真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

今は昔 3 なんてこと 1

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 女には親がなかった。
 女は覚えてはいなかったけれど、母は女を産んですぐに亡くなったらしい。
 それから、父は女が物心つく前に山の事故で亡くなったと聞かされた。
 兄弟はいない。
 だから、女は覚えている限り、一人だった。

 ただ、女の住んでいた里は裕福とまではいわないが、貧しい土地でもなかった。だから、親も兄弟もない一人ぼっちの小さな女の子を見捨てるようなことはしなかった。子供でもできるような仕事をさせてくれたり、少しの食べ物を分けてくれたり、彼女の親が遺した小屋のような家を修理してくれたり。誰か一人が、ではなく、少しずつの良心を持ち寄って、女は生かされた。

 だから、女は『イケニエ』を選べと領主に言われたときに、手を挙げた。
 もらったものを返そうと思ったのだ。

 けれど、彼女の思う『イケニエ』は、現実とはまったく違った。
 黒羽狐と共に在った日々は、女にとって、人生の中で一番幸せな時間だった。

 ただ、その後ろ姿を眺めることが。
 ただ、何せず隣にいることが。
 ただ、上手くできないことを揶揄われることが。
 ただ、他愛もない会話が。
 ただ、己のした小さな心遣いを喜んでくれることが。
 ただ、優しく頭を撫でられることが。
 ただ、野に咲く小さな花を摘んでくれたことが。
 ただ、その大きな手が頬に触れることが。
 ただ、その美しい黒い毛並みを撫でていることが。
 ただ、季節の移ろいを共に感じることが。
 それを、伝えたいと思うことが。

 ただ、愛おしいと思う人と共に在ることが。

 女にとっては、幸せのすべてだった。

 そうして、黒羽狐の思いも、女と同じになった。だから、彼女は『イケニエ』ではなく、『花嫁』になった。

 けれど、それを、許してはくれないものがいた。
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