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月夕に落ちる雨の名は
14 正しく死に至る病 2
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「アニキ」
ワイワイとお年寄りを囲んで、話をしていた若い衆から、声が上がる。でかい声を上げたのは翔悟だった。
今日、貴志狼が連れてきた若者の中で、菫が唯一話したことがある相手だ。他のメンバーは緑風堂で顔を見たことがあるものもいたけれど、話したことはない。
「知ってました? ここ商売繁盛の神様だけど、実は隠れた縁結びのパワスポらしっいスよ?」
翔悟の話に貴志狼は面倒くさそうに頷いて、ひらひら、と片手を振る。
ちら。と、葉を見てから、貴志狼には、縁結びは必要ないだろう。と、菫は思う。今も、赤い糸は二人をしっかり繋いでいるし、大体、貴志狼は神頼みするようなタイプではないだろう。欲しいものは自分でなんとかする。と、言い切りそうだ。
「ここの狐様はねえ……」
言葉の足りない翔悟に代わって文江が続ける。相変わらず、穏やかな話し方だ。
「先に亡くなられた巫女様のお言葉に従って、少しでもたくさんの縁を繋ごうとしておられるの」
優しい目が菫の方を見ている。気がした。
「そうすれば、きっと、また会えると信じていらっしゃったのね」
また、会える。
と、その言葉に、胸の奥、知らない場所がちくり。と、痛む。その言葉を、黒羽はどんな気持ちで思い返していたのだろう。新三は300年と言っていた。その長さがどれくらいなのか、菫には正確に想像することができない。けれど、来ない人を待つのに疲れるのには、十分過ぎる長さではないだろうか。
しかも、その相手が何も覚えていなかったとしたら。
絶望。
なんて言葉はこんなときのためにあるのかもしれない。そして、それは正しく『死に至る病』なのだ。
「だから……もう来るなって……」
思わず声に出していた。
「菫君。……あのさ」
その言葉が聞こえていたのか、葉が何かを言おうと口を開いた。
「あれ? なんか、光ったったスよ?」
葉の声にかぶさるように翔悟がまた、大声を上げた。
「こんなかって、なんか入ってるスか?」
崩れかけた社の、外れかけた扉から、翔悟が中を覗き込んでいる。この社がどうなのかは知らないけれど、普通であればご神体が置かれているような場所だ。
「ちょっと。翔悟君。そこは入ったらダメ」
珍しく葉が少し大きな声で窘める。葉が言わなかったら、きっと菫が言っていただろう。きっと、新三も冴夜も。黒羽もそこに他人が立ち入ってほしくはないだろうと思う。
「でも……あ」
葉の言葉に一旦、翔悟は足を止めたが、中に何かを見つけて、また、踏み出す。
「犬? いるッスよ」
ぎし。と、朽ちた木が軋む音。思わず、菫は立ち上がった。
「おい。出てきな? あぶねーぞ」
翔悟が悪意があって、『そこ』近づいているのではないと、わかっている。だから、菫もそれを責めようとしたわけではない。そこまで考えていた訳ではなかったのだ。
「ほら、怖くねーぞ?」
「やめろ!」
中にいるなにかに手を伸ばして、入って行こうとする姿に菫は思わず叫んでいた。ぐい。と、その翔悟の手を引いて、社の外に引っ張り出す。
「は?」
普段、言葉遣いも丁寧で物腰が柔らかい菫の大声に驚いて、翔悟は手を引かれるまま社の外に放り出されて、尻餅をついた。
「あ……ごめ」
自分でも何故そこまでしたのかはわからない。
ただ、『そこ』に何も知らない誰が立ち入って欲しくなかっただけだ。たとえ、もう『そこ』が壊れてしまった装置なのだとしても、少なくとも黒羽にとっては意味のある場所なのだと思った。
思ってから、菫は小さく首を振る。
自分の中にもその欠片が残っているのを、菫は知っていた。小さいけれど菫の心の一番深い場所にその欠片は沈んでいる。まるで泉のそこに沈む菫青石のようだ。
そんなことを考えていたのは、ほんの僅かな間だったはずだ。
「菫君!」
けれど、傷み切った社が限界を迎えるのには十分な時間だったのかもしれない。
葉の叫び声にはっ。と、したときにはもう目の前には崩れた梁が近づいていた。ゆっくりと、スローモーションでそれは菫の上へと落ちてくる。
