真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

今は昔 3 なんてこと 2

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 新三たちが隣の領主の元へ行って帰るまでの時間を稼ぐため、領主の元へ向かうと決めた女を、もちろん権六は止めた。女は自分自身にそんな価値があると理解していなかったが、彼女が黒羽狐にとって最も大切な人になっていると、権六は知っていたからだ。彼女を奪われたら、黒羽狐は何もできずに従うしかなくなる。
 だから、権六は『自分は領主の元へ向かうから、権六は里に里人を残って守ってほしい』と、懇願する女に承知したと嘘を吐いた。里人に従う。と、自らを差し出した女を、見送ってから、先回りした権六は領主の元へ差し出されようとしている女を奪った。

「権六さん。やめてください」

 何の力も持たない里人から女を奪うことなど、権六には容易かった。
 そうして、やめてほしいと懇願する女を取り返すと、権六は彼女を街道の脇にある農具をしまうための小屋に閉じ込めた。そこは誰のものとも知れない打ち捨てられたボロボロの小屋だった。ただ、簡単には出ることができないし、普通の人には女がそこにいることさえ分からない。その小屋には権六のまじないがかけられていたからだ。

「出して」

 格子に取り付いて、女は言った。けれど、権六が振り返ることはなかった。もちろん、まじないをかけた本人である権六に女の声が聞こえないはずはない。
 嫌な予感に女の背筋に汗が流れる。

「黒羽様は。人が好きなのだ」

 背を向けたまま、権六が言う。

「我らとは違う。短い命を足掻きながら精一杯生きる姿が。好きなのだ」

 恐らく、権六はほかの眷属よりもずっと、黒羽狐と長く一緒にいたはずだ。だから、誰よりも、黒羽狐のこと知っている。

「俺はよくわからんかった」

 人が物の怪とか妖怪とか呼ぶものの殆どは人に興味がないか、人を嫌っている。好いているものもいるけれど、殆どが食料としてだ。狐は人を食べない。だから、黒羽狐の眷属のうち、年長の三人は殆ど人に興味を示さない。下の二人はまだ若く、人を化かすことが好きないたずら者だった。

「しかしなあ。お前が来て、なんとなく、わかったよ」

 ぼう。と、権六が上に向けた掌に赤い炎が灯る。まるで、曼殊沙華の花のようだ。

「黒羽様にはお前が必要だ」

 その炎はだんだん大きくなって、権六を包んでいった。その姿が燃え上がる。

「権六さん!」

 格子の隙間から手を伸ばす。届くはずがないと分かっていても伸ばさずにはおれなかった。

「あの人を頼む」

 炎は大きく燃え上がって、消える。そして、その後に残った権六の姿は別のものに変わっていた。

「待って。何を?」

 それは、よく知った姿だった。背格好は殆ど変わらない。二人はよく似ていたからだ。

「あの人は、お前を失えない」

 振り返った姿は、黒羽狐のそれだった。

「田舎の悪徳領主を揶揄って遊んでいるうちはいい。やつらは困っても、どうすることもできん。こんな田舎では祓い人もおらん。
 ただ。お前を亡くしたら、俺たちにはあの人は抑えられん。あの人がもし、手あたり次第人間を襲うようなことがあったら、中央から徳の高い僧や、祓い師が呼ばれるかもしれん」

 年長者の権六は、黒羽狐以上に思慮深く分別のある男だった。そして、黒羽狐と同じくらいに仲間想いだった。だから、女が里へ来るときも、自らついてくることを望んだのだろう。もしかしたら、最初からこうなることも覚悟の上だったのかもしれない。

「俺はなあ。あの人が、人に祓われるなんて思ってはおらん。だがな、無傷ではおれんだろう。他の仲間たちも無事ではおれん。
 あれらは、家族だ。誰一人欠けてはいかん」

 そう言って笑った顔は、まるで、黒羽狐そのものだった。たとえ、化けていても、女には見分けがつく。そう思っていたけれど、見分けがつかないほど、二人は似ていた。

「駄目です。ダメです。権六さん。行ってはいけません」

 行かせてはいけないと、分かった。彼が、その姿で何をしようとしているのか、分かる気がしたからだ。

「心配するな。黒羽様がすぐに来る。……俺が……だ……ら」

 ざあ。と、風が吹いて、権六の言葉の続きを攫った。
 その続きを聞かなかったことを、彼女はずっと、後悔することになった。
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