真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

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 正直に話をするならば、菫はもう、関わりたくはなかった。

 菫は自分をごく平凡な人間だと思っている。特別な力があるとか、過去に因縁があるとか、そんな思考は中学二年生の頃にすら持ち合わせてはいなかった。霊が見えるという多少変わった特殊技能があるけれど、出会ってないだけでそんなにレアケースだとも思っていなかったし、そのほかに変わったところなど一つもない。
 人よりもお人好しだとは思うけれど、自己犠牲とかそんなレベルまではいかない。自分が大事だし、自分を犠牲にしても誰かを助けたいとかいうシチュエーションに出会ったこともない。

 だから、そんな夢を見たって、少しばかり長い映画を妙にリアルな視点で見ているという感想しかなかった。

 昨日までは。

 ロッカーから締め出された後、鈴に会いに行ったけれど、結局何も話すことはできなかった。
 ただ、高熱を出した自分を家まで送り届けてくれたお礼と、他愛のない雑談をして、昨夜は別れた。もちろん、今日が仕事だったからでもある。けれど、もっと、大きな理由は、少しよそよそしく感じられる鈴の仕草と、そんな鈴に黒羽と会っていたことを話せない自分が酷く居心地が悪かったからだ。

 黒羽にあったことは不可抗力だ。新三に引っ張られたからで、菫が会いたくて会ったわけではない。だから、隠さないほうがいいことは分かっている。分かってはいるのに、少し陰りのある鈴の表情を見たら、何も言えなくなった。
 やはり、記憶のない間に、鈴の気分を悪くさせるようなことを言ってしまっていたのだろうかと、不安になる。それが、黒羽に関することのような気がしてならない。

 だから、もう、黒羽のことに関わってはいけないと思っていた。黒羽のことは、鈴を悲しませてまでこだわることではない。
 そう思っていたのに、状況が変わってしまった。

 新三の話に嘘はないと、菫は思う。
 別に、新三が嘘を吐く意味がないとか、そんな嘘を吐いても得するわけではないとか、そんなことを言っているのではない。その嘘にどんな合理性や損得が関わっているかなんて、考える意味なんてないのだ。狐は化かす性質のものだ。そんなこと、鈴や黒羽に言われなくても分かっている。と、思う。
 それでも、新三の言葉には嘘はないと、菫は思う。

 そして、最近になって見るようになった夢は、それを裏付けている気がする。
 化け狐と、その狐への生贄にされた娘の夢。歴史には明るくないが、明らかに明治よりは古い時代だったと思う。
 図書館の資料で読んだ昔話とは全く違う。でも、昔話と同じ名前の狐が出てくる夢。紙に書かれた歴史なんて為政者の都合のいいように改竄されるのは珍しいことではないから、もしかしたら、菫が見ている夢のようなことが本当にあったとしてもおかしくはない。ただ、本当にそれが真実だとすると、もっと受け入れがたい事実を受け入れないといけなくなる。

 菫は、かつてあの場にいた誰かであったということ。
 もっと言えば、誰かの生まれ変わりではないかということだ。

 霊が見えるとか、そんなことよりもずっと、信じがたい。
 菫は魂が別の人間として生まれ変わることがあるかもしれないと、漠然と思ってはいた。宗教的な意味は殆どない。神様がどうとか言うつもりもない。ただ、世界はそんな理を持っているように思えただけだ。
 ただ、その理の中で前に生きた命のことを覚えているのは反則のような気がしていたのも事実だ。忘れることが生まれ変わる条件なのだと思っていた。

 前世がどうのとか、誰それの生まれ変わりだとか、そんなことは本当にイレギュラーなことで、平凡なモブの自分には関係のない世界のことだ。自分だって、誰かの生まれ変わりのだろう。きっと、その生まれ変わる前の自分だって、等しくモブだったに違いない。
 ドラマチックな人生なんて、自分には相応しくない。
 そんな根拠のない確信は、あの市立図書館地下書庫奥のあるはずのない扉が、あの由緒正しい社に繋がったときに崩れ去ったのだ。
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