ふと、視界に何かが映った。銀色に光るもの。それに手を伸ばす。
そこで、記憶は途切れた。
ワイワイとお年寄りを囲んで、話をしていた若い衆から、声が上がる。でかい声を上げたのは翔悟だった。
今日、貴志狼が連れてきた若者の中で、菫が唯一話したことがある相手だ。他のメンバーは緑風堂で顔を見たことがあるものもいたけれど、話したことはない。
「知ってました? ここ商売繁盛の神様だけど、実は隠れた縁結びのパワスポらしっいスよ?」
翔悟の話に貴志狼は面倒くさそうに頷いて、ひらひら、と片手を振る。
ちら。と、葉を見てから、貴志狼には、縁結びは必要ないだろう。と、菫は思う。今も、赤い糸は二人をしっかり繋いでいるし、大体、貴志狼は神頼みするようなタイプではないだろう。欲しいものは自分でなんとかする。と、言い切りそうだ。
「ここの狐様はねえ……」
言葉の足りない翔悟に代わって文江が続ける。相変わらず、穏やかな話し方だ。
「先に亡くなられた巫女様のお言葉に従って、少しでもたくさんの縁を繋ごうとしておられるの」
優しい目が菫の方を見ている。気がした。
「そうすれば、きっと、また会えると信じていらっしゃったのね」
また、会える。
と、その言葉に、胸の奥、知らない場所がちくり。と、痛む。その言葉を、黒羽はどんな気持ちで思い返していたのだろう。新三は300年と言っていた。その長さがどれくらいなのか、菫には正確に想像することができない。けれど、来ない人を待つのに疲れるのには、十分過ぎる長さではないだろうか。
しかも、その相手が何も覚えていなかったとしたら。
絶望。
なんて言葉はこんなときのためにあるのかもしれない。そして、それは正しく『死に至る病』なのだ。
「だから……もう来るなって……」
思わず声に出していた。
「菫君。……あのさ」
その言葉が聞こえていたのか、葉が何かを言おうと口を開いた。
「あれ? なんか、光ったったスよ?」
葉の声にかぶさるように翔悟がまた、大声を上げた。
「こんなかって、なんか入ってるスか?」
崩れかけた社の、外れかけた扉から、翔悟が中を覗き込んでいる。この社がどうなのかは知らないけれど、普通であればご神体が置かれているような場所だ。
「ちょっと。翔悟君。そこは入ったらダメ」
珍しく葉が少し大きな声で窘める。葉が言わなかったら、きっと菫が言っていただろう。きっと、新三も冴夜も。黒羽もそこに他人が立ち入ってほしくはないだろうと思う。
「でも……あ」
葉の言葉に一旦、翔悟は足を止めたが、中に何かを見つけて、また、踏み出す。
「犬? いるッスよ」
ぎし。と、朽ちた木が軋む音。思わず、菫は立ち上がった。
「おい。出てきな? あぶねーぞ」
翔悟が悪意があって、『そこ』近づいているのではないと、わかっている。だから、菫もそれを責めようとしたわけではない。そこまで考えていた訳ではなかったのだ。
「ほら、怖くねーぞ?」
「やめろ!」
中にいるなにかに手を伸ばして、入って行こうとする姿に菫は思わず叫んでいた。ぐい。と、その翔悟の手を引いて、社の外に引っ張り出す。
「は?」
普段、言葉遣いも丁寧で物腰が柔らかい菫の大声に驚いて、翔悟は手を引かれるまま社の外に放り出されて、尻餅をついた。
「あ……ごめ」
自分でも何故そこまでしたのかはわからない。
ただ、『そこ』に何も知らない誰が立ち入って欲しくなかっただけだ。たとえ、もう『そこ』が壊れてしまった装置なのだとしても、少なくとも黒羽にとっては意味のある場所なのだと思った。
思ってから、菫は小さく首を振る。
自分の中にもその欠片が残っているのを、菫は知っていた。小さいけれど菫の心の一番深い場所にその欠片は沈んでいる。まるで泉のそこに沈む菫青石のようだ。
そんなことを考えていたのは、ほんの僅かな間だったはずだ。
「菫君!」
けれど、傷み切った社が限界を迎えるのには十分な時間だったのかもしれない。
葉の叫び声にはっ。と、したときにはもう目の前には崩れた梁が近づいていた。ゆっくりと、スローモーションでそれは菫の上へと落ちてくる。
ふと、視界に何かが映った。銀色に光るもの。それに手を伸ばす。
そこで、記憶は途切れた。
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