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栞
4 やうそくのあかし 4
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目が覚めると、見慣れた天井が見えた。古い日本家屋の、染みの浮いた天井板。
視界は酷く狭い感じがするけれど、確かにそれは、見慣れた自分の部屋だと菫には分かった。
息を吸い込むと、ぜひゅ。と、奇妙な音がした。それから、何かおかしなガスでも混ざっているのではないかと思えるような冷たくて、ザラザラとした空気が喉の粘膜を擦る。その感触に思わずせき込むと、金づちで殴られているのではないかと思えるくらいに頭が痛んだ。
「痛……っ」
痛みに思わず涙が滲む。同時にこみ上げる吐き気。気持ちが悪い。けれど、それは胃がおかしいとかそういう類のものではなくて、脳みそに竹串をツッコまれて掻き回されているかのような脳天に来る気持ちの悪さだった。
「菫。大丈夫か?」
目を覚ました途端、激しくせき込んだ菫の顔を心配そうにのぞき込んでいるのは、椿だった。
「……にい……ちゃ」
声は酷く掠れていた。自分の声とは思えない。
「ああ。起きなくていい。そのまま寝ていろ」
身体を起こそうとして、また、酷い頭痛に顔を顰めた菫を慌てて制して、椿が言う。
「熱が上がってるんだ。辛いだろう? 無理するな」
そう言って優しく頭を撫でてくれる。
「もう少し楽になったら、医者行こうな? 大丈夫。兄ちゃんがついてる」
昔から、いつだって、こんなふうに具合が悪くなると、椿が看病してくれた。むしろ、父母に看病してもらった記憶はない。いつも口うるさい椿だがそんなときはとても優しい。どんな我儘でも聞いてくれたし、一晩中手を握って励ましてくれた。
「俺……どやって。かえって……きたんだっけ?」
昔からそうだった。菫は思う。菫は人より少し熱を出しやすい体質だった。虚弱だったというほどではない。ただ、精神的な負荷が大きくなると熱を出す。両親の離婚を聞かされた後もそうだった。酷い熱を出して数日寝込んで、そのせいで鈴と会ったことも記憶が曖昧になっていた。
「……ああ。あいつだ」
菫の問いかけに、椿は面白くなさそうに答える。
「あいつ?」
問いかえすと、一瞬、言おうかどうか迷ったような顔をしてから、やはり、諦めたように続けた。
「北島鈴だ。市民センターの裏で座り込んでいたお前を見つけて、家まで連れてきてくれたんだよ」
椿の言葉に菫は意識が飛んでしまう前を思い出そうと試みた。
「LINEのやり取りの最中に返事が来なくなったとかで、様子を見に行ったら動けなくなっていたって。覚えているか?」
思い出そうとすると、ずきん。と、頭が痛んだ。
けれど、忘れているわけではない。
市民センターを出て、鈴からのLINEを見て、足もとににや男が転がっていて、声が聞こえた。『ねえ』と。
その声を、菫は知っていた。
夢の中で聞いた声だ。
「……ちがう」
思わず声に出していた。
慌てて身体を起こそうとして、また、頭に激痛が走る。
「……あ……いったた」
思わず蹲ると、慌てて椿が菫を押しとどめようと肩に手をかけた。
「なにしてるんだ。寝てろ」
けれど、どうしても確かめたいことがあって、菫は身体を起こした。
「にいちゃん。俺のカバン。どこ?」
問いかけると、訝し気な顔をしてから、椿は菫が職場に持って言っているトートバッグを渡してくれた。受け取って、その中を探る。そして、菫はその中から一冊のノートを引っ張り出した。
「それがどうかしたのか? なんか、食いたいものでもあるのか?」
古いノート。菫が大切にしているレシピノート。祖母に教わったり、自分で調べた料理のコツが書いてある使い古されたノートだ。
