真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

3 死ぬってこと? 3

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「冗談はそこまでにしておけ」

 聞き覚えのある声が聞こえた。その途端に、ふ。と、身体に自由が戻る。

「大丈夫か?」

 脱力した菫を支えるように太い腕が肩を抱いた。

「……の……ぶ?」

 顔を上げると黒羽がいた。先日あったときと同じような街中を歩いていてもおかしくない格好で、相変わらずのシニカルな笑み。いつもよりも顔色が白く見えるのは、気のせいだろうか。

「新三。これは阿呆だから、あまり揶揄うな。本気にするだろうが」

 窘めるような口調になって、黒羽が新三に言う。

「黒様。俺は本気で!」

 黒羽の言葉に言い返そうとした新三の言葉は、途中で途切れた。黒羽の表情が一瞬にして、変化したからだ。その後を繋げることができずにぱくぱく。と、口を動かしてから、口を噤んで項垂れる。

「お前は嘘が上手過ぎる。洒落にならん」

 菫を離してから、新三の元へ歩み寄って、黒羽はその髪をくしゃり。と、撫ぜた。

「お前も。本気にし過ぎだ」

 それから、菫を振り返って、笑う。その笑顔は、菫が少年の頃助けてくれた人と同じ笑顔だった。

「まあ、戯言は狐狸の性だ。許してやれ」

 そう言って背を向ける黒羽の姿が一瞬、揺らぐ。
 どくん。と、心臓の音が聞こえて、気付けばその腕を掴んでいた。

「ん? どうした?」

 振り返った顔が青ざめている。きっと、見間違いではない。

「嘘ついてるのはお前だろ。消えるってどういうことだよ。なんで、俺なんて助けたりしたんだ。たかがいなり寿司だろ? や。それだって……約束しただけで。俺。忘れてたのに……っ」

 ぎゅ。と、強くその腕を握り締める。二度と黒羽に会うなと鈴に言われたことも、もう、忘れていた。

「阿呆が。だから、それは新三の嘘だといっておろうが」

「違います!!」

 新三が否定する。新三が否定しなくても、黒羽が嘘をついているのだと、菫には分かっていた。

「新三」

 責めるような口調になって黒羽が言う。しかし、新三は今度は引かなかった。

「このままじゃ。黒様はいなくなってしまう。俺は嫌です!」

 新三を動かしていたのは、黒羽への気持ちだ。どれほど長い間共に在ったのか、菫には想像もつかない。どれくらい長く彼らが生きているのか、菫には正しく想像できないからだ。それでも、椿がいなくなるとわかったら、菫だってどうにかして助けたいと願うだろう。

「のぶ。俺はっ」

 身体をあげることはできないけれど、何か他にできることがあるはずだ。と、言いたかった。

「菫」

 初めて、しっかりと名前を呼ばれた。
 初めてのはずなのに、その声を菫は知っている気がした。

「別に消えたりせん。お前ら人間とは出来が違う。
 新三。お前も、いい加減にしろ。大げさすぎだ」

 怒ったような表情になって、黒羽が言う。それから、菫の手を握って引っ張った。

「ちょ。え? のぶ。話はまだおわってな……」

 ぐいぐい。と、引っ張られて、社の前に連れていかれる。そして、す。と、黒羽が手を伸ばすと、そこにはロッカーの扉が現れた。何もない空間に。しかも、表側ではなく、扉は裏側だ。
 嫌な予感がする。

「ここには来るな。と、北島のガキにいわれておろうが。取って食うぞ?」

 わざと鋭い犬歯を見せつけて、黒羽が言う。
 まだ、話したいことがあった。だから、菫は掴んでいる黒羽の手を引き離そうと手をかけた。

「お前はもう、帰れ。ここへは来るなよ?」

 菫の抵抗も空しく、黒羽は向こう側に押したロッカーの扉の中(外?)に、菫を無理やり押し込む。そのまま、手を離して放り出された。

「いいな? 二度とだ」
 
 そう言って、菫の目の前で扉が閉まる。

「のぶ!」

 放り出された先は、元居た市民センターのロッカールームだった。向かい側のロッカーの前に尻もちをついてから、慌てて立ち上がって、ロッカーを開く。けれど、そこはもう、菫の荷物が入っているだけの、いつものロッカーだった。

「くそ」

 がしゃん。と、乱暴にロッカーを閉める。ドアの外からは普通に人の話し声が聞こえた。

「……なんで? なんで嘘つくんだよ」

 扉に触れると、ひやり。と、冷たい。それが、黒羽からの拒絶のようで、胸が痛んだ。
 この扉の先にあったのは、菫が知っている平凡な昼の世界ではなく、よく似た別の世界だ。それを新三は『夜』と言った。
 これ以上、関わることはよくないと、本能で菫にも分かってはいる。今、菫はおそらく境に立っているのだ。昼と夜の境界線。きっと、これ以上関わったら戻っては来られない。けれど、何もしてやれないかもしれなくても、知らん顔で過ごすことが、菫にはできそうになかった。

「……鈴。俺。どうしたらいいんだろ」

 呟きは誰にも届くことなく小さくなって消えていった。
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