真鍮とアイオライト 1

司書Y

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4 やくそくのあかし 3

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「……あの」
 
 そのときになって、はじめて、俺はその人に助けられたのだと気付いた。突然うろから引っ張り出されて、その人の腕に抱きかかえらえて、大きな音がして、何かが焦げる音がした。それから、女の人の声がしたと思うのだけれど、その人の手が、そっと俺の耳を塞いだから何も聞こえなかった。振り返ろうとしたら、ぎゅ。と、胸の抱きしめられて、何も見えなかった。
 しばらくそうしているうちに、音も匂いもなくなって、後にはその人だけがいた。
 何の疑問も感じることなく、その人が差し出した手を握って歩き出した。その手に導かれていれば間違えることはないのだと、俺は知っていた。

「……」

 ぱくぱく。と、唇が動く。けれど、それは言葉にはならい。身体が覚えているその唇の形がその人を表す言葉なのだとわかるけれど、それは声にはならなかった。まるで、何かで蓋をされたようだ。
 だから、代わりに俺はポケットを探った。
 何か。
 何でもいい。
 お礼がしたかった。

「……」

 右のポケットを探る。さっき、あの子にあげた飴と涙を拭いたハンカチが入っていたところだ。反対のポケットにはあの鈴がついたおまもりが入っていた。今はもう、何もない。

「……あの」

 ポケットの中に入っていたものを、あの子にあげたことを後悔はしていない。あのお守りも飴玉も俺よりもあの子に必要なものだ。けれど、何も残っていないポケットが悲しかった。助けてくれたその人に何か、自分にとって大切なものをあげたかった。

 ほら。
 もう行くぞ。

 俺の様子をじっと見ていたその人は静かに言った。もう、いいんだ。と、言われているようで、それが何か大切なものを諦めるような響きに思えて、俺は泣きたくなる。諦めきれなくてポケットの奥まで突っ込んだ指先に何かが触れた。

「……あ」

 かさり。と、乾いた感触。抓んで引っ張り出すと、それは和紙でできた栞だった。学校の授業の時、近くの公園で見つけた菫の押し花を梳き込んだ和紙に薄い菫色のリボンを通した手作りの栞。今日完成したばかりのそれは、先生に『感謝の気持ちを込めて、誰かに贈りましょう』と言われて、持ち帰ったものだ。俺は母にプレゼントする予定だった。けれど、それを渡す前に言われた。『お前はいらない』と。だから、ポケットの奥へと押し込んだのだ。

「あの。これ」

 感謝の気持ち。
 という言葉を思い出して、俺はそれをその人に差し出した。

「お礼です!」

 そんなもので気持ちが伝わるかどうかなんてわからなかった。小学4年生にもなれば、子供の好意を嘲ったり、踏みにじったりするような大人が存在することも、もうわかっている。それでも、それくらいしか、俺には渡せるものがなかった。
 その人は俺の手にあるそれをじっと見つめていた。
 赤い。赤い瞳。じっと見られていると、自分がとても小さくてつまらないものに思えてきて、なんだか恥ずかしくなってきた。子供の工作なんて、みっともないものがお礼になるはずがない。
 だから、俺は俯いた。

 安く見られたものだな……。
 
 そんな言葉が降ってきたときも、だから、俺は恥ずかしいだけで、その人が悪いとか、冷たいとかはまったく思わなかった。

 しかし。
 まあ、バケモノには過ぎた褒美だ。

 ふわり。と、身体が宙に浮く。
 一瞬、何が起きたか分からなかったけれど、すぐに抱き上げられたのだと気付いた。すぐ目の前に赤い瞳が見えた。

 釣りは出せぬゆえ、困ったら、また、助けてやろう。

 その人は笑っていた。とても優しい笑顔だった。けれど、その頃の俺にはその人の言っている意味がよく分かっていなかった。

「……あの。いつか、もっと、ちゃんと、お礼します。
 おいしいもの作って! ケーキとか。お寿司とか」

 子供の頭で思いつくことなんてそれくらいで、でも、笑ってくれたことは嬉しくて、そういうと、その人は少し思案気な顔になった。

 そうか。
 そうだな。
 それなら、稲荷寿司でいい。

「おいなりさん?」

 問い返すと、その人がまた、おかしそうに笑う。

 覚えていたら。な。

 それから、俺を片腕で抱えたまま、もう一方の掌を上に向ける。ぼう。と、小さな音がして、赤い炎が掌の上に踊る。

 時間だ。
 あまり、共にいると、障りがある。

 その言葉に促されるようにぐらり。と、視界が揺れた。赤い炎に吸い込まれるように、周りの景色が歪んでいく。

 忘れていい。
 忘れるのがいい。
 ただ。

 見上げると、月が見えた。
 頬に、何かが落ちてくる。
 冷たい感触。
 雨?
 俺は思う。

 忘れるのであれば……で……ろ。

 そこで、意識は途絶えた。
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