たことがない」
おそらく1000年近い齢を経た古狐。その黒羽が見たこともないというそれを菫が持っていたのは何故だ。と、その目が語る。
「あの足を引きずっていたのは荒木田か?」
一連の騒動の間も、どうやら、黒羽はこの近くにいたようだ。菫を心配してここに来た葉を見ていたらしい。
「いや。そうだけど。もう、違う」
葉のことを知られたのはあまりよくはないとは思う。けれど、恐らく、この狐は鈴が菫を大切にしている間は敵ではない。それが分かるし、恐らく嘘の類は通用しないと思ったから、正直に答えた。
「それは、荒木田の作法でもない」
鈴に手を伸ばそうとして、黒羽は途中で手を止めた。
鈴が抵抗しようとしたからではない。この鈴のことは鈴もどうしていいのか決めかねている。だから、ほんの少し持っていない方がいいと理由ができれば、手放しても構わない。
それは菫との大切な思い出の品だったし、何度も菫の危険を鈴に知らせてくれた。だから、持っていたいと思う。けれど、裏腹に、怖い。どんなアルゴリズムを使っているかもわからないのに、守りの力を持っていること。そんなに小さいのに、黒羽ほどの神使の目すら欺くほどの能力があること。それを、何も分からない小さな菫が持っていた。否、持たされていたこと。
聞いた限りでは、これを菫に持たせたのは父でも母でも祖母でも兄でもない。いつの間にか持っていたらしい。
そんなものがいつまでも菫の近くにあっていいのか判断がつかない。
「ざわついて。いるな」
鈴から視線を移して、何かに耳を澄ますように一瞬目を閉じて、黒羽が言う。
「お前が、どうなったところで、一向に構わんが……お前がいなくなったら、あれは遠慮なく俺が貰う」
既に諦めたかのように見えた。けれど、揶揄うような皮肉っぽい笑顔を浮かべて、ひょい。と、黒羽は鈴の手からその鈴を抓み上げた。そのまま目の前にかざしてそれを観察している。
「あ」
貰う。と、言った言葉と同時だったから、まるで、菫を取り上げられたような気分になって、思わず奪い返そうと鈴は手を伸ばした。
「阿呆が。奪われたくなければ、しっかりと、掴んでおけ」
奪い返そうと伸ばされた手に、あっさりと黒羽は鈴を返す。元々、奪い取る気などなかったのだろう。
「よいな? 絶対に離すな」
鈴に返した鈴の代わりに、握った拳が、とん。と、軽く鈴の胸を叩く。
「……誰が。離すか」
そう、答えながらも、叩かれた場所に広がる不安を、鈴は打ち消すことができなかった。
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