真鍮とアイオライト 1

司書Y

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2 誰にも望まれていないとしても 3

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 ここから。だして。

 覗き込むと、何かと目が合った。にい。と、その口角が歪む。

「ひっ」

 と、声をあげて後ずさると、すぐに、どん。と、何かにぶつかった。思わず振り返る。その人物に顔はなかった。片足もくるぶしより下がない。片腕もない。胸には大きな穴が開いていて、中が見えている。そこからはみ出したひも状のものが、腹の下まで垂れ下がっていた。
 あまりの恐怖に身体は全く動かなかった。ただ、動けなくなった俺にそいつが襲い掛かってくることはなかった。
 動けなくなっている俺の前で、そいつは身体の方向を変えて、腰を折り、ゴミ箱の中に一本だけ残っている手を突っ込む。それから、ごそごそとその中を漁り始めた。その手が何かを掴む。
 見たくない。と、思っても目を逸らせない。
 ゴミ箱から出てきた手には、薬指に銀の指輪がはまった左腕が握られていた。
 けれど、それは目的のものではないとばかりに、ぽい。と、投げ出す。その腕は俺の前まで飛んで落ちた。
 白い腕。まるでマネキンだ。落ちたときの音は重い。濡れた砂を詰めた麻袋を落としたような重い音。断面から覗く鮮烈な赤だけが、それが本物だと俺に教えていた。

「……あ……あ」

 小学生の俺には何にもできなかった。ただ、トラウマになるような情景を見ることしかできなかった。目を閉じることも、視線を逸らすこともできなかった。
 それまでに小学生の俺が知っている小さな世界の理では、こんなものが存在していいはずがなかった。首を切られたものは正しく死ぬはずだし、死んだ者は動いたりしない。けれど、目の前では『あってはならないこと』が当たり前のように存在していた。
 これは、何だろう。考えなければいけないのだけれど、頭は動いてはくれない。

 あったぁ。

 と、聞こえた声にはっとする。言葉を漏らしたのは、ゴミ箱から今まさに外に抱えあげられた頭だった。額の真ん中に大きな傷がある。そこはぱっくり。と、割れて、中には白いぶよぶよとしてものが見えていた。

 ねえ。ぼうや。

 平坦な声が呟くように言う。それが、俺に向かって言っているのだと気付くのに数秒かかった。

 どうして助けてくれないの?

 ごぼり。と、音がして、言葉と一緒にその口から液体が零れる。それは、大きな傷から流れているものと同じ色をしていた。それが何なのかなんて、さすがにもう、匂いがしなくても、街灯の明かりが暗くても俺には分かっていた。

 血。だ。
 赤い。
 臭い。

 頭の中で思う。臭くて、気持ち悪くて、吐き気がする。
 これは現実だろうか。
 そんなわけがない。きっと、現実ではない。
 自分自身の問いに自分自身で答えるけれど、それはただの現実逃避だと、俺は知っていた。

 あんなにお願いしたのに。

 一歩。顔を抱えた女が歩み寄ってくる。足首から下がないから、女はがくん。と、身体を揺らした。腕に抱えられた女の頭が、じっと俺を見つめながら、淡々とした口調で言う。けれど、その冷たい口調に気付く。
 これは怒りだ。
 俺が助けなかったから、この人は怒っているのだ。
 がくん。
 また、彼女の身体が、抱えられた頭が大きく揺れる。その顔がどんどん近づいてくる。その瞳が酷く暗く濁って、深い底なしの穴のように見えた。そして、その底なしの穴から噴き出してくる黒い何かが、確かに見える気がした。

 いやだ。
 やめて。
 来ないで。

 と、俺は首を振った。本当は叫びたかった。けれど、口はぱくぱく。と、動くばかりで、言葉にならないし、足は固まったまま動かない。足どころか身体は全く動かなかった。

 わかるわ。私もお願いしたもの。
 やめて。こないで。
 ってね。

 女は今や、すぐそばまで来ていた。手を伸ばせば届くほどの距離だ。光が吸い込まれていくようなうつろな瞳が目の前にある。
 それでも、激昂していると言ってもいいほどの声は、スカスカ。と、空々しい。きっと、首が繋がっていない喉から出たそれは、鼓膜を強く振動させるほどの力がないのだ。と、頭の片隅で思う。

 でも、あいつは。助けてはくれなかった!

 叫んだ拍子に唇から血が飛び散って、頬に当たった感触がした。生温い、吐き気がするような感触だった。

 だから。わたしも。
 ゆるさないの。

 にい。と、女の唇が半月型に歪む。
 笑っている。
 と、思ったその時だった。
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