真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

10 きいてほしいことがあるんだ 4

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 元々、鈴は他人との付き合いに時間を割くのが好きではなかった。だから、スマートフォンというコミュニケーションツールは鬱陶しい。緊急の連絡網として使われるから、仕方なく高校時代に購入したけれど、『あー暇』だの、『明日帰り××に寄ってかない?』なんて、殆ど意味も緊急性もないことをLINEで送ってこられるのは正直迷惑だ。
 連絡先を交換して最初のうちは頻繁にあったメッセージも鈴が殆ど返事を返すどころか、既読がつくまでに数時間から下手をすると数日かかるから、いつの間にかメッセージが届くことは少なくなった。それでも懲りずにメッセージを送ってくるつわものも中にはいたけれど、通知欄で確認して緊急性のなさそうなものは全て無視していた。
 だから、以前はバイト中にスマートフォンを確認することなど皆無だったのだ。

 それが、変わったのはここ数か月だ。
 鈴のLINEアプリに、その人のIDが登録されてから、着信を知らせる音が待ち遠しくなった。
 それがたとえ緊急性も、意味も殆どない一言でも、その人の白猫のアイコンを見るだけで心が躍ったし、意味のない一言でも、緊急性がなくても、些細なことでも知らせたいし、知らせたいことがなかったとしてもメッセージを送りたくなるのだと知った。
 だから、カウンターの端にスマートフォンを置くようになったのは癖のようなものだ。数日前から一日一回しか来なくなったメッセージをすぐに確認するためではない。

 いや。違うか。

 鈴は思う。
 本当は、その人からの着信をずっと待っている。
 毎日一言、送られてくる『ごめん』の言葉を待っている。

 それも。違う。

 待っているのは、『ごめん』という言葉ではない。
 本当に欲しい言葉はそんなものではなかった。

「鈴」

 ふと気付くと、店には誰もいなくなっていた。
 鈴が物思いにふけっている間に、最後の客が帰ったらしい。時間はまだ6時にならないけれど、緑風堂は葉の気まぐれで閉店時間が決まる店だし、今日の日替わりは既に3種のうち2種類が売り切れていたから、さっき閉店の看板を出していたのだ。

「店、閉まったよ。スマホ確認したら?」

 今日は足の具合がいいのか、足を引きずりながらも、テーブルの上の食器を片付けようと葉が手を伸ばす。

「あ。俺がやるよ」

 仕事を代わろうとすると、葉は片手でそれを制した。

「大丈夫。今日は調子いいから。それより、何度も鳴ってたでしょ」

 葉に言われて、スマートフォンに目を落とす。
 着信を知らせる緑色のランプが点灯している。でも、それに手を伸ばす気になれない。

「そういえばさ……」

 いつまで経ってもスマートフォンに手を伸ばさない鈴を横目でちらり。と、見て、何気ないふうに葉が言った。かちゃ。と、茶器を重ねる音が響くのがよく聞こえるほど静かだ。猫たちも今日はご機嫌が悪いのか一言もしゃべってはいない。

「この間、池井君のお兄さんが来たよ」

 葉の言葉に鈴の肩がびくり。と、揺れる。

「ほうじ茶のロールケーキ。5つも買ってった。池井君ち3人家族なのにね」

 重ねた茶器と、皿をトレーに乗せて、足を引きずり、葉はカウンターに向かう。店内は広くはないけれど、葉の足では少しもたついて、それを猫たちが心配そうに見ていた。

「池井君が元気ないから、どれを買ったら元気が出るか。って、すごく真剣に悩んでた。いいお兄さんだね」

 元気がない。という言葉に、胸が痛む。
 菫は自分へのご褒美だと言って緑風堂に毎週一度以上はやってくる。葉の作るスイーツと大好きな猫に癒される至福の時間なのだと言っていた。鈴と出会う前からの習慣で、鈴と出会ってからも鈴がいなくても緑風堂には足しげく通っている。
 疲れていたり、仕事で嫌なことがあるときはなおさらで、猫を撫でるだけで忘れられると来る回数が増えるくらいだ。元気がないなら、いつもなら癒されに来るはず。
 その菫がここに来なくなったのは、あの日からだ。

 ヴヴ。

 と、また、何度目かの着信音が鳴った。

 ここ数日、既読はつけていないけれど、もちろん、その人からの着信があったことは分かっているし、いつも一言だから何が書かれているかも通知欄で確認できている。着信音はさっきから何度も鳴っているから、毎日一言しか送ってくれないその人からのLINEではないと思う。
 だから、確認する気になれない。

 鈴は、菫に謝ってほしいわけではなかった。
 菫を縛りつけたくて、『あの場所へ行くな』と言ったわけでもない。
 ない。と、思っていた。
 けれど、鈴は気付いた。気付いてしまったのだ。

 自分が、菫をどうしたいのか。ということに。
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