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月夕に落ちる雨の名は
最終話 狐の嫁入り 1
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その日は、軽く食事をしてから、鈴と別れた。境内の掃除を少ししていこうかとも思ったけれど、区の会議の結果が出てからの方がいいという鈴の意見に従った。勝手なことをして、また、怪我をしたりしたら、うまく行くものもうまく行かなくなってしまう。そんな配慮だ。
食事をしながら、昨夜は話せなかった鈴と会えなかった間のことを色々なことを話した。ずっと見ていた里の娘の話も全部話すことができた。鈴もたくさん話しをしてくれた。会えない間なにを考えていたのか。『面倒なやつで、すみません』と、鈴は言うけれど、鈴が自分のことをそこまで思ってくれるのは素直に嬉しかった。
いつものコンビニで鈴と別れて一人。
帰り道を歩く。
山の中腹と言ってもいいような場所に菫の家はある。だから、帰り道はずっと上り坂だ。
坂を上りながら大きくカーブを描く道。そのわきに松の林。ただ、深夜無性にいなり寿司が食べたくなって、散歩がてら歩いた道。あの日には、ここに何があるのか知らなかった。いや、知らなかったのではない。覚えてはいなかった。
ぎぎ。
と、何かが鳴くような、軋むような声が聞こえる。あの夜と同じだ。
ばさり。
と、何かが黒い翼を広げたのが、視界の端に映るけれど、そちらを向くと、何もいない。
ちりん。
と、どこかで鈴の音が鳴った。
怖い。
とは、思わなかった。
それよりも、納得したのだ。
「……ああ。だから、お前から声をかけたんだ」
菫は呟いた。
その背後に感じる。ばさばさ。と、鳥の羽ばたきのような音と、ぎいぎい。と、呻くような鳴き声。
「本当は、あの冬の夜に襲われるはずだったんだろ?」
振り返ると、黒い翼をもつ何かはやはりいなかった。かわりに、出会ったあの夜と同じ格好の黒羽がいた。柄シャツに黒スーツ。思わず笑ってしまいそうなコーディネートだ。
「なんだよ。その恰好。チンピラか?」
いや、菫は笑ってしまった。
「うるさい」
くるくる。と、カラスの羽根を手で弄びながら、黒羽が答える。
「あの夜も。助けてくれてたんだな。『今のやつ』から」
あの夜には気付いていなかった。黒い烏のような何かに菫は襲われかけていたのだ。だから、黒羽の方から、接触してきた。きっと、何もなかったら、声をかけもしなかっただろう。
「あの悪い男ムーブ……うける」
くすくす。と、笑いが漏れる。
「うるさい」
不機嫌な顔を隠しもせずに、黒羽はソッポを向いている。月明かりにも。否、月明かりだからこそ。か。その存在感が最後にあった日と全く違うのが分かる。
「まったく。余計なことを……」
指先で弄んでいた黒い鳥の羽根をぴん。と、弾くと、それは赤い炎になって消えた。
「お節介なヤツだ」
そう言って、林の中に向かって黒羽は歩き出した。一瞬、躊躇ってから、その後を追う。
「放っておけば、勝手に朽ち果てたものを」
松の枝の間から、月明かり。空はよく晴れていた。りり。と、気の早い秋の虫の声が聞こえる。
昼はまだ夏のようでも、今はもう、随分と涼しい。心地よい風が吹いている。
柔らかい松の落ち葉を踏んで、大股で歩く黒羽に追いつくのに、菫は小走りになった。ほんのわずかに視線を寄越してから、黒羽は少しだけ歩幅を小さくした。
「お前の思い通りになんてならないっていったろ?」
隣に追いついて、並んで歩く。
月は綺麗だった。けれど、それを口には出さない。
「勝手なヤツだ」
ふと、何かが菫の頬に落ちてきた気がした。そっと、頬を撫でる。けれど、そこには何もない。
隣に立つ黒羽に視線を移すと、その視線は前を見据えていた。
りん。
と、鈴の音が聞こえる。
歩いている目の前の風景に何かが重なった。
食事をしながら、昨夜は話せなかった鈴と会えなかった間のことを色々なことを話した。ずっと見ていた里の娘の話も全部話すことができた。鈴もたくさん話しをしてくれた。会えない間なにを考えていたのか。『面倒なやつで、すみません』と、鈴は言うけれど、鈴が自分のことをそこまで思ってくれるのは素直に嬉しかった。
いつものコンビニで鈴と別れて一人。
帰り道を歩く。
山の中腹と言ってもいいような場所に菫の家はある。だから、帰り道はずっと上り坂だ。
坂を上りながら大きくカーブを描く道。そのわきに松の林。ただ、深夜無性にいなり寿司が食べたくなって、散歩がてら歩いた道。あの日には、ここに何があるのか知らなかった。いや、知らなかったのではない。覚えてはいなかった。
ぎぎ。
と、何かが鳴くような、軋むような声が聞こえる。あの夜と同じだ。
ばさり。
と、何かが黒い翼を広げたのが、視界の端に映るけれど、そちらを向くと、何もいない。
ちりん。
と、どこかで鈴の音が鳴った。
怖い。
とは、思わなかった。
それよりも、納得したのだ。
「……ああ。だから、お前から声をかけたんだ」
菫は呟いた。
その背後に感じる。ばさばさ。と、鳥の羽ばたきのような音と、ぎいぎい。と、呻くような鳴き声。
「本当は、あの冬の夜に襲われるはずだったんだろ?」
振り返ると、黒い翼をもつ何かはやはりいなかった。かわりに、出会ったあの夜と同じ格好の黒羽がいた。柄シャツに黒スーツ。思わず笑ってしまいそうなコーディネートだ。
「なんだよ。その恰好。チンピラか?」
いや、菫は笑ってしまった。
「うるさい」
くるくる。と、カラスの羽根を手で弄びながら、黒羽が答える。
「あの夜も。助けてくれてたんだな。『今のやつ』から」
あの夜には気付いていなかった。黒い烏のような何かに菫は襲われかけていたのだ。だから、黒羽の方から、接触してきた。きっと、何もなかったら、声をかけもしなかっただろう。
「あの悪い男ムーブ……うける」
くすくす。と、笑いが漏れる。
「うるさい」
不機嫌な顔を隠しもせずに、黒羽はソッポを向いている。月明かりにも。否、月明かりだからこそ。か。その存在感が最後にあった日と全く違うのが分かる。
「まったく。余計なことを……」
指先で弄んでいた黒い鳥の羽根をぴん。と、弾くと、それは赤い炎になって消えた。
「お節介なヤツだ」
そう言って、林の中に向かって黒羽は歩き出した。一瞬、躊躇ってから、その後を追う。
「放っておけば、勝手に朽ち果てたものを」
松の枝の間から、月明かり。空はよく晴れていた。りり。と、気の早い秋の虫の声が聞こえる。
昼はまだ夏のようでも、今はもう、随分と涼しい。心地よい風が吹いている。
柔らかい松の落ち葉を踏んで、大股で歩く黒羽に追いつくのに、菫は小走りになった。ほんのわずかに視線を寄越してから、黒羽は少しだけ歩幅を小さくした。
「お前の思い通りになんてならないっていったろ?」
隣に追いついて、並んで歩く。
月は綺麗だった。けれど、それを口には出さない。
「勝手なヤツだ」
ふと、何かが菫の頬に落ちてきた気がした。そっと、頬を撫でる。けれど、そこには何もない。
隣に立つ黒羽に視線を移すと、その視線は前を見据えていた。
りん。
と、鈴の音が聞こえる。
歩いている目の前の風景に何かが重なった。
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