真鍮とアイオライト 1

司書Y

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月夕に落ちる雨の名は

1 あいたい 2

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 小柏と別れて、重い足を引きずってロッカールームに入ると、そこは、しん。と、静まり返っていた。市民センターには男性職員が少ない。だから、ロッカールームで誰かと一緒になることは多くない。しかも、正規職員の方たちはまだ、勤務時間内だ。
 だから、菫は心置きなく大きなため息をついた。
 片手でロッカーに寄りかかって身体を支える。

 小柏に声をかけられるまで、確かに夢を見ていた。恐らく、意識が飛んでいたのはほんの一瞬だ。景色はぼーっとしていてイマイチ判然としないけれど、内容はなんとなく覚えている。
 女は確かに呼んでいた。

 黒羽狐様。と。

 ファンタジーな夢だと、笑えればいい。いたずら者の化け狐が実は悪い為政者を懲らしめるダークヒーローだったなんて、ラノベなんかでいかにもありそうな話だ。イケニエに差し出された女性に見向きもしないなんて言う展開もありがちで、ストーリーとしては凡庸。とにかく、菫の頭でも考え付くようなあらすじなら、夢で見てもおかしくはないと思う。
 けれど、笑えない。熱を出している間に見た夢。あの夢が菫自身にかつてあったことを思い出しているだけだと思えるように、きっと、この夢もただの夢ではない。幼い自分と出会っていたことを黒羽が指摘しなかったのは、それが原因ではないだろうか。
 それは、ただの憶測だったけれど、そう考えるとしっくりくる気がした。

 もしかしたら、黒羽のことを昔話に書かれているような悪者だと思いたくないだけなのかもしれない。仮にも黒羽は菫を助けてくれた。軽薄な悪戯はするけれど、本当に弱い人を貶めるようなことはしないと思いたい。その願望が夢になっているのかもしれない。そう思う一方で、何か確信めいた思いがある。図書館の絵本にある昔話に出てくる狐と黒羽は違う。
 そして、それが、鈴が自分と黒羽を近づけないようにしている理由ではないかと思うのだ。
 何故そう思うのかも、今の菫には分からない。

 分からないことが多すぎて、ため息が漏れる。
 もしかしたら、このまま夢を見ていれば、それが分かるのだろうか。
 けれど、分かってしまうのも怖い。
 鈴が近づけたくないと思っている何かに、近づくのが怖い。

「だから。も。会わないってきめたじゃないか」

 ごん。と、ロッカーに額をぶつける。ひやり。とした感触。冷たくて気持ちがいい。
 目を閉じると、鈴の顔が浮かぶ。

 会いたい。と、素直に思う。

 鈴の顔が見たいし、鈴に触れたい。それでも不安は消えないかもしれないけれど、LINEの文字だけでは勝手に鈴の気持ちを想像することしかできなくて、不安は募るばかりだった。
 ポケットに手を突っ込んで、スマートフォンを引っ張り出す。画面を開くと、鈴からのメッセージが届いていた。

 具合どうですか?
 仕事、大丈夫でした?

 昨日のうちに今日から復帰することは伝えてある。だから、菫の退勤時間に合わせて、メッセージが届いたのは3分前だ。そんなふうにずっと菫のことを考えていてくれる鈴が好きだ。

 心配してくれて、ありがと。
 大丈夫。
 あい

 けれど、そこまで書いて手を止める。そして、二文字だけを消して送信した。
 本当はもう二文字書きたかった。

 あいたい。

 でも、書きはしなかった。
 菫の送ったメッセージにはすぐに既読がついた。

 会いたいです。

 きっと、書かなかったのは、そう言ってほしかったからだと思う。
 ヒドイとは思うけれど、鈴の気持ちを確認したかった。

 うん。
 おれも。

 だから、すぐに返信した。

 今、市民センターですか?
 いつものコンビニで待ち合わせでいい?

 鈴からもすぐに返信が来る。

 うん。
 近くまで行ったらLINEする。

 鈴からは、『はい』と、帰って来た。
 だから、菫は、気持ちを切り替えて、ロッカーに手をかけた。
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