真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

5 距離。おかせてください。 4

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「菫ちゃん!?」

 突然、林の中に声が響いた。
 ハスキーだけど遠くにいても聞こえるような声。少年と少女の両方の印象を持つその声に、菫は聞き覚えがあった。

「やっぱり、来てくれたんだ~!!」

 振り向く間もなく、後ろからぎゅ。と、抱きしめられる。

「君は」

 ほぼ、羽交い絞めにされて、首だけを巡らせると相手は先日会った巫女姿の少女だった。離してほしくてもがくけれど、少女のようでいてもやはり人外だからなのか、振りほどくこともできない。

「冴夜だよ。菫ちゃん。黒ちゃんを助けに来てくれたんだよね?」

 そう言って少女は満面の笑みを浮かべる。黒ちゃんとはもちろん、黒羽のことだろう。

「黒ちゃんのお嫁さんになってくれるんだよね? 嬉しいな。[[rb:また > ・・]]、一緒に暮らせるね」

「その人を離せ」

 周囲の温度がいきなり下がったような気がした。セミの声が遠くなる。目の前がくらり。と、一瞬昏くなって、元に戻る。息が苦しい。酸素の濃度が薄くなっているのではないかと思えた。

「……なんで?」

 菫を抱きしめたまま、冴夜が答える。さっきまでの笑顔と変わらない。少女特有の屈託ない笑顔なのに、何かが違う。触れたら、そこから腐り落ちてしまいそうだと思うような表情だった。

「なあんてね」

 ぱ。と、冴夜の手が菫から離れた。途端にすべてが元に戻る。
 ひゅ。と、息を吸い込むと、それは灼けたように熱く感じられて、菫は思わず噎せってしまった。背を丸め、ごほごほとせき込むと、その背を冴夜が撫でてくれる。

「ごめんね。菫ちゃん。びっくりさせちゃったね? でも、来てくれて嬉しい。
 黒ちゃん。もういいなんて言いながら、ずっと待ってたから。もう、300年以上になるんだよ?」

 新三は、菫があの女の生まれ変わりだとは言わなかった。もちろん、黒羽だって言わなかった。だから、冴夜に言われるまでは、そうかもしれないと思いながらも、違うのだと心のどこかでは否定できた。けれど、冴夜に言われて気付いたのだ。

「……俺。あの人。なのか?」

 ぼそり。と、思わず声が漏れる。呟くと、それは完全に菫の中で形を持った。
 黒羽と話しているとき感じていた優しくて、温かくて、それなのに、苦くて、痛い。そんな残り香のようなもの。何度も重なった風景。忘れたくないという強い想い。のぶ。と、呼んだ時の黒羽の顔。
 パズルのピースがはまるように、今まで出さなかった疑問に答えが出て、一つの絵になっていく。

「……ああ」

 胸が熱くなる。勝手に涙が溢れた。

「菫さん」

 氷のような声に、はっとして、菫は振り返った。
 そこにいた人を、菫は知らないと思った。

「……鈴」

 けれど、その名前は菫の口をついた。鈴の顔は今までに見た、どんな表情とも違っていた。この人が感情をあまり表さない人なのだとどうして思えたのだろうと、疑問に思うような痛々しい表情。好きな人に、そんな顔をさせているのが、自分だということに驚いて声にならない。

「……あ……」

 菫が、言葉を探している間に、鈴は背中を向けた。そのまま、何も言わずに歩き出そうとする鈴の腕を掴む。

「まって。俺」

 そこまで言って、見上げた鈴の顔に菫はまた、言葉を失った。
 まるで、感情がなくなってしまったような顔だった。

「……少し。距離。おかせてください」

 聞き取れないほど小さな声で呟いて、鈴は菫の腕をそっと振り払う。
 それから、一瞬だけ、何かを言いかけるように唇が動く。けれど、それは言葉にならなかった。
 代わりに目を閉じて、鈴は一つ大きく息を吐いて、何も言わず、手を振ることも、振り返ることもしないで、去って行ってしまった。

「す……ず」

 取り残された菫は動くこともできずに、ただその背中を見つめることしかできなかった。
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