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月夕に落ちる雨の名は
10 きいてほしいことがあるんだ 3
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カウンターの端に置いたスマートフォンが振動した。LINEメッセージの着信を知らせるバイブレーションだ。もちろん、気付いてはいる。けれど、鈴は意識的にそれを無視した。
その日は土曜日だった。夏も終わりに近づいたけれど、まだまだ暑い日が続いている。緑風堂の看板猫たちはあまりエアコンの冷房を好まないから、余程熱くなければ窓を開けて、天井近くに付けられた年代物の扇風機を動かして過ごす。古い店は建っている場所の立地のお陰なのか、風通しが良く、元々寒冷な気候の土地柄もあって、エアコンを使うのは最も暑い時期だけだった。
今日も今日とて窓を開け、扇風機をフル稼働させて、緑風堂は営業していた。
最初は暑いと感じていたけれど、慣れてしまえばどうということはない。客の中には文句を言うものもいなくはないのだが、店主が『嫌なら来なくていい』というスタンスなので、目的がある客は我慢しているのが普通だ。
若い女性特有の浮ついた話し声が店内に響く。彼女たちの話題の殆どは、この店の看板息子のことだ。中には注文を装って話しかけてくるものも少なくないのだが、彼は基本どの客にも塩なので、遠巻きにそのイケメンぶりを話題に盛り上がっているのだ。
目的がイケメン鑑賞の彼女らは、少しくらい暑くても我慢する。ついでに冷茶と冷製の日替わりスイーツは絶品だから、留飲を下げているのである。
いつもなら、そんな無遠慮な視線も、喧しい会話も大して気にはならない。鈴は基本的に他人には興味がないからだ。静かにしてほしいなら、バイトは別のものを選ぶ。いくら仲がいい従兄弟に頼まれたからと言って、少なくともここは選ばない。
けれど、今日はその声が気持ちをざわつかせる。
それは、彼女たちのせいというよりも、鈴自身の気持ちの問題だった。
ヴヴ。
と、音がして、また、スマートフォンが着信を知らせてくる。
相手が誰かはここからは分からない。
大学の友人かもしれないし、家族かもしれない。
きっと、鈴が連絡してほしいと思っている人ではないと思う。思うからため息が漏れる。
「鈴」
視線の端にスマートフォンを映したまま思索に沈んでいた鈴は名前を呼ばれてはっとした。
「……あ。すみません。すぐに……」
会計のところに二人連れの女性客が待っている。慌ててレジに向かい、客に謝罪すると、かえって嬉しそうな顔をされて、辟易した。そんな感情は一切顔には出さず、会計を済ませる。
「ありがとうございました」
頭を下げると、女性客は全く気に障った様子もなく『すごく美味しかったです』とか、『ごちそうさまでした。また来ます』と、笑顔で去っていった。
「ごめん」
からん。と、ドアベルが鳴ってドアが閉まると、鈴は葉に言った。
「うん。わかってるならいいよ」
ヴヴ。
葉の声にまた、鈴のスマートフォンの着信音が重なる。
「……LINE来てるよ」
お客への対応が遅れても軽く『いいよ』と、受け流すくせに、少し責めるような口調で葉が言った。
「……や。仕事中だし」
鈴は答える。
「いつもはバイト中だって見てるでしょ?」
葉の言っている通りだ。いつもなら、LINEの着信があったらすぐに確認する。
「別に。いいけどさ」
そう言って、葉は棚に並んだ茶葉の缶に手を伸ばす。カウンターの向こう側には手書きのノートが広げられているから、おそらくは在庫の確認のためだ。
「前は、スマホなんて気にしたことなかったもんね」
独り言のように葉は言った。
ヴヴ。
また、着信が重なる。
その日は土曜日だった。夏も終わりに近づいたけれど、まだまだ暑い日が続いている。緑風堂の看板猫たちはあまりエアコンの冷房を好まないから、余程熱くなければ窓を開けて、天井近くに付けられた年代物の扇風機を動かして過ごす。古い店は建っている場所の立地のお陰なのか、風通しが良く、元々寒冷な気候の土地柄もあって、エアコンを使うのは最も暑い時期だけだった。
今日も今日とて窓を開け、扇風機をフル稼働させて、緑風堂は営業していた。
最初は暑いと感じていたけれど、慣れてしまえばどうということはない。客の中には文句を言うものもいなくはないのだが、店主が『嫌なら来なくていい』というスタンスなので、目的がある客は我慢しているのが普通だ。
若い女性特有の浮ついた話し声が店内に響く。彼女たちの話題の殆どは、この店の看板息子のことだ。中には注文を装って話しかけてくるものも少なくないのだが、彼は基本どの客にも塩なので、遠巻きにそのイケメンぶりを話題に盛り上がっているのだ。
目的がイケメン鑑賞の彼女らは、少しくらい暑くても我慢する。ついでに冷茶と冷製の日替わりスイーツは絶品だから、留飲を下げているのである。
いつもなら、そんな無遠慮な視線も、喧しい会話も大して気にはならない。鈴は基本的に他人には興味がないからだ。静かにしてほしいなら、バイトは別のものを選ぶ。いくら仲がいい従兄弟に頼まれたからと言って、少なくともここは選ばない。
けれど、今日はその声が気持ちをざわつかせる。
それは、彼女たちのせいというよりも、鈴自身の気持ちの問題だった。
ヴヴ。
と、音がして、また、スマートフォンが着信を知らせてくる。
相手が誰かはここからは分からない。
大学の友人かもしれないし、家族かもしれない。
きっと、鈴が連絡してほしいと思っている人ではないと思う。思うからため息が漏れる。
「鈴」
視線の端にスマートフォンを映したまま思索に沈んでいた鈴は名前を呼ばれてはっとした。
「……あ。すみません。すぐに……」
会計のところに二人連れの女性客が待っている。慌ててレジに向かい、客に謝罪すると、かえって嬉しそうな顔をされて、辟易した。そんな感情は一切顔には出さず、会計を済ませる。
「ありがとうございました」
頭を下げると、女性客は全く気に障った様子もなく『すごく美味しかったです』とか、『ごちそうさまでした。また来ます』と、笑顔で去っていった。
「ごめん」
からん。と、ドアベルが鳴ってドアが閉まると、鈴は葉に言った。
「うん。わかってるならいいよ」
ヴヴ。
葉の声にまた、鈴のスマートフォンの着信音が重なる。
「……LINE来てるよ」
お客への対応が遅れても軽く『いいよ』と、受け流すくせに、少し責めるような口調で葉が言った。
「……や。仕事中だし」
鈴は答える。
「いつもはバイト中だって見てるでしょ?」
葉の言っている通りだ。いつもなら、LINEの着信があったらすぐに確認する。
「別に。いいけどさ」
そう言って、葉は棚に並んだ茶葉の缶に手を伸ばす。カウンターの向こう側には手書きのノートが広げられているから、おそらくは在庫の確認のためだ。
「前は、スマホなんて気にしたことなかったもんね」
独り言のように葉は言った。
ヴヴ。
また、着信が重なる。
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