そして、あの日。黒羽が拾ってくれて、返してくれたノート。
開くと、そこにはあの栞が挟まっていた。
視界は酷く狭い感じがするけれど、確かにそれは、見慣れた自分の部屋だと菫には分かった。
息を吸い込むと、ぜひゅ。と、奇妙な音がした。それから、何かおかしなガスでも混ざっているのではないかと思えるような冷たくて、ザラザラとした空気が喉の粘膜を擦る。その感触に思わずせき込むと、金づちで殴られているのではないかと思えるくらいに頭が痛んだ。
「痛……っ」
痛みに思わず涙が滲む。同時にこみ上げる吐き気。気持ちが悪い。けれど、それは胃がおかしいとかそういう類のものではなくて、脳みそに竹串をツッコまれて掻き回されているかのような脳天に来る気持ちの悪さだった。
「菫。大丈夫か?」
目を覚ました途端、激しくせき込んだ菫の顔を心配そうにのぞき込んでいるのは、椿だった。
「……にい……ちゃ」
声は酷く掠れていた。自分の声とは思えない。
「ああ。起きなくていい。そのまま寝ていろ」
身体を起こそうとして、また、酷い頭痛に顔を顰めた菫を慌てて制して、椿が言う。
「熱が上がってるんだ。辛いだろう? 無理するな」
そう言って優しく頭を撫でてくれる。
「もう少し楽になったら、医者行こうな? 大丈夫。兄ちゃんがついてる」
昔から、いつだって、こんなふうに具合が悪くなると、椿が看病してくれた。むしろ、父母に看病してもらった記憶はない。いつも口うるさい椿だがそんなときはとても優しい。どんな我儘でも聞いてくれたし、一晩中手を握って励ましてくれた。
「俺……どやって。かえって……きたんだっけ?」
昔からそうだった。菫は思う。菫は人より少し熱を出しやすい体質だった。虚弱だったというほどではない。ただ、精神的な負荷が大きくなると熱を出す。両親の離婚を聞かされた後もそうだった。酷い熱を出して数日寝込んで、そのせいで鈴と会ったことも記憶が曖昧になっていた。
「……ああ。あいつだ」
菫の問いかけに、椿は面白くなさそうに答える。
「あいつ?」
問いかえすと、一瞬、言おうかどうか迷ったような顔をしてから、やはり、諦めたように続けた。
「北島鈴だ。市民センターの裏で座り込んでいたお前を見つけて、家まで連れてきてくれたんだよ」
椿の言葉に菫は意識が飛んでしまう前を思い出そうと試みた。
「LINEのやり取りの最中に返事が来なくなったとかで、様子を見に行ったら動けなくなっていたって。覚えているか?」
思い出そうとすると、ずきん。と、頭が痛んだ。
けれど、忘れているわけではない。
市民センターを出て、鈴からのLINEを見て、足もとににや男が転がっていて、声が聞こえた。『ねえ』と。
その声を、菫は知っていた。
夢の中で聞いた声だ。
「……ちがう」
思わず声に出していた。
慌てて身体を起こそうとして、また、頭に激痛が走る。
「……あ……いったた」
思わず蹲ると、慌てて椿が菫を押しとどめようと肩に手をかけた。
「なにしてるんだ。寝てろ」
けれど、どうしても確かめたいことがあって、菫は身体を起こした。
「にいちゃん。俺のカバン。どこ?」
問いかけると、訝し気な顔をしてから、椿は菫が職場に持って言っているトートバッグを渡してくれた。受け取って、その中を探る。そして、菫はその中から一冊のノートを引っ張り出した。
「それがどうかしたのか? なんか、食いたいものでもあるのか?」
古いノート。菫が大切にしているレシピノート。祖母に教わったり、自分で調べた料理のコツが書いてある使い古されたノートだ。
そして、あの日。黒羽が拾ってくれて、返してくれたノート。
開くと、そこにはあの栞が挟まっていた。
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